風の庫

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角川書店

 角川書店「生方たつゑ全歌集」(1987年・再版)より、歌集「鎮花祭」を読み了える。
 前歌集
「北を指す」は、先の3月22日の記事にアップした。
 この歌集は、後記「あとに書きとどめて」が、「定本生方たつゑ歌集」(1966年、白玉書房・刊)のものである等から、その定本歌集に未刊歌集として収められ、直後に単行本化されたらしい。
 「嵐の中に立てよ」と教えた、作家・佐藤春夫を亡くし、(作家・井上靖より、定本歌集に序文を頂いたものの)、彼女は方途を失ったかに見える。
 内容の前衛性、形式の冒険性は身を潜める。しかし彼女はこのまま、下降線を辿る事はなく、昔の登山機関車のように一旦スイッチバックして、更に登り始めるのだろう。
 以下に7首を引く。
運命のやうに候鳥がかへりきて抱く幸よ孵すほかなし
犬の鎖またぎゆくとき目撃者なきにんげんの不安がきざす
雨にぬれてインクにじみし封書らよおほよそは生のかなしみ綴る
ふりむかれゆくことはなし生くさき鰈を買ひてさげゆくときも
青き魚鱗撒かれし土を跨ぎきぬ先生はきのふ地に消えしなり
炉を切りてあたたかき火によることも心やすけし山さびてゐて
をとめらが渚にながく跼みゐて囁き合へりやさしかるべし

チューリップ6 - コピー
Pixabayより、チューリップの1枚。



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 角川書店「増補 現代俳句大系」(全15巻)の第11巻(1982年・刊)より、11番目の句集、岸田稚魚「負け犬」を読み了える。
 先行する、
富安風生「古稀春風」は、先の3月15日の記事にアップした。
 原著は、1957年、近藤書店・刊。石田波郷・序、568句、著者・後記を収める。
 岸田稚魚(きしだ・ちぎょ、1918年~1988年)は、石田波郷の「鶴」に投句、1968年「塔の会」結成、1977年・俳誌「琅玕」創刊・主宰。
 若くして結核に苦しみ、結婚、子を成した。旅行吟が賞賛されたけれども、僕は賛同しない。
 句境は句集のたびに深化したが、一貫して感覚的な「細み」の作風とされる。
 以下に5句を引く。
かげろふは焦土ばかりや西行忌
雨風や瓦礫に生(あ)るる蝸牛
隙間風驚き合ひて棲みつかな(娶り滝野川に移る)
春愁や身籠りの腹美しき
入学の日の雀らよ妻と謝す
チューリップ4
Pixabayより、チューリップの1枚。



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 角川書店「生方たつゑ全歌集」(1987年・再版)より、第10歌集「北を指す」を読み了える。
 第9歌集
「海に立つ虹」は、今月10日の記事にアップした。
 原著は、1964年、白玉書房・刊。
 この作品には、自宅火災があり、出版直前に佐藤春夫が亡くなり(3度、序文を受けていた)序文を受けられず、挿絵を受けていた画家・小杉放庵も亡くなり(遺作を挿絵とした)、激変の中にあった。
 しかしそれらを潜り抜け、新しく進む思いが、後記「おわりに」にはある。1963年に、歌誌「浅紅」を創刊した。
 歌集の中に散見されて、睡眠薬を用いる苦しみがあったようだ。また愛情関係の表現に、やや甘い点が見受けられる。
 第1線の女性歌人の成果を挙げているのだけれど。
 以下に7首を引く。
うすき肩怒らせながら去りゆきし日が顕つ逆層の岩場をゆけば
咽喉刺すまで火煙うづまく古家よ憑かれて生きしことも敢なし
蒼ざめて常に充たされがたかりしわが過去よ重き家霊を負へば
君が秘密知るゆゑながく守りきて磁力のつよきかなしみもてり
過去のこと言ふこともなき君にして背を押しくるるかたきてのひら
燐光のもえゐるやうな星の位置定まりてたのし春ちかづけば
北方系の知恵切実にサイロなど構へてこもるこの冬の丘
クロッカス6 - コピー
Pixabayより、クロッカスの1枚。






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 角川書店「増補 現代俳句大系」(全15巻)の第11巻(1982年・刊)より、10番目の句集、富安風生「古稀春風」を読み了える。
 先行する
能村登四郎「合掌部落」は、今月9日の記事にアップした。
 原著は、1957年、龍星閣・刊。1954年~1956年の作品、638句を収める。
 富安風生(とみやす・ふうせい、1885年~1979年)は、「ホトトギス」へ投句、のち同人。俳誌「若葉」主宰。1974年、日本芸術院会員。
 三省堂「現代俳句大事典」(2005年・刊)の「戦争責任論争」の欄には、高浜虚子、山口青邨、小野蕪子、水原秋桜子、加藤楸邨の名前と共に、富安風生の名前も挙がっている。
 ただしこの句集では、「ただ恃む若人等あり初茜」「一生の重き罪負ふ蝸牛」(注:「三ヶ日蝸牛爐をつひに出でざりき」の句あり)の心境だった。僕に親しみのもてる句が多かった。
 戦後のみでも「古稀春風」までに4句集があり、どのような俳風だったか、僕にはわからない。
 「古稀春風」には、旅行吟が多く、自負もあったようだが、遊興、句会出席等の旅が多かった。
 以下に5句を引く。
年寄の忘れぞめよと初笑
沈丁の香はきりきしの高きより
箸つけて裏谷の芹庭の蕗
麦痩せて渋民村の名もほろぶ
水堰きて泳ぐはいくさ知らぬ子等
クロッカス5
Pixabayより、クロッカスの1枚。



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 角川書店「増補 現代俳句大系」第11巻(1982年・刊)より、7番めの句集、百合山羽公「故園」を読みおえる。
 先行する
相馬遷子「山国」は、今月21日の記事にアップした。
 原著は、1956年、故園刊行世話人会・刊。487句、後記を収める。
 百合山羽公(ゆりやま・うこう、1904年~1991年)は、初め「ホトトギス」に入るが、水原秋桜子と共に去り、「馬酔木」第1期同人となる。
 第1句集「春園」(1935年・刊)に次ぐ「故園」では、1931年~1949年の「帰雁抄」、1950年~1952年の「鬼灯抄」、1953年~1956年の「海鳴抄」の、3章を立てる。
 敗戦の1945年は、第1章に紛れ込んでいる。衝撃と苦しみは、後に来たのか。
 すべて「鬼灯抄」「海鳴抄」より、5句を引く。
鬼灯よ父はとしどし弱き父
水を汲み火を焚く母に春眠す
髪高く結はれて嫁ぐ巣燕に
燕きて家人の声にさゝやけり
綿虫をつれて夕餉にかへりくる

白鳥7
「Pixabay」より、白鳥の1枚。



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 「生方たつゑ全歌集」(角川書店、1979年・初版、1987年・再版)より、第2歌集「雪明」を読みおえる。
 第1歌集「山花集」は、今月12日の
記事(←リンクしてあり)にアップした。
 歌集「雪明」は、1944年、青磁社・刊。1938年~1941年9月の628首。
 1937年には日中戦争が始まり、1941年12月には太平洋戦争が始まっている。
 生方たつゑの義弟の応召があったが、彼女は依然として旧家を守った。
 1936年、「アララギ」を脱会した今井邦子が、当時唯一の、女性のみの結社・月刊誌として「明日香」を立ち上げた時、生方たつゑも参加したが、1945年に事情を話して退会した。
 三重県の温暖な地に生まれ、大学哲学科聴講生の娘さんが、雪国の群馬県の旧家に嫁いだ苦しみから、歌に励んだともされる。
 以下に7首を引く。
渓だにを埋めし雪をわれはみてものを言ひたりひとりさびしく
蠟燭のはだか火さむく土蔵より持ちゆかしむる刀を選びつ(義弟応召)
寒潮のくらき面にかもめらはこゑ啼かずして光を曳きぬ
雪げかぜ吹くとは言へど庭石に凍(し)みつつ青き苔のうるほふ
春なかば雪のとざせる細谷を音にたちつつゆくみづはあり
秋の日のはやおとろふる高山に野鳩まどけきこゑつたはりぬ
野うばらとおぼしきしろさゆるる野に入りゆきし子よこゑさへもなし
暖炉4
フリー素材サイト「Pixabay」より、暖炉の1枚。








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