詩
児童文学誌「ぱらぽっぽ」38号が届く
先日の福井新聞の隅、「福井の本」欄に、児童文学誌「ぱらぽっぽ」38号が紹介され、希望者に送料とも無料で配布するとの事だった。
「ふくい児童文学会」発行、2019年3月17日・刊。
代表の藤井さんと僕とは、福井県詩人懇話会・会員同士でもある誼で、記事掲載の番号へ電話を入れ、1冊を送ってくださるようお願いしたところ、さっそく送ってくださった。
「ふくい児童文学会」が毎月の研鑽の他、各年度末に同人誌として、「ぱらぽっぽ」を発行している。
38号では、詩6編、童話11編、随筆2編、等を収める。
現代創作童話は、初めての世界である。
僕は既に、詩編を読み了え、童話編に読み入っている。
読み了えたなら、ここで紹介したい。
同人詩誌「青魚」No.89を読む
昨日の記事「届いた1冊、頂いた7冊」に挙げた内、同人詩誌「青魚」No.89を、ほぼ読み了える。
同・No.88の感想は、今年6月10日の記事にアップした。リンクより、旧号の記事へ遡ってゆける。
冒頭、K・和夫さんのエッセイ「龍泉寺界隈ふたたび」は、現・越前市(旧・武生市)の敗戦直後の回想から、産物の世界展開への現在の希望を描いて、懐かしい文章である。
T・幸男さんの4編の詩(ペン書きを縮小掲載したもの)は、上下2段の下段に作庭した(彼は作庭家であり、画家でもある)庭のカラー写真を置いて、展開する。やや難解だが、題名「彼岸の滸で」、「永劫の無辺(ほとり)で」、「足のうら」、「皿ねぶり」の題名を考慮に入れると、わかりやすいか。前2編は無常観を感じさせ、あと2編は年少時の回想が濃い。
千葉(兄)さんの「匂い」、千葉(弟)さんの「姉、敏子」、共に姉の死を詩って、詩風の違いを見せる。
高年大学から出発した詩人たちも、どんどん進歩している。
M・幸雄さんの「現代詩を語る」(座談会記事より抜粋)では、主張の1つに「近現代詩語辞典」の作成を求めている。
安部倹司・遺稿詩集「生と死のあいだ」(千葉(兄)が出版に関わった)は大冊だが、5名の方が丁寧な感想を寄せている。
僕はソネット9編(と短歌連作1編)を寄せた。もう1つのブログ「新サスケと短歌と詩」の、11月20日の記事より、ソネットを毎日1編ずつアップするので、横書きながらご覧ください。
文学総誌「縄文」創刊号を読む
先の9月29日の記事「贈られた2冊」で紹介した内、文学総誌「縄文」創刊号を読み了える。
概要
2017年5月31日・刊。発行者「縄文の会」(代表)前川幸雄(号・華原)。B5判、2段組み、22ペ-ジ。
寄稿者は、福井県内をおもに、全国より参加している。
感想
<地域研究>「作曲家今川節と勝山とのつながりに迫る」M・惠子。
しっかりした紹介である。しかし末尾近く「(文章は、平井英治氏の今川節作品鑑賞の手引きよりの抜粋引用です)」とあり、そうならば文頭でそう断るのが、読者への親切だろう。末尾に「実践報告の原稿にまとめたいと思っています。」とあるので、期待したい。
<漢詩>「越前打刃物初打」Y・絹江。
七言絶句である。訓み下し文、通釈文を付す。作者は、代表の漢詩講座受講生(福井カルチャーセンター)で、代表の目も通っているだろうから、韻、平仄は大丈夫だろう。刃物打ちの、モノクロ写真を添える。ビジュアル化の時代である。
<詩>「奄美大島からの「タンカン」」前川幸雄。徹底したリアリズムの日常詩は、社会への抵抗詩となるだろう。
<短歌>「老いを生きる」10首・I・コヨリ、「義母の思いで」8首・M・大次。「老いを生きる」にはぎこちなさがあり、「義母の思いで」には気負いがある。短歌の安楽と苦労を、知って行くだろう。
<一般研究>「九州のカッパ」Y・信保(福岡)。文献渉猟も実地探査も多い、労作である。「カッパの手」と伝わるものなど、モノクロ写真を付す。
<一般研究>「橘曙覧の短歌への白居易の作品の影響」前川幸雄。
白居易の娘(幼くして亡くなった)を詠んだ詩・5編の原文、訓み下し文、通釈文を挙げる。橘曙覧の娘を亡くした時の2首(前詞付き)を挙げて、3つの類似性は、偶然の一致か、白居易の影響かは、見解の分かれるところとし、「皆様のご感想、ご意見をお伺いしたいと思います」と述べている。
研究の基礎文献が整った事は、重要である。
「縄文」誌の発展を願っている。
詩誌「角」第41号
昨日に続き、N・としこさんに贈られた同人詩誌、「角(つの)」第41号を紹介する。2016年10月・刊。
巻頭の詩、Y・清吉さんの「早稲田」が優れている。反原発等の政治を離れ、リタイアした農民として、大地の豊穣を謳う。「…今年の新米は出回る 虫の声に送られ/不可思議である 田んぼの力 奇怪千万/百姓の己(うら)何をした なんもせなんだ/…」。
K・久璋さんの「膕(ひかがみ)」では、「…/爾来五十年 その後どうなったものやら/今では丸く女房に納まっている/…//羽衣は返しはしない/とかくその日までは」と、妻への執着を語る。
H・信和さんの「居酒屋で」は、「…居酒屋では/選ぶことを楽しめばいい//かみさんと僕には/それぞれの好みがあり/それが重なることも/たまにはある」と結んで、子供たちが独立し、夫婦二人の穏やかな関係を描く。
Y・勝さんの映画論「続・僕の懐かしシネマ館 18 番外編3 ヌリ・ビルゲ・ジェイラン「雪の轍(わだち)」」は、3段6ページに渉って熱弁を振るう。トルコ映画の、監督と作品の素晴らしさは認めよう。ただし、原作のチェーホフの2編の内、「妻」は僕も読んでいて、富裕知識人の夫婦は、こんな事で諍うのかと呆れたのだった。
詩12編、評論2編を、34ページに収める。
詩誌「青魚」No.85
同人詩誌「青魚(せいぎょ)」No.85(2016年10月30日・刊)を、ほぼ読みおえる。
同号が届いた事は、11月2日の記事(←リンクしてあり)にアップした。
また同・記事のリンクより、僕のソネット8編のうち7編を、1日1編ずつ連載した。
T・幸男さんの「ドヂの独白・うつつの鳥瞰」の前半は、「詩集ふくい2016」に既に寄せている。
入院生活を皮肉に比喩で描きながら、世への怒りを訴える。また後半も含め、哲学原語を用いながら、原発など俗世への反発を強めている。
M・幸雄さんの「詩人懇話会会報九十二号に触発されての随想」では、会報の自分の記事の誤植、Kさんへの3つの批判、蔵書の各種辞典、などを述べた(2段5ページ)。
また評論としてK・久璋さんが「杉本直『馬』連作とネオリアリズムの潮流」(2段6ページ)、A・雨子さんが「詩の小ささ」(2段2ページ半)を寄せている。
同誌の方針として「来る者拒まず、去る者追わず」らしいので、多彩なメンバーが詩と散文を寄稿した。
「今、詩の魅力について語り合う」
昨日(9月17日、土曜日)の午後1時半より、某館の1室で、「今、詩の魅力について語り合う」という名の、詩の朗読とフリートークの催しが持たれた。
福井県詩人懇話会・主催、中日詩人会・共催。
あとから来られた方を含め、写真に入らない方と共に、主催者の予定を上回る30名程の参加だった。
T・晃弘さんの総合司会のもと、懇話会代表のW・本爾さんの開会挨拶で始まった。
M・幸雄さん、A・菜ずなさん、S・沈潜さんの、自作詩1編と寸感の朗読があった。
「詩のフリートーク」では、K・久璋さんのコーディネイトのもと、S・周一さん、Y・千恵子さん(朗読指導者)のトークがあった。
副代表のM・幸雄さんの閉会挨拶で、4時に閉会した。
皆さん純粋で、「汚れつちまつた悲しみに」などと、うそぶいている僕には、良い心の洗濯だった。