風の庫

読んだ本、買った本、トピックスを紹介します。純文学系読書・中心です。

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詩集

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 戦前からのモダニズム詩に関心があり、「安西冬衛全詩集」、「北園克衛全詩集」を求め得たが、「春山行夫全詩集」が古本界に見当たらなかった。かなり長い間探して、吟遊社「春山行夫詩集」(1990年・刊)がそれに当たると見定めて、購入した。帯にビニールカバー、表紙にパラフィン紙カバーが、古書店主の手によって掛けられている。
 春山行夫(はるやま・ゆきお、1902年~1994年)の米寿記念出版で、既刊詩集、未刊詩集、詩集未収録作品を収めているが、生前とはいえ「全詩集」と銘打たなかったのは、訳があるかも知れない。
 今回に僕が読んだのは、第1詩集「月の出る町」である。1924年、地上社出版部・刊。27編を収めるが、1935年に発行された詩集「花花」に再録された際、かなりの部分に改訂が加えられた。
 巻頭の「故郷」は4行の詩で、後半は「けふ故郷(ふるさと)は寺のやうに懐かしい/こころは侘びしく鍬のやうに重い」と比喩を用いながらの懐郷で始まる。
 「水上のtable」では、絹、香料、食卓、等の語が出て来て、今の僕たちなら入手可能かもしれないが、1924年(大正13年)にあっては、どんなにか上流社会にのみ有ったものだろう。
 また「白き寝顔」が「雨はれたり土耳古玉の空あらはれたり」と始まるように、古文調の作品も幾らか混じる。
 春山行夫は、この詩集を上梓した翌年(23歳)、名古屋市より上京している。


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 金田久璋さんより頂いた、第4詩集「鬼神村流伝(きじんそんるでん)」を読み了える。
 第3詩
「賜物」に就いては、、昨年11月23日の記事にアップした。
 「鬼神村流伝」は、2017年4月、思潮社・刊。詩人・倉橋健一の帯文と栞、4章42編の詩、後記「覚書」、略歴を収める。
 彼は有力な民俗学者でもあり、それを拠り処とした、フィクションの叙事詩として、成功している。
 とくに「柿の木問答」、「魔除け」には、詩誌に発表時から惹かれた。
 僕は短歌を拠り処とする、私的独白の詩(もう面従腹背が要らないので、傍白ではない)を創り続けており、彼と擦れ違う所もあるようだ。
 同時に島尾敏雄・ミホ論の抜き刷り(「脈」92号より)も頂いたが、ここにはアップしないでおく。


 

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 青土社「吉野弘全詩集」(2015年2刷)より、第11詩集「夢焼け」を紹介する。
 先行の
「北象」「自然渋滞」は、今月16日の記事に紹介した。
 「夢焼け」は、1992年、花神社・刊。4章に分け、27編を収める。
 巻頭の「元日の夕日に」では、「元日の夕日を、どう呼んだらいいか/私はわからずにいます」と書くけれど、元日の朝日を「初日」と呼ぶから悪いので、正式には「初日の出」であり、元日の夕日は「初日の没(い)り」と呼べば良いと、僕は考える。
 この時代に俳句をたしなんだらしく、その経験が「俄(にわか)俳句教室」、「秋景」、「冬の鳩に」等に現れている。
 標題作の「夢焼け」では、文選工のミスを咎めず、夢に焼かれている人間、という1面を表わした。
 「漢字喜遊曲」の流れの作品もある。
 生前の詩集としては、これが最後である。このあと、詩画集、写真詩集の出版はあったけれども。
 またこの本の巻末近く、未発表詩篇選があり、初出の最後は1995年頃である。「歌詞一覧」と共に、ここでは取り上げたくない。
 没年の2014年まで、彼は詩を書かなかったのだろうか。体を悪くしたのか、このような形で詩よりフェイドアウトして行ったのかと思うと、歌人たちの場合と比べて、詩人として侘しい。
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写真ACより、フラワーアレンジメントの1枚。



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 岩波文庫「ロンサール詩集」を読み了える。
 購入は、先の3月27日の記事
「入手した3冊(2)」に挙げた。
 井上究一郎・訳。1989年10刷。
 45編の詩(例外を除いて、短詩)と、訳注、小伝、等を収める。
 日本の詩人にも例のあるオード(頌詩)、ソネット(14行詩)を多く含む。
 イタリアのソネットを、フランス詩に移入した功績は、大きいとされる。
 恋人へ捧げられたソネット等は、雅び過ぎて、回想の詩と思われる。
 翻訳者の労を多とする者である。


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 青土社「吉野弘全詩集」(2015年2刷)より、詩集「北象」「自然渋滞」を読み了える。
 先行する詩集
「陽を浴びて」は、今月9日の記事にアッした。
 「北象」は、銅版画と対で10編を収め、1985年、「アトリエ・楡」刊、限定50部。内7編を既刊詩集より再録し、1編を「自然渋滞」に再録したので、この全詩集・版では2編のみとなっている。自然の擬人化がなされる。
 「自然渋滞」は、1989年、花神社・刊。3章に分けて、37編を収める。
 第Ⅰ章の「少し前まで」、「風流譚」、「竹」、「鴨」等は、自然を擬人化して、また自分と比べて、機智を効かせている。「紹介」は、自身のお孫さんの紹介らしく、「お通じ、あります/よく眠ります/夜泣き、しません/寝起き、ご機嫌です」と爺ばかぶりを発揮している。
 「雨飾山(あまかざりやま)」以降の4編は、以前からの叙景詩の続きだろう。芭蕉の言葉とされる「名人は危うきに遊ぶ」の域に達していると、僕は思う。
 第Ⅱ章は、僕の嫌いな「漢字喜遊曲」系統の詩が並ぶ。
 第Ⅲ章の「冷蔵庫に」、「Candle's Scandal」は、叙景詩で得た手法で、家具を擬人化した。最後の「最も鈍い者が」は、「言葉の息遣いに最も鈍い者が/詩歌の道を朗らかに怖さ知らずで歩んできた/と思う日//…」と始まり、「言葉の道に行き昏れた者」の嘆きを綴る。
 「あとがき」に拠ると、第10詩集とされる。
チューリップ7
Pixabayより、チューリップの1枚。




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 青土社「吉野弘全詩集」(2015年2刷)より、第8詩集「陽を浴びて」を紹介する。
 第7詩集
「叙景」は、先の3月26日の記事にアップした。
 原著は、1983年、青土社・刊。7章に30編を収める。
 第1章の「一夜」には、次のような連がある。「…//――つまらん/顔を上げて、著者が呻いた。…//著者は己の無能を罵倒しそうになりかけて/それができなかった/守護霊が押しとどめていたのだ」。
 第2章の2編は、電車のホームでの2景である。かつての「夕焼け」を思わせる。
 第3章4編は、前詩集「叙景」で充分でなかった、叙景の詩の展開だろう。
 第5章にもある、「漢字喜遊曲」のシリーズを、僕は好まない。字面遊びを好まないから。
 第6章は、電車での思いや、娘たちに仮託して、幸せへの望みを描く。「秋の」以下の6編は、叙景詩の完成であろう。
 「秋の」は、次のように始まる。「秋の方向は/どちら?//答のように/枯葉が散る//…」。
 第7章は「スケッチ」1編のみで、鼻を空に差しこんだような黒い犬が、詩人の姿を思わせる。

チューリップ5
Pixabayより、チューリップの1枚。


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 3月27日の記事「入手した3冊(2)」で紹介した3冊の内、荒川洋治・詩集「北山十八間戸」を読み了える。
 気争社、2016年10月・2刷。今年の鮎川信夫賞を受賞。
 読み了えたと言っても、手応え的に僕にはよくわからない。
 巻頭の「赤砂」は、深沢七郎の「東北の神武たち」のような、農家の兄弟の話と読める。「山なみが/智謀と同じ高さであらわれ」とあり、彼は智謀の人だった。
 「北山十八間戸」では、かつて「水駅」で世界地図より詩を紡んだ詩人が、日本の古い歴史に、「赤江川原」と共に、深い関心を示す。
 「友垣」は、「日のあたる人よりも/日のあたらぬ人の(謄写版の残業は何時まで)/ほうが冷たい」と始まる。高校文芸部の1年先輩の荒川さんがリードして、僕のガリ版詩集「炎の車輪」が出た時、彼は芥川賞作家・多田裕計氏の序文を貰って、自らガリ版刷りをしてくれた。無料の筈はないが、何も知らない僕は支払わず、彼が出してくれたのだろう。暖かい人だ。
 「鉱石の袋」では、「これらの風景を守るために/人は はたらいた 一滴の血も流さずに」と描くけれども、仕事の怪我で僕の両手の人さし指の爪は歪んでおり、また縫合手術を受けた人も周囲にいた。落命した人も含まれるだろう。
 荒川さんは令名高い現代詩作家・評論家であり、僕は無名だけれども、今も詩と短歌の創作を続けられる源の1つは、高校生時代の厳しくも暖かいご薫陶である。


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