風の庫

読んだ本、買った本、トピックスを紹介します。純文学系読書・中心です。

Kindle本の第1歌集「雉子の来る庭」をKDPしました。右サイドバーのアソシエイト・バナーよりか、AmazonのKindleストアで「柴田哲夫 雉子の来る庭」で検索して、購入画面へ行けます。Kindle価格:250円か、Kindle Unlimitedで、お買い求めくださるよう、お願いします。

詩集

 僕はこれまで柴田哲夫のペンネームで、「日々のソネット」、「改訂版 光る波」の2詩集を、Kindle出版してきた。しかし電子出版の代行業者を通じてだった。それなりの反響があり、わずかだが印税を受け取った。
 しかし代行業者を通すと、有料定価での販売が無い場合(無料セール、Kindle Unlimitedの販売のみの場合)、販売冊数、印税の連絡(メールでの)が無い。これまでの出版を経て、ここ2年か全く連絡がない。それにその代行業者に依頼すると、1冊3万円弱の費用がかかる。

 今年に入って、あるサークルのコメントの2、3箇所で、今年の計画として、「Kindle出版を自力で成したい」と書いた。夢物語でなく、計画なので、まずはKDPアカウントをAmazonに登録した。
 参照したのは、海河童さんのガイド本「さるでもできるKindle電子出版2020」の「KDPアカウント情報の登録」の章である。

さるでもできるKindle電子出版

 KDPとは、Kindle Direct Publishing(キンドル ダイレクト パブリッシング)の略号で、AmazonのKindleストアを通じて、電子書籍を配信できる電子出版サービを指す。道程を達成できれば、無料でKindle本を出版し、収入を得ることができる。

 パソコンでKDPアカウント画面を呼び出すと、「あなたは〇〇(僕の本名)さんですね」といった画面が右上に出るので、クリックする。出ない場合は、Amazon登録のメールアドレスとパスワードを入れるらしい。海河童さんのガイドに従って(KDPアカウントの登録に関して、この本が1番詳しいらしい)、登録をする。アメリカに提出する書類には、英数字で記入した。電子署名をアルファベットで入力し、銀行口座を登録し、KDPアカウントの登録の完了である。僕は登録できたようだ。

 Wordでの原稿作成と出版は、他の幾冊かのガイド本(Kindle Unlimited本)に従う予定である。なお印税は、1万円を越えないと口座に振り込まれないらしいので、経験上、当分は諦めている。収入ではなく、出版(作品を読んでもらうこと)が目的である。


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 思潮社・現代詩文庫242「続続 荒川洋治詩集」より、作品論・詩人論、4編を読み了える。
 今月9日の記事、同「散文」を読むに次ぐ。



 4編は、作家・辻原登、詩人の蜂飼耳と森本考徳、詩人・映画人の福間健二による、短い評論である。アンソロジー詩集に付した論だから、批判はほとんどない。
 蜂飼耳の「見たことのない谷間のかたち」に次ぎの1節がある。「いったん見えた方法に、収まって絞り込んでいくのではなく、ときには壊し、放棄しながら、新たな方向を試していく。」状況の変化に依る外的要因もありながら、現代詩作家は「詩は、たとえ遊びと言われようと、新しさを追求しなければいけない」(ある贈賞式での発言)と進化を続ける。僕が「ソネットをライフワークとする」と粘っているのと、大きな差である。また第8回鮎川信夫賞の「受賞の言葉」で「詩ではなく、詩の形をした文学作品をつくりたい」と書いたと、引用している。彼は意外と、創作の秘密を明かす時がある。
 福間健二の「荒川洋治と社会」にも、「詩による小説をめざす。とくに詩集『針原』(一九八二)以来、荒川洋治の作品史にはその流れがある。」と書かれる。
 なお詩集「針原」を批判した人もいたが、ここで擁護したい。「針原」は、彼が高校3年間、三国町から福井市へ毎日、片道1時間かけて通った電車、三国線(今は1両or2両編成で走っている)の途中の駅名である。外国の地名などを取り込んだ彼が、故郷の親しい美しい地名の回帰へ進んだ心情が、僕にはわかった。
 これで現代詩文庫「続続 荒川洋治詩集」の了いである。

 荒川洋治氏は、高校文芸部の1年先輩であり、文学だけでなく、詩集発行や同人詩誌発行で、手間や金銭の面倒までかけた。今でも会った時には、親しく接してくれる。令名高い現代詩作家に、敬愛と反発の2重の念を持っている。
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写真ACより、「キッチン・グッズ」のイラスト1枚。


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 A・幸代さんの個人詩誌「野ゆき」vol.10を読み了える。
 入手は、今月15日の記事、入手した4冊を紹介する(6)にアップした。リンクより、当ブログを開始した2016年の、同・vol.7まで遡り得る。




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 詩誌「野ゆき」は年刊を守って、10年になる。粘り強い着実な歩みである。その間に詩集の発行を挟んでいる。

 「野ゆき」は毎号、5編の短めの詩を載せるようだ。今号には、「でんわ」「ある時」「ひきだし」「空から」「尻尾」を収める。
 職業上の児童との関わりから生まれた、「でんわ」「ある時」は、児童の心を思い遣り、自省している。
 「ひきだし」は、終活?でひきだし1つの整理も進まない様を、「思い出の海におぼれて沈みそうだ」と嘆く。
 「尻尾」では、人間に尻尾があったなら、心を装っていても尻尾が正直に示すだろうかと、内省的である。
 「空から」では、50数年前の旧友を思い遣っている。僕も二十歳頃までの旧友や恩師を偲ぶ時がある。以下に全編を引く。作者のご諒解を得てある。


  空から

空からくるもの
みんな好き
そう豪語する友がいた
雨が降り出すと
傘も持たずにとびだしてゆく
あたりを歩き回って
濡れた制服で戻ってくる
みんなの呆れ顔など気にもしない
雪も大好き
雷も窓辺で空を見上げる

私も空はよく見上げるが
彼女の真似はしなかった
あれから五十数年
今どうしているのだろう




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 思潮社・現代詩文庫242「続続 荒川洋治詩集」より、「未刊詩篇<炭素>」7編を読み了える。
 先行する「詩集<北山十八間戸>全篇」を読む、は今月5日の記事にアップした。



 彼が「文学も出世の手段としか考えない」と、本音か、フィクション混じりにか、書いたことに就いて一言。日本の近代以降の文学者は、世のあぶれ者から出発しながら、芸術家のプライドを保って来た。その流れからすると、彼の1行は許せないかも知れない。しかしヨーロッパの近代文学が多くブルジョアの慰みごとであった事は措き、古代中国の詩人たちが、詩文に依って出世を計った事を考えると、彼の考えも納得できる。しかし現代日本は、古代中国とは違う。

 「伏見」より。「いめひとの伏見/の特徴だ」は、「伏見のいめひと(夢人を連想させる)」を、引っくり返しただけのようだ。「その日から私は変わったと/その日から 日本は変わったと/突然の美しい声で叫ぶ」の楽観には、むしろ危うさを感じる。
 「蔚山」より。戦前の親日作家「白鉄」が病気(肺結核?)の身で、「とてもよく してもらったので」住むことを決め、諦めない希望を「いまでもいちばん人はきれいだ」と、現代詩作家は讃える。
 「プラトン」は、「ソクラテスの弁明」とトルストイ「戦争と平和」を、混ぜ合わせたような作品だ。
 「炭素」は、16歳まで30年間、旺盛な活動をした(年代測定がくるっている)四国の四人の話が、四国生まれの目を治療する少女たちの話にすり替わる。
 「民報」では、「悪化した胸」の作家野川(島に帰った)を、四つ年下の東京の作家が、偲ぶ話である。旧友が村人と交わりを持てていることに、東京の作家は「ひそかに胸をなでおろし」ている。現代詩作家も、多くの旧友(恵まれた境涯にいない)を偲ぶのだろう。
 恩賜賞・芸術院賞を受けた荒川洋治氏の、これからの活動に僕は関心深い。
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写真ACより、「キッチン・グッズ」のイラスト1枚。


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 D・H・ロレンスの「愛と死の詩集」Kindle Unlmited版を、タブレットで読み了える。
 Amazonよりのダウンロードは、今年3月15日の記事、歌集3冊と詩集1冊をダウンロード、で紹介した。




D・H・ロレンス 愛と死の詩集
 安東一郎・訳。(有)グーテンベルク21・刊。Kindle版は、2014年7月4日・刊。432円。
 訳者がD・H・ロレンスの全詩業から、59編を選んで訳出した詩集である。
 読んだ小説「息子と恋人」、「チャタレイ夫人の恋人」(旧訳)が合わなかったとリンクに書いたけれども、結局、この詩集も僕を満足させるものでなかった。読了に月日が掛かったのは、そのせいである。
 ホイットマンの影響を受けたという、説教臭さ、デリカシーの無さだと思う。僕は北原白秋や、戦後「荒地」派の詩を好んで読んだ。
 D・H・ロレンスは生涯、性愛の哲学を叫び続けたと翻訳者は書くけれども、性愛は人生の最大部分ではないと、僕は考える。
 旧いイギリスで、炭鉱夫の息子に生まれた彼が、抑圧と貧困から脱出するために、世に反抗した事は、わかる気がする。



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 思潮社・現代詩文庫242「続続 荒川洋治詩集」より、「詩集<北山十八間戸>全篇」を読み了える。
 先行する、「詩集<実視連星>から」を読む、は先の10月20日に記事アップした。



 実は僕は、詩集「北山十八間戸」が鮎川信夫賞を受賞した時、書店より取り寄せて読んでおり、2017年4月5日の記事にアップした。


 それより、どれだけ読解が進んだかわからない。彼は技術の威嚇論によって戦後詩を切り捨て、IQ高官論によって同輩詩人を切り捨て、詩集「あたらしいぞわたしは」や「ボーセンカ」シリーズで、孤独な道を進んだ。詩「かわら」で「僕もまた政治家なので/文学も出世の手段としか考えない」と語るに至る。
 「北山十八間戸」の冒頭「エンジンについて。/表現の構成要素について。」は、彼の表現意欲の発動点と、二重性格的な面を(「グラムの道」には「性格はひとつになりたい」の1行がある)、表したのだろう。「どこにでも小さな商店のある日本」と一人の僧による「中世の救済院」、ともに人の世のあわれだろう。
 「外地」では竹島や色丹島を、政治論ではなく詩化しようとする。末尾「和傘をひらく」と古い日本寄りを暗示するようだ。
 「赤江川原」は中世の、「近畿」は戦時中の占領地の、日本的心情を、現代の自分が感じているようだ。
 境地は1種清しいらしく、「錫」などに社会的に向日的な行もある。
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写真ACより、「キッチン・グッズ」のイラスト1枚。


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 昨日の記事、「ふくい県詩祭in三国」に参加、のおり会場で頂いた3冊を紹介する。なお当日・10月26日には、他に2冊を入手したけれども、それは明日に紹介する予定である。
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 まずT・篤朗さんより、同人詩誌「果実」81号を頂いた。
 2019年11月、果実の会・刊。50ページ。
 同人が新しく2人加わり、9名。教員・教員経験者を同人とする。

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 無料展示台より、同人詩誌「角」第51号を頂いた。
 2019年9月5日、角の会・刊。30ページ。同人20名。
 若狭を主とし、県内、都内の詩人に同人は及ぶ。

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 これも無料展示台より、笹本淙太郎・詩集「有の光芒」を頂く。角の会・同人。
 2014年8月31日、思潮社・刊。
 2章40編。125ページ。定価:2,400円+税。

 読み了えたなら、ここで紹介する。


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