風の庫

読んだ本、買った本、トピックスを紹介します。純文学系読書・中心です。

読み込み

 2月28日(第4木曜日)午前9時半より、メンバー3人が喫茶店に集まって、短歌研究会B第31回を持った。
 先の1月31日の記事、
同・30回に次ぐ。リンクより、過去記事へ遡り得る。
 僕は早目に来て、ブレンドコーヒーのモーニングを摂りながら、スマホのツイッターを読んでいた。TさんとMさんも早目に現われ、アメリカン・コーヒーを注文した。

 短歌研究会Bは、岩波文庫「宮柊二歌集」(宮英子・高野公彦・編)の読み込みである。
 今回は149ページ、歌集「多く夜の歌」の昭和35年、「野母半島沖」の章から始まる。
野母半島沖
 野母半島は、電子辞書版「広辞苑」第7版にないけれども、ネット検索に依ると、長崎県の長崎半島の別名である。
 「海境(うなさか)に」の歌の、結句「白(しろ)恋ひわたる」の「白」が何かとTさんが問うので、2句「秋雲かかり」の雲だろうと、Mさんと僕は考えた。
私記録詠
 「腕を置く」のうたの下句「沈黙の影吾(われ)にあらずや」は、わざとらしくも取れるが、退職を前に茫然としていたのだろうと、3人の読みが一致した。
 「行為なく逡巡に就き逃走をつねに構へき有体(ありてい)に言はば」の歌に、TさんとMさんは同感するようだった。僕は、組合活動ではないが、権力に反発していた。
 「雨負ひて」の歌の絵の画家、瀧口修造は、夫人・宮英子の従兄にあたる。
 「まつすぐに」の歌の「たまゆら」「揺りて」の語を、詩的だと僕は述べた。

藤棚の下の小室
昭和三十六年 年あらたまる

 歌集「藤棚の下の小室」(1972年・刊)に入る。
 「若きらは国に殉(したが)ひつねにつねに痛ましかりき顧(かへりみ)ざりき」の結句の主語の解釈で意見が違った。僕とMさんが、「若きらは」が主語で、家族や過去を顧みなかったのだと思ったが、Tさんは「世間が」顧みなかったのだと述べた。
梅雨近む
 
2首目の結句「雨夜田蛙(あまよたがはづ)」は、「雨夜雁(あまよかりがね)」の例があると、Tさんが博識を示した。
 3首目の「若葉冷(わかばびえ)して」の句は、「雨夜〇〇」と共に「〇〇冷え」と、作歌に生かせるとMさんが述べた。

 この章で仕舞って(156ページ)、次回の日程を決め、10時40分頃に散会した。
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写真ACより、「キッチン・グッズ」のイラスト1枚。



 

 1月30日(第5水曜日)午前9時半に、メンバー3人が喫茶店に集まって、短歌研究会B第30回を持った。
 
同・第29回は、昨年11月29日に持ち、12月1日の記事にアップした。
 早目に来た僕が、ブレンドコーヒーのモーニングセットを摂りおえる頃、MさんとTさんが現われた。2人とも注文して、大量の歌誌の貸し借り、返却をした。僕は歌誌「覇王樹」2月号を、まだ読んでいないため、2人に僕の歌を読んでもらうだけにした。またある2人の歌人の歌稿、ダウンロードした短歌集プリントなどを、2人に読んでもらった。歌稿は回収して、後に家で廃棄した。
 12月の研究会Bは、歳末近くで忙しいだろうとスルーしたので、約2ヶ月ぶりである。

 短歌研究会Bは、岩波文庫「宮柊二歌集」(宮英子・高野公彦・編)の読み込みである。
 第6歌集「多く夜の歌」(1961年、白玉書房・刊)分の、146ページより。
「黒き山」の章より。
 夜間の飛行機からの眺めである。初めの「昇りつく」の歌の「呎」は「フィート」である。僕が推測して、電子辞書で確認してあった。
 中下句「月白くかがやくを見る物体として」の結句は、感情移入のない、冷静な観かたである。
 初句2句「密雲の間(ひま)に聳(た)ちつつ」の「聳つ」の読ませ方は珍しい。
「北辺行」の章より。
 北海道旅行詠である。歌人として、先の章と共に、歌会、講演などに招かれて、旅が多かったのだろう。
 章題は「ほくへんこう」と読むのだろうと、3人で推測した。
 下句「白波寂し潮けぶりして」は、結句で決めている。
 2句~4句が「陸に直入せん際(きは)の雁の羽音(はおと)の」は、2句から3句にかけて、句跨りである。
 昭和三十五年に入る。

「二月まで」の節より。
 「野火止(のびどめ)の寺の厨を流れつつ春の引水(ひきみづ)せせらぐものを」の1首、初句の「の」は、主語を示す「の」だとTさんが指摘し、それならとMさんと僕は納得した。

 149ページまでで、僕の臀部痛もあり、ここで仕舞う事にした。次回の日程を決め、10時半過ぎに散会した。
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写真ACより、「乗り物」のイラスト1枚。



 先の11月29日(木曜日)の午前9時半より、メンバー3人が喫茶店に集まって、短歌研究会B第29回を持った。
 前回は先の11月1日の記事、
「短歌研究会のお食事会」にアップした。
 僕はブレンドコーヒーのモーニングセット、Mさんはアメリカンコーヒーのモーニングセット、Tさんはアメリカンコーヒーを注文した。歌誌の貸し借り、返却をして、食を済ます。
 短歌研究会Bは、岩波文庫「宮柊二歌集」(宮英子・高野公彦・編)の読み込みである。
 今回は、歌集「多く夜の歌」昭和33年の、「重い光」の章(141ページ)よりである。
「重い光」の章
 初めの歌の中下句「戦後倚りて生き得し机の埃を拭かん」は、文筆によって得た収入を指すだろうと意見が一致した。
 次の歌の結句「歩みをり孤(ひと)り」の倒置は、作者の強い拘りがあったのだろう。
「阿蘇」の節(142ページ)
 初めの歌の「阿蘇谷(あそだに)の一千町歩」は、田圃の事ではなく、草原を指すのだろうか。続いて田圃の歌があるので、はっきりとわからない。
 次の歌「有明(ありあけ)の湾より誘ひ鴨獲(と)ると冬田に水を湖(うみ)のごと張る」の獲り方は、器械発射の投網だろうかと、推測した。
 昭和34年に入る。
「正月の星」の節
 3首目の中下句「充ち足れる平和のごともうらがなしきを」は「悲しい」ではなく、古語の「かなし」の意だろう。
「半歳」の章

 章の名の意が、2首目に出て来る末っ子「夏実さん」が半歳だったのか、半年間の意なのか、3人にはわからなかった。
 「石垣の石すきまなく積まれたるその堅固さよ恥のごとしも」の石垣を、僕は城壁しか思い浮かばなくて、「恥」の意がわからなかった。Tさんが、垣根に石を積んだのだろうと言い、僕もそれなら有り得ると思った。
「父最期」の章(145ページ)
 「わが膝の上に抱(いだ)かれ息を引く父を見守る家族十一人」は、幸せな逝き方だと、女性2人は納得し合っていた。
 この章の終わり(146ページ初め)で、かなり進んだので、今回の研究会を締める事にした。
 次回の日程を決め、10時半過ぎに散会した。
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写真ACより、「ケーキ」のイラスト1枚。

 

 9月27日の午前9時半より、メンバー3人が喫茶店に集まって、短歌研究会B第27回を持った。
 
同・第26回の記事は、7月31日にアップしており、8月が同・Aと同じく休みであり、2ヶ月ぶりの研究会Bである。
 僕はアイスコーヒーを、2人はアメリカンコーヒーを注文し、歌誌の貸し借り、返却のあと、研究会Bに入る。短歌研究会Bは、岩波文庫「宮柊二歌集」(宮英子・高野公彦・編)の読み込みである。

 今回は132ページ、歌集「多く夜の歌」の1956年の初めの章「夜の雲」よりである。
 「尋常にめぐりきたれるこの朝の空気つめたく寒きをよろこぶ」は、尋常な朝を喜ぶ、新年詠であろう。
 「ふるさとは影置く紫蘇も桑の木も一様(いちやう)に寂し晩夏のひかり」に「寂し」と出て来るけれども、今回読んだ7ページの内、これを含めて「寂し」が2回、「寂しき」、「寂しさ」、「寂しきかなや」、「寂しく」、「寂しかる」が各1回用いられて、つくづく寂しい歌人だったと、身に沁みる。
 134ページの「粗組の家」では、自分たちの家が竣る事を喜ぶ。
 日本の原子力発電、人工衛星の出来事を、さっそく詠み込んでいる。
 138ページのしまい、「教団望看」のしまいで、僕がこの所の臀部の痛みが強く、ギブアップした。10時半だった。次の研究会の日程を決め、散会した

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写真ACより、「お花屋さん」のイラスト1枚。


 7月29日(第5日曜日)の午前9時半、3人のメンバーが喫茶店に集まって、短歌研究会B第26回を持った。
 先の6月27日の記事、
同・第25回に次ぐ。
 僕がアイスコーヒーのモーニングセット、Mさんがブレンドコーヒーのモーニングセット、Tさんがアメリカンコーヒーを注文した。
 歌誌の貸し借り、返却や、短歌会F支部の様子を伺うなどした。

 研究会Bは、岩波文庫「宮柊二歌集」(宮英子・高野公彦・編)の読み込みである。
 今回は、127ページ、昭和三十年の「元日晨朝」の節からである。

 128ページの初め、上の句の「貧しかる俸給取兼詩人にて」はなぜ「歌人」ではいけなかったのか。詩人かつ歌人を自称する僕の、拘る所である。

 「櫓の下」の2首目、「ゆたかなる霜置きしかば青のいろ賑はふに似て野の川くだる」の「青のいろ」は草の事か、川水の事か、僕は迷ったのだが、Tさんは歌の流れから、草の事だろうと判じた。
 同・4首目の、馬の蹄を洗いやる夢は、戦時経験が長く残っていたのだろう。

 「病後小吟」の節の1首目、下句の「むらさきかなし桐の花咲き」は、倒置法である。
 同・3首目の4句「引揚げてきて」は、戦地からの引揚げ者を指す。


 130ページに入って、「椎の実机にころがせり」の2句3句は、「椎の実を机(き)にころがせり」とすれば、音数は合う。もちろん作者には、わかっていた事だろう。

 131ページの、下句「路地行けば軒に鮟鱇吊らる」の軒は、魚屋の軒だろう、と感想が一致した。
 その他にも、様々に語ったが、ここに書ききれない。

 次回の日程を決め、10時半過ぎに散会した。
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 写真ACより、「お花屋さん」のイラスト1枚。



 6月26日(火曜日)の午前9時半より、メンバー3人が喫茶店に集まって、短歌研究会B第25回を持った。
 今月1日の記事、
同・第24回に次ぐ。
 僕がアイスコーヒーのモーニングセット、Mさんがブレンドコーヒーのモーニングセット、Tさんがアメリカンコーヒーを注文した。
 飲食しつつ歌誌・歌集の貸し借り・返却、詩誌の贈呈のあと、研究会に入る。
 研究会Bは、岩波文庫「宮柊二歌集」(宮英子・高野公彦・編)の読み込みである。
 今回は、歌集「多く夜の歌」の「瑠璃と紅」の章の「西国行」の節、124ページからである。

 初めの歌の4句5句「今年のわかき藺田(ゐだ)うち見ゆる」の「うち」と連体形は、貧しいながら農業生産の場(宮柊二は書店の息子で、農業経験がない)の力強さを感じたのだろう。

 2首目の4句5句「原民喜詩碑に対ひ立てりあはれ」は、結句が9音になっても、「対ひて立てり」では済まない、強い思いがあったのだろう。

 「高井戸の家」の章に入り、2首目「人間を大事にせざる実験の大き規模おもひこころ激(たぎ)ち来(く)は、当時の米ソの水爆実験を指すようだ。

 5首目「弁明をせずに生きむとおもふけど弁明以外の何を饒舌(しやべ)らむ」で、「けど」の口語は、「しゃべらん」の口語に繋がるのだろう。


 126ページの3首目の初句2句「ならびたる野菜なつかし」で懐かしいのは、僕は戦後復興を、Tさんは故郷を思っての事、と解した。

 次の「庭土の凹処(くぼど)に溜る雨水(あまみづ)が」の歌に惹かれると、Mさんが述べた。
 
 「しづかに映す」、「このしづかなる」の句が目立ち、心の静かさを、宮柊二は願ったのだろう。

 127ページの「十国峠」の節で今回の研究会を了えた。
 次回の日程を決め、10時半過ぎに散会した。
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写真ACより、「おもてなし」のイラスト1枚。


 5月31日(第5木曜日)の午前9時半より、メンバー3人が喫茶店の1隅に集まって、短歌研究会B第24回を持った。
 4月25日の記事、
同・第23回に次ぐ。
 僕がアイスコーヒーを、Mさんがブレンドコーヒーを、Tさんがアメリカンコーヒーを注文し、歌誌・歌集の貸し借り・返却の後、研究会Bに入る。
 研究会Bは、岩波文庫「宮柊二歌集」(宮英子・高野公彦・編)の読み込みである。
 今回は、120ページの始め、歌集「多く夜の歌」の「北海道羈旅」の章の途中からである。
 初めの「表現は生(せい)の営為につながると我はしも言へりこころ定(さだ)めて」は、厳しい言葉である。ただし次の章には、「わがうちの見悪(みにく)き悪魔をりをりに笑ひてゐたり見てをりき我は」の歌もあり、聖人的な生を送っていた訳ではなさそうだ。
 「八月の歌」の節の何気ない生活詠3首は、「八月」の示すように、戦争体験をへて生活の平穏を大事にする思いの表われだろう。
 章題「自方冬至短至」の読み方、意味が3名共にわからない。
 「楊(やなぎ)のわた」の語がはっきりしないTさんに、僕は「柳絮」の語があると示し、Tさんも電子辞書の広辞苑で確認した。
 123ページの「瑠璃と紅」の章に、「ひらめきし稲妻のなか卓に置く指太きこの消極の掌(て)よ」、「おもほえば恥ふかむのみ一切事(いつさいじ)(あく)せぬのみの茫々にあり」の2首がある。従軍経験を経た身は、一切の悪を為さない覚悟があり、家族を守る・短歌で活躍する、という積極の事を成している、と3人で話し合った。
 様々に語り合ったが、書ききれない事もある。
 次回の予定を決め、10時半過ぎに散会した。
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写真ACより、「ファンタジー」のイラスト1枚。




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