CIMG9212
 この11月20日の「2016ふくい詩祭」のおりに頂いた本より、金田久璋・詩集「賜物」を紹介する。
 2016年10月、土曜美術社出版販売・刊。第3詩集。
 まず装丁を褒めておこう。紙本出版の夕映えを見るように、帯とカバーが渋く立派である。
 初めの「サテュロス」での「おのずと」「とんと」、「前と後」での「いやサ」「もっとも」などの修飾語が煩わしく、作品の豊穣になっていない。簡潔文を主張するのではないが、省き得る語は、自戒を含めて、省きたい。
 「サテュロス」の結末で「そこはそこ/臨機応変ってこともある/北風と太陽を按配よく使い分け/そこそこ方便交え 世間と折り合いをつけて/人生ほどよくしたたかに/時には鼻息荒く/嘯(うそぶ)いて」の処世術が、あざとい。地位を登ろうとする者の、それだろう。ヒラのまま定年を迎えると判った僕のそれは、「慎重、忍耐、面従腹背」であった。職をリタイアすると、面従腹背はない。
 「背中を流す」は、風呂で夫が妻の背を流す、睦まじさを描いている。悪性腫瘍を疑われたが、生検の結果、手術を免れた安堵の夜に。
 「パントマイム」の「知っているのだ なによりも柵や網が監獄であることを」の1行は、「なによりも」の句に疑問が残るが、優秀である。僕にすれば、壁も、すべての人間関係も監獄である。ネットと文学に救済の機会を夢見ている。