風の庫

読んだ本、買った本、トピックスを紹介します。純文学系読書・中心です。

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違和感

 tweetを通して入手した、神戸大学短歌会の年刊誌「神大短歌」vol.7を、ほぼ読み了える。
神大短歌vol.7
 2021年1月17日・刊。96ページ。「贈答歌」「付け句短歌」のページの余裕もある

 購入は先の2月27日の記事、届いた5冊を紹介する(3)に報せた。


 通読して気づくのは、大学生にして既に過去を懐かしむ歌や、自死の念に関わる歌のある事だ。
 句割れ、句跨り、字余りなどが自在に使われている。それらは社会への違和感や、対人の不安を、文字以外で微かに示すものではなかったか。
 1首評で、井井さんが服部真里子・第2歌集「遠くの敵や硝子を」より、次の1首を解き明かしている。「手のように白い梨むき逃れゆくものがみな夜逃れる不思議」。僕は「こんなもん知らんわ。放るわ」と放り出したい。井井さんは、「手」が過去に経験した手で、後半の断定的表現と相俟って、読み手に開かれているとする。「手のように/白い梨むき/逃れゆく/ものがみな夜/逃れる不思議」と各句を明確にすると、少しわかりやすい。
 僕は実は服部真里子の歌が好きで、第1歌集「行け広野へと」も第2歌集「遠くの敵や硝子を」も取り寄せて読んだ。第2歌集は、2018年11月9日の記事にアップし、第1歌集の感想にリンクしてある。残念ながら療養生活に入ったようで、現在の活動を僕は知らない。

 (リンクでは、画像が消えています)。

 以下に6首を上げて寸感を付す。
続かない美談を補訂していたが巨悪によって身を滅ぼした(府田確。安倍政権を指すか)
覚えてるビニール袋にいるときに金魚はいちばんうつくしいこと(奥村鼓太郎。幼年時代への感傷?)
ずっと戦ってきたんだ。やわらかに背筋を伸ばす術を知らない(上村優香。孤独に?戦う若者)
目薬を差すのが下手な君にだけ見える世界があると知った日(掃除当番。不器用な人の良さを知る成長)
寝ることに飽きて食事にも飽きてピアノ教室調べてみたり(緒川那智・OG。余裕か倦怠か)
町中が朝を迎える いいね 蝶 人間つねに悲しい足音(川嶋ぱんだ・OB。蝶を羨む程に不幸)


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 7月14日(第2火曜日)の午前10時より、公民館の1室で、和田たんぽぽ読書会の7月例会が持たれた。
 6月例会は、先の6月17日の記事にアップした。



島本理生 ファーストラブ
 7月読書会の課題本は、島本理生の長編小説「ファーストラヴ」だった。なおこの作品は、第159回直木賞を受賞している。自傷のため買った包丁が、誤まって父に刺さったが、女子大生はその場を放棄してしまう事件を扱う。
 連絡先と体温が37・5度以下である事の記入、全員マスク、窓を開け放ち、互いに距離を置いての読書会だった。
 島本理生の生活、被批評、などを図書で調べた人、飛ばし読みしたけれど内容が重くて深いと述べる人がいた。ある人は、主人公の母親が考えられない、言いたいことはわかるけれども、と語った。
 僕は摘まみ読みで通読しなかった。ストーリーが読めてしまうこと、裁判での量刑が不自然なこと(過失致死と保護者遺棄(?)で懲役8年は重いと思われた)、裁判後には真実の追及に関わった人々が幸せになってしまうことなどに、違和感を感じた。
 ストーリーに自分の幼年時代を重ねて感情移入する人、男性二人に仏教から来た名を付けていることに作者の思いを推測する人もいた。
 作品は、若者から先輩へのプレゼントだ、との発言がまとめになった。
 コロナ禍のため部屋の使用が1時間に制限されていた。ぼくが先日、県立図書館のかたらい文庫で借りた、三浦しをん「愛なき世界」を7人全員に配って、11時過ぎに散会した。



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 2002年、砂子屋書房・刊の「葛原妙子全歌集」より、第6歌集、「葡萄木立」を読み了える。
 第5歌集「原牛」の感想は、先の3月15日の記事にアップした。



 原著は、1963年、白玉書房・刊。557首、著者・後記を収める。
 日中戦争が1937年に始まり、1939年に32歳で太田水穂「潮音」に入った葛原妙子にとり、戦後の富裕な生活の中で、平和に違和感を持っていたのだろう。先の「原牛」にも「異変に飢うる」の言葉がある。
 前衛短歌運動が、様々な手法的財産を遺しつつ、平和な時代に咲いた徒花のように思える。俵万智「サラダ記念日」に依って、戦後短歌より、現代短歌へ舵を切ったと、俵万智・以降に短歌を始めた僕は感じる。
 幻想、妄想の中に、罪の意識が垣間見えたりする。有名な「晩夏光おとろへし夕」の歌も、大胆な字足らずだけれども、厨歌である。中句欠の歌も、また詠まれている。60年安保に関わるらしい歌が、わずかにある。
 リアルな日常詠に好感を持つだけに、前衛短歌の奇異に走ったのは惜しい。


 以下に7首を引く。正字を新字に替えてある。
たれかいま眸を洗へる 夜の更に をとめごの黒き眸流れたり
口中に一粒の葡萄を潰したりすなはちわが目ふと暗きかも
激突の叫喚は靄の中なるをあるものは人の耳に聴こえず
われはいま氷の墓原に出没す奇怪ならじか杳けし 人よ
硝子戸に嵐閃き髪洗ふわが専念はふかしぎならむ
統率はさびしからじかこども率
(ゐ)ておみなの教師路上を過ぎにき
鋭角の影置くかほにあらはるる苦渋ありありと冬の医師なりき
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写真ACより、「アジアンフード&ドリンク」のイラスト1枚。





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 メンバー3人の所、短歌研究会A第67回を、コロナ禍で会合もならず、TさんとスマホのSMSと電話で開いた。Mさんには、やんわりと断られた。
 先の第66回は、3月18日の記事にアップした。



 まずスマホのSMSで(LINEはしていないので)、お互い5首ずつを示した。
 僕はTさんの歌にSMSで感想を述べ、Tさんはまだるこしいと電話で僕の歌の感想を伝えた。
Tさんの5首より。
 1首めの3句4句が「雲雀は鳴き山ざくら咲く」とあるのを、3句「雲雀鳴き」と4句と対句にするよう奨めたが、Tさんには拘りがあるようで、その儘となった。
 5首めの筍掘りの歌は、パンデミック下の日常を描いて優れている。
僕の5首より。
 3首めの2句3句「山鳩が啼く 夕べには」の繋がり方に、Tさんは違和感があったようだ。表示の都合で丁度、1字アキがわかりにくかったのかも知れない。
 4首めの2句3句「雲雀の鳴くが日本には」の「が」での繋がり方にも違和感があったようだ。古典文法のTさんの詠み方では、「雲雀の鳴けど」となる所かも知れない。

 電話で、会合でなく、スマホで歌会をするのは淋しいと言い合って、会を了えた。
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写真ACより、「アジアンフード&ドリンク」のイラスト1枚。


 
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 今月2日の記事、山田詠美「蝶々の纏足」を読む、に次ぎ同書の「風葬の教室」「こぎつねこん」を読み了える。


蝶々の纏足・風葬の教室
 「風葬の教室」は転校した女生徒(中学生?)が、クラス員から苛められる話である。苛めがエスカレートして、「私」は死を決意する。しかし母と不良の姉の会話から、家族の幸福への責任を感じ、クラス員全員を心の内に殺す事を決め、翻意する。
 クラス員の仕掛けの言葉に、思いきり侮蔑を込めて返し、それは成功する。心の墓地の死体に、土も被せず、風葬とする事で、題名と繋がる。このような学級生活もまた、苦しいものだろうと、思いが湧く。


 「こぎつねこん」は短い小説である。母に童謡を歌ってもらうなど、親身にされた時、叫びを上げる発作が起きるようになる。後年、成長して男と同じ床で幸せに眠ろうとする時も、同じ衝動が湧く。
 幸福の中の孤独を知ったのか、「自分は幸福になってはいけない」と思い込んだのか、わからない。世間との違和感が、山田詠美を作家へ導いた事は確かである。


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 江國香織の短編小説集、「号泣する準備はできていた」を読み了える。
 長く文庫本棚にあったのだが、題名に少し引いていた。
 彼女の小説は、先の9月8日の記事、
同「きらきらひかる」を読む、に次ぐ。
概要
 新潮文庫。2007年、10刷。233ページ。12編の短編小説を収める。
 この短編集に由り、2004年、直木賞を受賞した。
感想
 初めの2編、「前進、もしくは前進のように思われるもの」、「じゃこじゃこのビスケット」は、男女の心の擦れ違いから生まれる、カップルの違和感を描く。
 この短編集に登場する男女は、どうしてこう不倫をするのだろう。夫が、妻が、あるいは双方が不倫をしている。標題作「号泣する準備はできていた」では、別れて出て行った男が、「ときどきやってきて、またでていく」という状態だ。
 だから最後の「そこなう」で、不倫相手の男が離婚して、「これからはずっと一緒だから」と言っても、満足感を持てない。
 一夫一婦制に無理があるとか、性の解放だとか言っても、今の社会では無理だろう。登場人物は、フリーランスか中産階級で、そのような放恣があり得るのだろう。
 「きらきらひかる」でも、ホモの夫の睦月は医師、妻の笑子は翻訳家、の設定だった。




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いつも空をみて
 浅羽佐和子・歌集「いつも空をみて」kindle unlimited版を、タブレットで読み了える。
 ダウンロードは今月16日の記事、
「入手した3冊(3)」にアップした。
概要
 シリーズ名、各版の出版時期、価格は、上記のリンクに書いたので、ご参照ください。
 浅羽佐和子(あさば・さわこ)は、1972年・生。2001年・未来短歌会入会。2009年・未来年間賞受賞。
 「いつも空をみて」には歌集編に、加藤治郎・解説「空を見上げる」、後記「短歌とわたし」を収める。
感想
 Ⅲ章に別れ、第Ⅰ章ではありがちな、危うげな恋が描かれる。若い女性の短歌は、悲恋ものが多い、と思ってしまう。
 第Ⅱ章では、いきなり長女出産後の子育てが描かれる。優しい母親だけでは、いられないようだ。
 仕事はSEのそれもマネジメント役として、キャリアを積んでいる。
 生活の違和感を、字余りの多い歌で訴えている。
 「男は気づかない振りをしている」か「ほんとうに気づかない」と断罪される。気づいて子育てに参加しても、男は仕事が100%うまく行かなかったり、昇進に響いては、1家で困ると思うのだろうか。
 第Ⅲ章では、次女誕生の出産場面から、2人の子育てとなる。女性に不利な社会の仕組みだと思うけれども、僕には提言の言葉がない。
 彼女が短歌を続けて、良い家族関係となり、仕事で奮励する、日が来る事を願うのみである。
引用

 以下に7首を引く。
返事せぬままのメールがそれぞれの表情をして私を見てる
恋人が雨の匂いを消してゆく 花の図鑑はもう開かない
眠いのに眠れない子にいなりずしみたいな足でほっぺを蹴られ
暗闇の全件削除した指に煙のようなにおいが残る
予定日がこわい、私の愛情がなにものかにまた試されるようで
真夜中に何度も私の手をさがす見つけてなでてそしてまた寝る
この鍵をグルッとまわして母親に戻らなきゃいけないんだ、さあ



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