風の庫

読んだ本、買った本、トピックスを紹介します。純文学系読書・中心です。

 お報らせです。2020年9月6日で以って、Kindle本「少年詩集 鳶の歌」を自力発行致しました。原稿は自分で作成し、表紙はデザイナーさんにお願いしました。上梓は自力で行いました。
 Amazonの「Kindleストア」カテゴリで、「少年詩集 鳶の歌」と検索すれば、すぐに出て来ます。右サイドバーのバナーよりも至れます。僕のペンネームは柴田哲夫です。価格は500円ですが、Kindle Unlimited版を追加金無料で購入できます。多くの方のご購読を願っております。

魂鎮め

 土曜美術社出版販売の新・日本現代詩文庫150「山田清吉詩集」より、5番めの「だんだんたんぼ」(抄)を読み了える。
 先行する同「田んぼ」全篇は、今月3日の記事にアップした。



 「だんだんたんぼ」は、2004年、紫陽社・刊。27編を抄出する。
 「あのとき」は、軍靴に踏みにじられた女性、戦後パンパンとなった女性を、半世紀を過ぎながら、詩に化することによって、幻想的に昇華することで魂鎮めしている。
 「ちょっとまて」は、父親を亡くした孫たちに、米を運ぼうとして、警察に捕まる媼を描く。「でものう 天子様にあげた命二ツ/息子二人をここに連れて来てくださらんか/そうすれぁこの米でも/己
(うら)の命でも置いていきますげの」と、媼に成り代わって方言で歌うことで、戦争の悲惨と、戦後も相変わらずの官憲の愚をあばいて、絶唱である。
 「人間であることが嫌になる今日此の頃」では、自衛隊によって憲法第九条を空文化し、海外派遣に至る頃を描いて、スローガン的ながら痛烈である。
 自分の葬儀を想定した作品は、これまでの詩集と同じく混ざっている。
 「雨の中の稲刈り」「足踏み脱穀機」「百姓の手」が、農民の苦しみを訥々と作品化した。

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写真ACより、「カーメンテナンス」のイラスト1枚。


 先の10月28日の記事、ふくい県詩祭で頂いた3冊、で紹介した内、同人詩誌「角(つの)」第51号を読み了える。


 今年7月11日の記事に、同・第50号を読む、をアップした。



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 第51号は、2019年9月5日、角の会・刊。詩は12名12編、散文で特集・第二回蝸牛忌の3名3編を収める。
 O・雅彦「やむやの淵の記憶」は、塩冶(やむや)の淵の岸辺で、詐計を用いたヤマトタケルに敗れるイヅモタケルに、自分をなぞらえる事で、自分の人間性と反権力性を表現している。
 K・悦子さんは「夏のソネット」を寄せる。県内の同人詩誌で最近、ソネットを散見する。僕のソネットに倣った訳ではないだろうが、詩ではソネットばかり書く者として、ソネットの隆盛を願う。
 Y・清吉さんの「ぽかんの刻(とき)」は、「いつからか知らんが/なーもかんじん/なーもおもわん」と始まって、「ただぽかんと静かに/何かを待つ 己がいた」で締める。老耄の心境を開示して、新しい詩境を拓いた。

 特集・第二回蝸牛忌では、同人外ながらK・不二夫さんの「蝸牛忌の鼎談から「ワキ的位置に立つ詩人 岡崎純」」に不満である。鼎談の直前の、先輩詩人・定道明さんの講演(長年の交流、実地検証、長い考究による実証的なものだった)を、K・不二夫さんが否定して、印象批評を述べた事に反発を感じた。本文では「作家論的に語れない弱みから、・・・」と認めている。
 また岡崎純さんのエッセイ「詩人のワキ的存在について」から、詩集「重箱」「藁」の作品を能になぞらえているが、不十分である。ワキ(主に僧)が、浮かばれぬシテの霊を、誦経などにより魂鎮めして、成仏させるのが、能のストーリーである(僕は朝日古典全書「謡曲集」全3冊を読んだ)。能になぞらえるなら、ワキ(詩人)がシテ(家族や農民の魂)を呼び出すだけでなく、詩化する事で鎮める、岡崎純の初期作品である。



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 今月20日の記事、「届いた1冊、頂いた7冊」で紹介した内、3番目の千葉晃弘・詩集「降誕」を読み了える。
概要
 2018年11月1日、鯖江詩の会・刊。134ページ。46編と「あとがきに代えて」、初出1覧、著作1覧を収める。
 詩集「ぼくらを運んだ電車」より、17年ぶりの詩集である。
 彼は同人詩誌「青魚」の発行者である。彼のおおらかな性格に惹かれ、様々な詩人が集まっている。「来る者は拒まず、去る者は追わず」の方針らしく(明文化された事はない)、散文のみの人を含め、現在の同人16名、No.89に至っている。
感想
 標題作の「降誕」は、クリスマス・イヴにケーキを買って帰るサラリーマンを描く。クリスチャンという訳ではなく、あとがきで「信仰に支えられた人間を示し合うべきと…」と述べている。
 若い母を描いた「おひつ」「アーちゃん」、中年の母を描いた「クレオン」「しゃがむ母」、晩年の母を描いた「夕焼け」「ジェスチャー」「母の遺言」。若い父や義父たちを描いた「十八番」、晩年の父を描いた「便所博士」。彼風の挽歌、魂鎮めだろう。
 少年時代からの友人、学生時代に下宿した幾つかの寺の住み込み人たち、と回想の詩が多い。なりゆきで結婚したという妻、なりゆきでケイタイを買いなりゆきで買い直したと、人生の真実をユーモラスに描いた「つれあい」、母の遺影の前に水を一杯置き、妻の前に罪ほろぼしのために1盃を置くという毎日の、しみじみとした作品「一杯」がある。
 「非凡なる凡人」と、「炭焼きの山と谷」~「生徒手帳」の5編は、散文詩でエッセイ風でもある。
 疎かな詩人たちを率いて、大人(たいじん)の歩みを続けてほしい。



 

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