詩祭全景
 11月18日(第3日曜日)午後1時半より、Aossaビル3Fの「ウェルアオッサ」にて、福井県詩人懇話会・主催の「2018 ふくい詩祭」が催され、僕もカメラ役を兼ねて参加した。
 「2017 ふくい詩祭」は、昨年11月20日の記事にアップした。
 参加者は、事務局に拠ると、49名だった。(12月4日:訂正。事務局長に拠ると、招待者等を含めれば60名前後の参加者だった)。写真に入りきらなかった方、席を外していた方、後から来場した方を含む。
 S・なおみさんの総合司会のもと、懇話会代表のW・本爾さんの開会挨拶より始まった。
 K・久璋さん、H・裕子さん、H・信和さんの3名が、コメントとともに自作詩1編を朗読した。
 そのあと尺八演奏家・平林火山(ひらばやし・かざん)さんの尺八で「山越」「鶴の巣ごもり」、横笛で「秋の歌メドレー」(童謡より)の演奏があった。皆がしみじみと聞き惚れた。
 詩祭のテーマは、詩人・鮎川信夫(1920年~1986年)を巡ってであって、基調講演は批評家・樋口義澄(ひぐち・よしずみ、著書「鮎川信夫 橋上の詩学」あり)氏の「鮎川信夫と現代」だった。シンポジウムでも客席最前列から、コーデイネーターに振られてよく発言していたので、シンポジウムの項で述べる。
 休憩のあと、シンポジウム「荒地の詩人、鮎川信夫を現代(いま)に問う」が始まる。福井の詩人・金田久璋(かねだ・ひさあき)氏のコーディネートのもと、詩人・河津聖恵(かわづ・きよえ)氏、詩人・正津勉(しょうづ・べん)氏、詩人・細見和之(ほそみ・かずゆき)氏が、基調講演の樋口義澄氏の会場よりの発言もまじえ、パネルディスカッションを行った。
 鮎川信夫の父との関係、夫人を隠し子のいなかった事、ユーモア、風土(福井県奥越の山深くで生まれ成長し、1945年2月に「戦中手記」を福井県三方郡の傷痍軍人療養所病棟で密かに書いた)と世代(従軍世代)の問題、孤絶と共同(「荒地」での共同は、言葉の構築による詩、という一致があった故らしい)、アメリカ寄りだった彼の、トランプ大統領が現われる等の現代における意義、に就いて、細かく討議された。没後に見られた彼の私室(ベッドと粗末な机のみで、そこで詩作したらしい)が、今で言うゴミ屋敷で極っており、写真を見た人はショックを受けたと揃って述べた。

 会場からの発言もあり、予定通りの5時に懇話会副代表のM・幸雄さんの閉会挨拶で締め括った。
 このあと同会場で懇親会が催されたが、僕は失礼して帰宅した。