吟遊社「春山行夫詩集」(1990年・刊、ほぼ全詩集)より、手書き本詩集「水の黄昏」の2回目の紹介をする。
同・(1)は、今月17日の記事にアップした。
概要
前回のしまいの「宝石の盗人」に続く、「秋と印度人」(378ページ)より、詩集しまいの短詩連作「花 花」(407ページ)に至る、21編を読み了える。
感想と引用
エキゾチシズムの作品が続くが、宗教の関わる「暗い窓」に至ると、とたんに暗くなる。末連4行を引用する。
あてどもなしに生きて来た
私は一匹のさまよふ小蟻のやうだ。
私はいまは夕暮れのむかふの国へ行かうと思ふ。
私の頭の上にはもう玉虫も飛ばない。
「美しい公園」は、孤独なモダニストの真情のようである。初め1連4行を引く。
私は今日も美しい公園へ行きたい
躑躅でいっぱいの池のほとりに
古びた腰掛(ベンチ)は私を待ってゐるであらう
私はやさしい柳の下で魚のやうに考へてゐたい
短詩「別離」は、「左様なら」「もういヽかげん忘れてしまほふね」と繰り返し、敗北の予感のようだ。
短詩連作「耶路撤冷(イエルサレム)春秋」では、
基督よ 私に銀の星落ちた馬槽を与えたまへ!
の1行を書いて、キリストの再来たらん、あるいは恩寵を受ける稀人たらん、とするかのようだ。ただし終行は、次のようである。
基督よ樹なく煙なく王女ない私の耶路撤冷に雪ふらせたまへ!
この初期詩集の意味のある詩編には、ポエジーを感じる。
なお引用中、正字を新字に替えた所があります。

写真ACの「童話lキャラクター」より、「かぐや姫」の1枚。


同・(1)は、今月17日の記事にアップした。
概要
前回のしまいの「宝石の盗人」に続く、「秋と印度人」(378ページ)より、詩集しまいの短詩連作「花 花」(407ページ)に至る、21編を読み了える。
感想と引用
エキゾチシズムの作品が続くが、宗教の関わる「暗い窓」に至ると、とたんに暗くなる。末連4行を引用する。
あてどもなしに生きて来た
私は一匹のさまよふ小蟻のやうだ。
私はいまは夕暮れのむかふの国へ行かうと思ふ。
私の頭の上にはもう玉虫も飛ばない。
「美しい公園」は、孤独なモダニストの真情のようである。初め1連4行を引く。
私は今日も美しい公園へ行きたい
躑躅でいっぱいの池のほとりに
古びた腰掛(ベンチ)は私を待ってゐるであらう
私はやさしい柳の下で魚のやうに考へてゐたい
短詩「別離」は、「左様なら」「もういヽかげん忘れてしまほふね」と繰り返し、敗北の予感のようだ。
短詩連作「耶路撤冷(イエルサレム)春秋」では、
基督よ 私に銀の星落ちた馬槽を与えたまへ!
の1行を書いて、キリストの再来たらん、あるいは恩寵を受ける稀人たらん、とするかのようだ。ただし終行は、次のようである。
基督よ樹なく煙なく王女ない私の耶路撤冷に雪ふらせたまへ!
この初期詩集の意味のある詩編には、ポエジーを感じる。
なお引用中、正字を新字に替えた所があります。

写真ACの「童話lキャラクター」より、「かぐや姫」の1枚。


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