風の庫

読んだ本、買った本、トピックスを紹介します。純文学系読書・中心です。

Kindle本の第1歌集「雉子の来る庭」をKDPしました。右サイドバーのアソシエイト・バナーよりか、AmazonのKindleストアで「柴田哲夫 雉子の来る庭」で検索して、購入画面へ行けます。Kindle価格:250円か、Kindle Unlimitedで、お買い求めくださるよう、お願いします。

2017年07月

 7月30日(第5日曜日)の朝9時半に、メンバー3人がある喫茶店の1隅に集まり、短歌研究会B第17回を持った。
 
同・第16回は、今月1日の記事にアップした。
 研究会の前に、少し早く来た僕は、かき氷のレモンを食べていた。やって来た2人は、アイス菓子とアイスコーヒーを摂った。歌誌の貸し借り、返却をする。
 研究会Bは、岩波文庫「宮柊二歌集」(宮英子・高野公彦・編)の、読み込みである。
 前回に続き、歌集「晩夏」の「砂光る」の章(86ページ)の初めより。
 1首目の「重ねこし両手(もろて)を解きて椅子を立つ判決放送の終りたるゆゑ」の初句、なぜ「重ねゐし」ではないのかと、Tさんが問う。(「判決放送」は、1948年の「極東軍事裁判所」のA級戦犯への判決である)。もっともな問いであるけれど、時間が長く、作者の思い入れが強かったのだろう。
 次の「廿五名の運命をききし日の夕べ暫く静かにひとり居りたし」の下句は、他人とは違う感慨があり、それに耐えている思い、と僕は読んだ。物思いを整理するため、という意見があった。
 「砂光る」の初めは、思いをはっきり言う事が憚られるため、「回り持って言う」点があると、Mさんは述べた。
 「をさな子二人」の節では、「吸殻を灰にうづめぬ平(なら)されて」の歌は、判決放送より平静を取り戻したかに思える。
 「するどき音」の章では、「禱るがに秘めて耐へこし一つごと妻居らぬ部屋に座りてゐたり」の秘め事は、従軍に関わる事、大事な事だろう、と推測した。
 「わが胸に住む兇暴の鴉らが西に東に漂泊(さまよ)ひて鳴く」、「翼(はね)搏ちて荒寥と空に鳴きあぐるまがつ鳥鴉を胸ふかく飼ふ」の2首に、他のメンバー2人が共感を示した。
 この章を了え(89ページ)、10時半過ぎながら、研究会を仕舞った。次の研究会の日程を決め、散会した。
0-34
写真ACより、「お花屋さん」のイラスト1枚。


このエントリーをはてなブックマークに追加

 青磁社「永田和宏作品集 Ⅰ」(2017年5月・刊)より、第2歌集「黄金分割」を読み了える。
 今月26日の記事、
第1歌集「メビウスの地平」に次ぐ。1977年10月、沖積舎・刊。
 「黄金分割」とは、2:√5+1に分割する(ほぼ1対1、618)事を指し、長方形の縦と横との関係など安定した美感を与える比とされる(電子辞書版広辞苑第6版より)。
 2子(長男・淳、長女・紅)を得て、新婚の性愛が薄れたか「胸の首夏・心の晩夏こもごもに愛の終りを推り合いつつ」の歌がある。無給の研修員(妻と子二人)ながら、研究、塾講師、作品・評論の執筆と、「この時期から数年間がもっともよく働いた時期かもしれない。」と年譜で述べる。
 また歌集出版ととほぼ同時期に、評論「問と答の合わせ鏡」を「短歌」に発表して、有名な「合わせ鏡理論」を始める。
 「黄金分割」の巻末に、4章からなる連作「首夏物語」があり、弟殺しを主な主題とする。しかし年譜に拠れば、彼に弟は居ず、自身の少年性を殺すテーマがあったかも知れない。また4歳で母と死別し、継母に妹が生まれており、複雑な想いがあったのかも知れない。
 以下に7首を引く。
窓に近き一樹が闇を揉みいたりもまれてはるか星も揺らぎつ
かなしみが夕映えのごとふさふさと身に相応(ふさ)うまで誘われてゆけ
酔うためにのみ飲むごとき夜幾夜、子あり妻ありゆきずりのごと
わがうちにのみ母として居給うか無蓋貨車とおく野をよぎりゆく
夜の窓に撓みて水のごとき樹々 ことばやさしくわが拒まれぬ
身の内に滅びしものは告げざるを肉はきりきり風に吹かるる
向日葵を焚けば地平は昏みつつ故なく憎まれ来し少年期
0-33
写真ACより、「お花屋さん」のイラスト1枚。




このエントリーをはてなブックマークに追加

IMG
 結社歌誌「覇王樹」2017年8月号が、7月27日に届いた。
 僕の歌は、出詠8首よりの6首選と、初めて応募した題詠、付け句(各1首)が載った。
 内容は、もう1つのブログ「新サスケと短歌と詩」の、
7月28日付けの記事より、3回に分けて紹介する予定なので、横書きながらご覧ください。
 会員と準同人(僕が所属)は、8首出詠より6首選で、同人は無選6首が、掲載される。同じ所属でも、何首載るかを競った、「コスモス」のような競争はない。特選、昇級などの競争はあるのだけれども。
 僕の短歌の目的は、有名になったり、会で偉くなる事ではないので、短歌を創るモチベーションはあるのだけれども、この微風状態は不思議である。
 この号も、1通り読み了えたなら、ここで紹介したい。
 なお表紙の画像は、プリンタ多機能機よりスキャンして取込んだ。少し慣れて、要領がわかって来た。


このエントリーをはてなブックマークに追加

 2015年4月28日発行、2016年9月19日購入のkindle本、かん吉「人気ブログの作り方」を3読する。
 今年1月7日に、
再読の記事をアップしている。
 3読もしたのは、ヒントがよくわからなく(付箋を貼る訳にもいかない)、解説本の電子本は頭に入りにくい。
 巻末近く、「ブログ運営論」の芯の部分として、6ヶ条を挙げている。それに従ったと見られるブログも散見するが、大きなブレイクは収めていないようだ。
 nanapiや増田の扱いなど、信用を置けない部分もあり、どこまで信用して良いかわからない。
 彼には次のブログ運営論「ブログ運営×集客×マネタイズ」もあるが、お金儲けの本のようで、これまで買わなかった。しかしこの本の書評に「お金儲けについては、わずかしか書いていない」という1文があった。
 ブログ運営×集客、に焦点を当てた本なら、買ってみたい。紙本が、kindle本より、それ程高価でなく出ている。
 こうしてハマルのか、重要なヒントを見つけられるのか、わからない。今月は本など、買い物をし過ぎているので、来月に購入を考えてみたい。
0-32
写真ACより、「お花屋さん」のイラストの1枚。


このエントリーをはてなブックマークに追加

 吟遊社「春山行夫詩集」(1990年・刊)より、「「詩と詩論」より」の2回目の紹介をする。
 
同・(1)は、今月12日の記事にアップした。
 「詩と詩論」は、春山行夫が編集長になって、厚生閣から1928年より発行された、モダニズム誌である。
 年4冊で、全20冊を発行したが、第14冊から「文学」と改題され、春山行夫も同時に厚生閣を退社した。「「詩と詩論」より」には、第14冊に発表の3編の詩を以って終いとする。
 「POESIE」と題する、シュールでオートマチズムの作品(散文詩型)は、この本で15ページにわたる長編だけれども、僕はポエジーを感じない。
 「牡牛と葡萄と梨と家屋と野兎はテラスより見ることができる牧場に落ちた若干の利益である」は、ほとんど同語反復で成されている。「百合の花は百合の花に百合の花で…普通の思考の思考を思考する思考の思考を…」と続く1連の、同語反復と共に、無意味である。
 「キャリコの花」は、「イイ時候ニナッテ/大キナ花ガサイフオンノ中ニ咲ク/葡萄ノ蔓ハワルク伸ビ…」と続く。次の「キイプセイク(注・意味不明)」では「コンソメの匂ヒガ/亜麻色ノオ昼ヲ告ゲル/傍観者ノ態度デ/ヨオロツパ行ノ汽船ノ汽笛ガ鳴ル/…」と続く。中産階級の最後のハイクラス感だろう。
 1932年の年譜には、「毎月数誌に詩、訳詩、書評、評論を執筆」とあり、春山行夫の最も活動旺盛な時期だったろう。
 しかし僕は、これらの無意味な詩に、詩情を感じない。指示表現が無く、自己表現を感じない。
 無用の詩である事に拠る、時代への抵抗だったかも知れないが、後の敗北は明らかだった。
  (注:引用の中に、正字を新字に替えた所があります)。
0-31
写真ACより、「お花屋さん」のイラストの1枚。



このエントリーをはてなブックマークに追加

CIMG9406
 今月13日の記事で紹介した「永田和宏作品集 Ⅰ」より、栞と第1歌集「メビウスの地平」を読み了える。
 同・集は、これまでの11歌集と、年譜、初句索引を収めて、821ページの大冊である。
 栞には、馬場あき子が先輩として、高野公彦、小池光が同輩として、三枝昂之、大辻隆弘が後輩として、励ましの言葉を寄せている。
 第1歌集「メビウスの地平」は、1975年、茱萸書房・刊。
 永田和宏は1947年に生まれ、母が結核発病のため別居、4歳で母の死に遭い、母の面影が無いという。
 1967年・「塔」に参加、河野裕子に出会い、また第5次「京大短歌」創刊。1972年・河野裕子と結婚、1975年の「メビウスの地平」発刊、現代歌人集会賞・受賞に至る。
 僕より3歳の年上である。この業績の違いは何だろう。僕は僕なりに、苦闘して来たと思うのだが。
 「自分の1首を以って、短歌史を一変させてみせる、…と意気込んでいました。」とかつて述べた(「新版 作歌のヒント」)が、それらの劇しい歌と共に、河野裕子との相聞の優しい歌がある。
 以下に7首を引く。名作、傑作として、人口に膾炙する作品はできるだけ避けた。
かくれんぼ・恋慕のはじめ 花群に難民のごとひそみてあれば
言うなかれ! 瞠る柘榴の複眼に百の落暉を閉じこめきたる
惑星の冷たき道を吹かれくるあざみ色なる羞しさの耳
あの胸が岬のように遠かった。畜生! いつまで俺の少年
昏睡の真際のあれは湖(うみ)の雪 宥(ゆる)せざりしはわれの何なる
鏡の中いまはしずかに燃えている青貝の火か妻みごもれり
見抜かれていたることすらさわやかにかなかなの鳴く夕暮れなりき





このエントリーをはてなブックマークに追加

 角川書店「増補 現代俳句大系」第12巻(1982年・刊)より、2番目の句集、岩田昌寿「地の塩」を読み了える。
 今月10日の記事、
米沢吾亦紅「童顔」に次ぐ。
 「地の塩」は、1959年、竹頭社・刊。石田波郷・序、372句、後記を収める。
 岩田昌寿(いわた・しょうじゅ、1920年~1965年)は、9歳の時に母と死別(それ以前に父と生別していたらしい)。
 1938年に肺結核で清瀬の療養所に入り、俳句を投句、1940年より石田波郷の「鶴」に投句し頭角を現す。
 1949年に喀血、療養所に入るも精神錯乱状態になり桜ヶ丘保養院に移る。このとき連作「秋夜変」を成す。
 退院後、日雇い労務者となり、1959年に本句集を出版するも作句少なくなり、1965年、某精神病院で孤独死。ノートやメモは、残っていなかった。
 以下に5句を引く。
夕風の枇杷もぐ蹠仰ぎけり
合歓を見て残す言葉は何時言はむ
本売つて燕くるまで食ひつなぐ
囀や生涯日雇かも知れず
日雇のひと日父の忌夏痩せぬ
0-29
写真ACより、「お花屋さん」のイラスト1枚。



このエントリーをはてなブックマークに追加

↑このページのトップヘ