僕が参加しているブログランキングの1つ、「日本ブログ村」に、トラコミュ(トラックバックコミュニティ)という機能があり、その1つに「100冊会」がある。1冊読了のブログ記事毎に、トラックバックを送り、励みと記録として、残そうという会である。
僕は今月末の累積数から先月末の累積数を引いて、1ヶ月の読書の冊数を記録して来た。何も冊数が多いのみが良い訳ではないけれど。
昨年2016年の読書量は、昨年12月30日の記事「年間188冊」に書いた通り、188冊だった。
今年2017年の冊数を、月順に上げていく。
1月・20冊、2月・16冊、3月・16冊、4月・17冊、
5月・20冊、6月・13冊、7月・13冊、8月・18冊、
9月・12冊、10月・13冊・11月・13冊・12月・12冊。
合計183冊である。20冊の大台に乗る月もあったが、9月以降の落ち込みが大きい。
昨年とはやや減りながら、ともかく年間100冊の目標は達成した。
僕より遥かに多く、読書している人が居る事は知っている。
なお大晦日と元日の記事更新は、休ませて頂こうと思っている。
皆様、佳いお年をお迎えください。
写真ACの「童話キャラクター」より、「白雪姫」のイラスト1枚。
2017年12月
歌誌「歌壇」1月号を読む
今月19日の記事、「届いた2冊とUSBメモリ」で報せた内、綜合歌誌「歌壇」2018年1月号を、作品中心に読み了える。
新春巻頭作品は、それぞれ詠い上げているが、時代を憂える作品はないようだ。
坂井修一(以下、敬称略)の新春巻頭言「ディストピア」は、IT学者でもある彼が、ITがユートピアではなく、幾つかの巨大企業と政府に独占され、社会的・政治的にディストピアへ至る手段として用いられる事を憂える。仕事と家事をAIに任せ、娯楽に耽る個人生活にも(ありえないだろうが)、否定的である。
新春鼎談「短歌の読みをめぐって」では、万葉集や斎藤茂吉はさておいて、今話題になっている若い女性歌人の歌を取り上げてほしかった。僕の読むところ、そのような歌は1首しか取り上げられなかった。
特集「不易流行の短歌―短歌の普遍と流行とは」は、禅問答みたいな不毛な取り上げ方をしないで(「考えないほうがいい」と題する筆者もいる)、文学の「真と新」と考えた方が良い。「変らぬ真がある」と考える人もいるだろうし(不易)、文学は「新」を常に欲求し欲求されている。2つが重なり合う部分もあるだろう。
作品特集「平成30年を迎えて」10名の8首と短文は、老若が時代の危機を意識している。歌集を読んだばかりの江戸雪の「湧き水からの連想」を含む。
同人歌誌「COCOON」Issue06を読む
今月22日の記事、「届いた2冊」で報せた内、同人歌誌「COCOON」Issue06を読み了える。
同・Issue05は、今年9月26日の記事で紹介した。
概要
結社誌「コスモス」内の若手歌人(1965年以降生まれ)より、27名を同人とする。
Issue06は、2017年12月15日・刊、83ページ。
短歌作品、評論だけでなく、短歌と細密イラストを合わせた「うた画廊」、それに「COCOON歌合」、エッセイ、アンケート「お付き合いしてみたい近代歌人」など、多彩である。
感想
時代の危機(危機でない時代があったか、という声もあるが)は、心、言葉、生活への圧力において、若者に著しいようである。
僕のように隠退して、年金を頼りにしている者より、若者は危機を敏感に感じているようだ。
引用
O・まきさんの「胸の木」24首より。
さみしいと言えない人がさみしいと言わないために閉めるドアあり
自分を損なうに至らない為にも、歌を詠み、読まれる事が必要である。
K・なおさんの「非通知」24首より。
動く歩道のうえを歩けばるうるうと水を進める鷗のきもち
比喩とオノマトペを用いた、優れた1首。
H・晃央さんの「駱駝の欠伸」24首より。
センターの地理で苦しめられた境港の湾口砂州は壮観
句割れ・句跨りが、もはや衝撃や美を生んでいない。
O・達知さんの「天元」12首より。
先輩がいちねんごとに減つてゆく裸の王様はここちいい
次第にベテランになる不可解さを、ひらがな、句跨りにより表わしている。裸の王様への堕落は、反語的に「ここちいい」と書きながら、彼には無いだろう。
お休みします。
橋田東聲・歌集「地懐」を読む
今月12日の記事「届いた3冊」で報せた内、初めの橋田東聲・歌集「地懐」を読み了える。
結社「覇王樹社」に入会して半年の者が、100周年を迎えようとする結社誌の創刊者(主宰)の歌集の感想を書く事は、おこがましいかも知れないが、一応述べてみたい。
概要
僕が読んだのは、短歌新聞社文庫・版。2002年・刊。
原著は、1911年(大正10年)、東雲堂・刊。初めに「六つの墓 自序に代ふ」を置き、692首を収める。題名の読み方、意味は僕にわからない。
感想
父母、甥二人、兄弟二人が亡くなり、歌集後には妻とも離婚し(子はいなかった)、家族に恵まれなかったようだ。
自身は東大経済学科を卒業し、1919年「覇王樹」創刊、1921年・第1歌集「地懐」発刊と順調のようだったが、1930年に腸チフスにより44歳で死去した。
「覇王樹」は生き継いで、2020年に100周年を迎えようとしている。
歌を読む時、客観と主情を混ぜる場合、歌が弱くなる。
橋田東聲は、生活感において庶民的であり、旅行詠では叙景と生活詠が重なって、優れた歌を生んだ。
また思い遣りのある歌人らしく、思い遣っての歌、成り代わっての歌が多い。
引用
以下に7首を引く。
夕かげにおのれ揺れゐる羊歯の葉のひそやかにして山は暮れにけり
小夜床にいのち死にたる父の顔に揺れつゝうつる蠟燭の灯り
茄子もぐとあかつき露にぬれにつゝ妻のよろこぶわが茄子畑
山峡の雪照る道をわが汽車はまがらんとして汽笛(ふえ)ならしたり
合奏のうたにあはせてつなぐ手をかたみに取りつ放ちつするも(露人の踊を見る、…)
おちいりてかろくとぢたる眼瞼(まなぶた)の目脂(めやに)の垢をのごひまゐらす(兄 二)
あきらめてあり経るものを何しかもわれの心のおちゆくかなしさ(同 初七日をすませて…)
プリンタ、交代
パソコンに繋げて使う、多機能プリンタが不調なのだ。
今使っているパソコンと同時に、キャノンのPIXUS MP550を買って、使っていた。上の写真である。
インクタンクの入れを方ミスしたせいか、後トレイからの印刷がうまく行かなくなった。
写真用紙に印刷しようとすると、不調のミスが多くなった。
クリスマスイヴの日の昼、焼き肉屋へ妻と行ったあと、電器量販店「百満ボルト」へ行き、同じくキャノンの、PIXSUS TS6130を買った。インク5本のタイプである。上の写真。
帰宅して、僕がどうやらセットアップした。操作パネルが上に上がって、操作しやすい。
そう、今日くらいが、年賀状のプリントの期限に近い。
夕食後、宛て名1覧を出すのに苦労したが、その後はぱたぱたとプリントが済んだ。僕は文面に、1行手書きを加えようか、迷っている。
明日よりは、読書日記ブログに戻りたい。
冬至とクリスマス
拙作1首より。「朝遅く起きてタッパーより食べる妻の情けの冬至南瓜」。
12月22日(金曜日。冬至)に起き出すと、冬至南瓜を作って、タッパーに入れてあり、ありがたく食べました。季節の節目の食事は良いものです。
鍋に残っていた分は、妻が食べてしまって、写真がありません。
他の方のブログで、焼き芋の記事を読んだので、妻に買って来てもらいました。小ぶりですが、お八つには丁度良く、ストーブの上で焼いてもらって、食べています。残りは、写真の2本のみとなりました。
貰い物の柚子(?)3個で、柚子風呂に入りました。小さく、柚子かどうかわかりませんが、柑橘系で、風呂では高く香りました。
妻が職場より、12月22日(金曜日)に、骨付き鶏肉5本を頂いて来ました。
また同じく、クリスマスケーキ(ブッシュドノエル?)を頂きました。
所長さんは、仕事には厳しいが、色々気遣ってくださる方のようです。
クリスマスイヴの日の昼には、妻の退院後、初めて焼き肉屋さんへ行く予定です。
好い週末となりそうです。