2018年11月
白椿と黄葉、紅葉
森田峠・句集「避暑散歩」を読む
角川書店「増補 現代俳句大系」第14巻(1981年・刊)より、10番目の句集、森田峠「避暑散歩」を読み了える。
今月14日の記事、成瀬桜桃子・句集「風色」に次ぐ。
概要
原著は、1973年、牧羊社・刊。阿波野青畝・序、450句、著者・あとがき、火村卓造・解説を収める。1951年~1970年の句を、年毎に年次順に収めてある、第1句集。
森田峠(もりた・とうげ、1924年~2013年)は大学卒業後、高校教員となる。
1951年、阿波野青畝「かつらぎ」に入門、1990年、同誌・主宰を継承した。1986年「俳人協会賞」、2004年「詩歌文学館賞」受賞など。
感想
まず題名(阿波野青畝・命名)から、違和感を持つ。避暑地の別荘を持っていた訳ではないようだが、避暑地の散歩は、僕には馴染まなかった。僕は農家の次男に生まれ、帰郷して働いたが、避暑の余裕はなかった。(子の幼い頃、家族で海水浴へは何年か行ったけれども)。近隣の在が、農家から兼業農家となる貧しさで、誰も避暑地へ行く考えが浮かばなかっただろう。
1961年、「吟行を専らとする競詠会結成。」とある。時間と金銭の掛かる吟行会を専らとするのは、職業が教師だった余裕だろうか。
句風は、虚子、青畝に学んだ写生を究めようとしたとされ、風物、吟じかたに新しさがある。
引用
以下に5句を引く。
纜(ともづな)のくひこめるまま道凍てて
流失の橋のたもとに麦を干す
教へ子に逢へば春著の匂ふなり
わがためのもの奥にあり冷蔵庫
稿成りて春あけぼのの湯に浸る
写真ACより、「乗り物」のイラスト1枚。
今月14日の記事、成瀬桜桃子・句集「風色」に次ぐ。
概要
原著は、1973年、牧羊社・刊。阿波野青畝・序、450句、著者・あとがき、火村卓造・解説を収める。1951年~1970年の句を、年毎に年次順に収めてある、第1句集。
森田峠(もりた・とうげ、1924年~2013年)は大学卒業後、高校教員となる。
1951年、阿波野青畝「かつらぎ」に入門、1990年、同誌・主宰を継承した。1986年「俳人協会賞」、2004年「詩歌文学館賞」受賞など。
感想
まず題名(阿波野青畝・命名)から、違和感を持つ。避暑地の別荘を持っていた訳ではないようだが、避暑地の散歩は、僕には馴染まなかった。僕は農家の次男に生まれ、帰郷して働いたが、避暑の余裕はなかった。(子の幼い頃、家族で海水浴へは何年か行ったけれども)。近隣の在が、農家から兼業農家となる貧しさで、誰も避暑地へ行く考えが浮かばなかっただろう。
1961年、「吟行を専らとする競詠会結成。」とある。時間と金銭の掛かる吟行会を専らとするのは、職業が教師だった余裕だろうか。
句風は、虚子、青畝に学んだ写生を究めようとしたとされ、風物、吟じかたに新しさがある。
引用
以下に5句を引く。
纜(ともづな)のくひこめるまま道凍てて
流失の橋のたもとに麦を干す
教へ子に逢へば春著の匂ふなり
わがためのもの奥にあり冷蔵庫
稿成りて春あけぼのの湯に浸る
写真ACより、「乗り物」のイラスト1枚。
歌誌「歌壇」12月号を読む
今月20日の記事「届いた1冊、頂いた7冊」の内、初めに紹介した綜合歌誌「歌壇」2018年12月号を、ほぼ読み了える。
本阿弥書店、12月1日付け・刊。169ページ。
この1冊は、歌集の1冊、歌論集の1冊より、量が多く、読みでがあると感じる。
巻頭20首
いずれも内向的な詠みぶりと思われる。秋葉四郎「昼の闇」は、白内障手術を受けた妻と、身辺を詠む。
久々湊盈子「いなごまろ」は、「反骨」を自称するけれど、世間の常識への反抗らしい。「戦禍」「戦争」「君側の奸」を詠むけれども、現政権トップへの批判ではない。
大下一真「日常 旅 日常 旅」が、題名に似ず、旅にての外界との繋がりを感じさせる。渡英子「母音が七つ」では、二人の孫と海外詠と読書よりの知識をうたう。
特集 妊娠・出産をめぐる歌
この特集の設定も、内向的だろうか。
僕の一人子の誕生は、40年近く前なので、立ち会っていず、歌も始めていなかった。
共感したのは、棚木恒寿「ガラガラポン」だった。夫は幸せな家庭を思い描いているのに、妻は産院で夜は不安に(四人部屋の皆が)泣いていた、という男女の受け止め方の大きな差である。
特別作品30首 田中拓也「とうけい」
編集者も作者も、その意図のわからない作品群だけれども、右傾化の先走りか、と疑う。
引用
森岡千賀子「けふの雲」12首より。
床上に横座りしてテレビ観る裸足を猫が齧つたりして
平穏な生活のようで、外界の危機を思わせる。
関場瞳「秋の日」7首より。
切株の猿の腰掛け蟇に似て急がずゆけと秋の日の中
誰もが急ぐ世の中への、諌めの言葉だろう。
歌誌「百日紅」10月号を読む
今月20日の記事「届いた1冊、頂いた7冊」で紹介した内、結社歌誌「百日紅」2018年10月号を読む。
月例作品のみを読み、題詠・作品評は読まなかった。
概要
文章では読んでいないが、聞く所に由ると、おもに県内の歌人を会員とする、結社歌誌である。
月刊。10月号は21ページ。1首の上下端を俳句のように、すべて揃えている表記は特異である。
「作品(一)」、「作品(二)」に分かれているが、全員が5首掲載である。選歌があるのか、5首出詠・掲載なのか、判らない。
窪田空穂(「槻の木」、「まひる野」など主宰)の系統を継承し、故・辻森秀英(県の歌人)が創刊、現在の代表はI・善郎さんである。創刊より70余年。
感想
全員が5首掲載、特選なし、と掲載に競争がないせいか、のびのびと会員は詠んでいる。
口語調の歌もあるが、旧かな表記の故か、跳びはねた作品は少ないようだ。
地方歌誌にとどまらず、会員は全国歌誌に飛躍してほしい。
綜合歌誌、歌集などを読み、学びも忘れずに。
月刊を70年続けた情熱に打たれる。
引用
I・善郎さんの「勝山大仏」5首より。
子ら連れて来しは何十年前か勝山大仏の山門くぐる
大胆な句跨りがあって、現代短歌の学びが知られる。
A・敏子さんの「大雨」5首より。
浅草のみやげにもらひし風鈴は友亡き今も軒に鳴りをり
友への追悼の思いが鮮やかである。
石田衣良「スローグッドバイ」を読む
石田衣良(いしだ・いら)の短編小説集「スローグッドバイ」を読み了える。
彼の小説を読んだのは、今年6月30日の記事にアップした、「東京DOLL」以来である。
概要
集英社文庫、2005年6月・3刷。
彼の初めての短編集で、初めての恋愛作品集と、「あとがき」にある。
「東京DOLL」が2007年刊だから、長編恋愛小説と捉えると(その間にも作品はあるだろうけれど)、2年の間の筆力の成長は凄まじい。
感想
脛の傷、心の闇、隠したい過去を抱きながら生き抜く男女を描く10編。性を交す作品が多いけれども、そうでない作品もある。
サクセス・ストーリーへの執着が見られ、シナリオ・ライターとして成功してゆく「曜子」とそれを見守る「史郎」の「夢のキャッチャー」、イラストレーターとして「山口高作」を発掘するPR誌の「サツキ」の「線のよろこび」などがある。
憶測を交す男女が、結末でどんでん返し的に和解するストーリーを含めて、最後の表題作「スローグッドバイ」を除けば、ハッピーエンドの物語である。
「スローグッドバイ」では、2年間の同棲をしていたフミヒロとワカコが別れる事になり、さよならデートをした後、ワカコの見抜いた通り、フミヒロの「心のなかにたくさんの物語があふれていたからだ」と作家的才能の発現を描く。これまでの9編をフミヒロの作品であるかのように、この作品集を2重にフィクション化している。
同人詩誌「果実」79号を読む
今月20日の記事、「届いた1冊、頂いた7冊」で報せた内、同人詩誌「果実」79号を読み了える。
同・78号の感想は、今年4月10日の記事にアップした。
概要
2018年11月、果実の会・刊。B5判、43ページ。詩は1段組み、散文は2段組み。
7名・17編の詩、5名・5編の随筆を収める。
県内の教員、教員経験者を、主に同人とする。
感想
巻頭のK・不二夫さんの「救急車と女」では、第2連の始めに「わたしと仕事 どちらが大事なの/突如 女が叫ぶ」と書き、約束を破られた、二の次にされた女性の心情に、後になって思い遣っている。
O・雅彦さん(都内在住。W・本爾さんの詩に心打たれて参加)の「かわりゆくものに」はカリグラム(視覚的な詩の技法。この語が広辞苑になくて、僕がどれだけ苦労したか)で、行頭を高低させて変化させている。編末3行は「今日の空に/わたしの心は/救われた」と希望的である。
F・則行さんは「机 Ⅰ」で百年愛されてきた小机を、「机 Ⅱ」で専用の椅子机がなく、腹這ってものを書いて来た事を書く。危うい時代には、家庭内と自分に視線を向けるのが賢明な方法かも知れない。
W・本爾さんの「二月のうた」は、歳月を経て純化された、母への挽歌である。
T篤朗さんは5編の詩を寄せている。「交差2」では、「僕たちは並行している/それでいいじゃないか…遠く離れても/君が見える/それがいいじゃないか」と、交わる事のない同行者を信頼している。
随筆5編も、思いの籠もった作品である。