石川書房「葛原繁全歌集」(1994年・刊)より、歌集「鼓動以後」の2回めの紹介をする。
今月12日の記事、同・(1)に次ぐ。
概要
僕は歌集「鼓動以後」と称しているけれども、この編の扉には「歌集」の文字はない。単行本歌集として刊行されていない。歌集「鼓動」以後の没年に至る1,359首を、全歌集に一括して収めた編である。
今回は、483ページ「昭和62年」の項より、504ページ「昭和63年」の項の「師を偲ぶ会」の章までを読んだ。
感想
付箋を貼った7首に、寸感を付して、感想とする。
雲か霧か峡の紅葉をよぎり行く冷えしるき朝をカーテン繰れば
会津に旅しての、美しい旅行詠を成した。
奥嵯峨のこは祇王寺か入りゆけば一宇閑雅なり茅葺にして
旅行して名所の現実を観ると、新しい感慨がある。無常観も感じているようだ。
師の悲報至るたりなりあわててはならじと思へど身の定まらず
師・宮柊二は、1986年12月11日に亡くなった。「宮柊二先生逝去」の、挽歌の大連作を成している。
先生のおん身燃ゆるかがうがうと炎(ひ)の音は鳴るわが胸のうち
同じく火葬場の場にて。大歌人の最期と共に、大結社の折り目を、感じたか。
花のもと飲み且つ歌ふが花見にてあまつさへカラオケ鳴らせるもあり
歌人として桜の名歌を願うのとは、かけ離れた世情である。
今生の母との別れす夕あかね来迎光(らいがうくわう)と車窓より見て
母の今際に間に合わなかったが、「母逝く」の挽歌連作を残した。
師を偲ぶ会とし思へど立ち動き落ち居がたしも裏方われは
1988年の発表。結社の裏方として、落ち着かないまま、実務をこなしたのだろう。

写真ACより、「キッチン・グッズ」のイラスト1枚。


今月12日の記事、同・(1)に次ぐ。
概要
僕は歌集「鼓動以後」と称しているけれども、この編の扉には「歌集」の文字はない。単行本歌集として刊行されていない。歌集「鼓動」以後の没年に至る1,359首を、全歌集に一括して収めた編である。
今回は、483ページ「昭和62年」の項より、504ページ「昭和63年」の項の「師を偲ぶ会」の章までを読んだ。
感想
付箋を貼った7首に、寸感を付して、感想とする。
雲か霧か峡の紅葉をよぎり行く冷えしるき朝をカーテン繰れば
会津に旅しての、美しい旅行詠を成した。
奥嵯峨のこは祇王寺か入りゆけば一宇閑雅なり茅葺にして
旅行して名所の現実を観ると、新しい感慨がある。無常観も感じているようだ。
師の悲報至るたりなりあわててはならじと思へど身の定まらず
師・宮柊二は、1986年12月11日に亡くなった。「宮柊二先生逝去」の、挽歌の大連作を成している。
先生のおん身燃ゆるかがうがうと炎(ひ)の音は鳴るわが胸のうち
同じく火葬場の場にて。大歌人の最期と共に、大結社の折り目を、感じたか。
花のもと飲み且つ歌ふが花見にてあまつさへカラオケ鳴らせるもあり
歌人として桜の名歌を願うのとは、かけ離れた世情である。
今生の母との別れす夕あかね来迎光(らいがうくわう)と車窓より見て
母の今際に間に合わなかったが、「母逝く」の挽歌連作を残した。
師を偲ぶ会とし思へど立ち動き落ち居がたしも裏方われは
1988年の発表。結社の裏方として、落ち着かないまま、実務をこなしたのだろう。

写真ACより、「キッチン・グッズ」のイラスト1枚。


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