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 昨日(月曜日、体育の日)の午前11時半~午後2時半、円山公民館で、「第5回ふるさと学級」があり、僕は初参加した。
 計6回ある学級は、後半生を円山地区で送った詩人・則武三雄(のりたけ・かずお、1909年~1990年)を顕彰するものである。
 前半1時間は、詩人・川上明日夫さんによる講演「則武三雄を語り継ぐ」。
 写真は、講演の直前である。写真に入りきらなかった受講者を含めて、40人を越える参加だった。
 川上さんの講演は、敗戦前に朝鮮にいた則武さんが、三好達治を招待して2ヶ月の旅行をし、戦後は三国町に寓居した三好達治が則武さんを呼び寄せて3年を暮らしながら、再上京した達治はその後、則武さんに一切触れなかった因縁を語った。
 師・達治の没後、呪縛を解かれた則武さんが、優れた詩業を成した、とも述べた。
 12時半より、弁当(代は受講者が前以って支払った)のあと、休憩時間に則武さんが作詞した「大東中学校校歌」を中学コーラス部が歌唱(アンコール付き)した。
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 午後1時半より1時間、山岳エッセイスト・詩誌「木立ち」同人の増永迪男さんを担当者として、「語らい 則武学校」。写真は、その直前。
 則武さんは、出版に詳しく紙に愛着があり、詩人、近在の出版社・印刷社が、詩集の出版法を知らない戦後福井で、発行所「北荘文庫」を開き、若い詩人の詩集等を、次々に出版した。
 「則武学校」と呼ばれる程、詩人たちに慕われ、同人詩誌「木立ち」(現・125号)が出発し、中央で活躍する荒川洋治さんらも育った。
 仕舞いに僕を含め、3名が発言した。
 1969年3月(1月に東大安田講堂の落城事件があった年)に、高校(文芸部)を卒業する僕とM・晴美さん、それにI・秀子さんらが料理屋で、則武さんらと会食した時、学生運動に共鳴も反発もせず、「彼らの行く末を見てみたい」と、増永さんの言葉通り「政治的には傍観者」だった。
 増永さんが「生活的無能力者」と呼んだのは、則武さんが県立図書館の館長を勤め上げ、定年後も某大学の図書館館長を勤めた事を知る僕には、近しくなかったので信じがたいのだが。