風の庫

読んだ本、買った本、トピックスを紹介します。純文学系読書・中心です。

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読書

 筑摩書房の「現代日本文学全集 補巻8 上林曉集」(1975年・2刷)より、7番めの短編小説「嬬恋ひ」を読み了える。
 先行する「遅桜」は、先の6月8日の記事にアップした。

 リンクより、関連旧記事へ遡れる。

 「嬬恋」は、筑摩書房の月刊誌「展望」1946年9月号・初出。
 作家の妻が、神経症療養院で亡くなった日と葬儀のストーリーである。前日には妹が見舞いに行っていたが、その妹と観劇のあと帰宅すると、療養院より危篤の電報が届いており、二人は駆けつけるが、朝方に妻は亡くなっていた。帰宅したがる病人が騙され続けて、何度目かの発作を起こしたのである。「一晩中歯が砕けるほど歯ぎしりしたり叫んだりしたあげく」の事だという。死後に作家がいくら懺悔した所で、死者の悔しみは償われない。
 戦後という事で、葬儀は滞りなく済んだ。死者が讃美歌に印を付けた所や、書き出したメモに作家が打たれているのは、偽善くさい。
 兄妹、姉弟の対幻想は、兄弟・姉妹の対幻想より強い(卑弥呼と弟のように)と書いた、思想家がいた。妻は、兄妹の関係に敗れ、神経症となったのかも知れない。

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写真ACより、「雨の日」のイラスト1枚。



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 本阿弥書店の月刊総合歌誌「歌壇」2021年7月号を、ほぼ読み了える。
 到着は、今月17日の記事、届いた2冊を紹介する(23)にアップした。

 リンクより、旧号の感想へ遡れる。

 特集は「太陽の歌」、特別企画は「星に願いをー歌にのせて」である。陽と星、呑気なテーマである。「太陽の歌」では、明治期の太陽暦導入、古典和歌、茂吉・白秋の歌など、無難に論じている。
 今は1見、穏やかな世相に見える。コロナのワクチン接種も始まった。しかし穏やかに見える時こそ、危機である。バブル期などで、十分、体験したではないか。編集部の案出したテーマなら、その見識を疑う。政界とのブローカー、ロビーストが、圧力を掛けたのかと妄想する。あるいは大歌人がゴネたのだろうか。
 付箋を貼ったのは、花山多佳子「二〇二一年五月」20首中の2首である。「薔薇園に薔薇の花咲く何ごとの不思議なければ飽いて出でゆく」。本歌取りだろう。薔薇の不思議に打たれなくて、何が歌人だろう。改良の営為、HTローズからオールド・ローズ、イングリッシュ・ローズへの流行の変化、美だけでなく歴史でさえ、尽きない関心が湧くものだ。もう1首は「助からないのではないか、と漠然と思ひたり何のことといふでもなくて」。日常を詠む連作の中で、具体的ではなく、芥川龍之介の「ぼんやりとした不安」に近い心情が湧くかと信頼を感じる。
 アフターコロナで、短歌も変わるだろうか。旧かな古典文法の短歌が、衰える予想をしている。

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写真ACより、「雨の日」のイラスト1枚。




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 福井県俳句作家協会・編の「年刊句集 福井県 第59集」より、3回めの紹介をする。
 同(2)は、先の5月21日の記事にアップした。


 今回は、福井地区(福井市、吉田郡)の後半、59ページ~99ページ、41ページ分の82名820句を読んだ事になる。
 福井県は田舎であり、県都どうの言っても、田舎都市である。コロナ禍でなおひっそりとした過疎の村を温かく吟じ、洗車のピアス娘に希望を託す。信仰なきに祈りてマスクを縫い、父を戦争で失い顔を知らぬと数百字に優る嘆きを吟じ戦後は終わらない。賑やかだった家族が、独居となる侘しさも句材である。福井は宗教熱心な風土であり、政治的保守性にも繋がるかと思われ、そういう句も多い。

 以下に5句を引く。
巣ごもりの村静まりて麦の秋(I・倫子)
祈り込めマスク縫う日々花は葉に(T・恭子)
顔知らぬ父を追慕す終戦忌(U・恭子)
梅雨明ける新車を洗うピアスの娘(W・絹代)
九人家族ついに独りや神無月(T・和子)

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写真ACより、「雨の日」のイラスト1枚。



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 岩波文庫のフィンランド叙事詩「カレワラ」(上)を読んでいる。これまでなぜアップしなかったかと言えば、「年刊句集 福井県」や「上林曉集」などが、途中で止まっているからである。それはネットに時間を取られ、圧倒的に読書時間が少ないからである。これから「カレワラ」の読書感想も上げて行こうと思う。


 叙事詩として、旧約聖書は挫折し、ホメロスものはギリシア神々の系統に恐れをなし、読まなかった。ゲルマン神話、北欧神話なども読んだ筈だが、ブログの記事に残っていない。
 ちくま学芸文庫で読んだ、「ギルガメシュ叙事詩」「シュメール神話集成」のみが、旧ブログ「サスケの本棚」に残っている。



 フィンランド叙事詩「カレワラ」(リョンロット・編、小泉保・訳)のこの翻訳は、1行が短く(1ページ2段組み)、5音7音の句を多用し、読みやすいことが特徴である。今第15章219ページまで読み了えた所である。
 天地創造にすぐ次ぎ、詩人・ワイナミョイネンの生誕が歌われる。詩、詩人の重視の表れだろう。詩人のライバルとしてヨウカイハイネンが現れるが歌比べに敗れる。ヨウカイハイネンはワイナミョイネンを弓矢で倒してしまう。
 若者レンミンカイネンは、求婚の課題の白鳥を得ようして、一旦死んでしまう。母親が鳥たちに神の蜜を得て来させ、それを塗ってレンミンカイネンを蘇らせる。レンミンカイネンは母の言葉に従い、故郷に帰る。ここで第15章の了いである。
 上巻だけで、注釈、解説を含めて497ページ、下巻に続く大冊なので、いつ読み了えられるかわからない。

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写真ACより、「建築」のアイコン1枚。




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 思潮社の現代詩文庫181「続続・辻征夫詩集」より、未刊詩篇15編を読み了える。
 先行する、詩集「萌えいづる若葉に対峙して」は、今月25日の記事にアップした。

 リンクより、関連過去記事へ遡り得る。

 未刊詩篇の内、新作は1996年~1999年の5編である。
 「蟻の涙 2」は、詩集「萌えいづる若葉に対峙して」の「蟻の涙」に対応する。「蟻の涙」では、「きみのなかに残っているにちがいない/ちいさな無垢をわたしは信ずる」とあった。「同 2」では、「このぼくのどこに/汚れていないもの/無垢があるというのか」と思いを反転させる。
 「穴の底」は、これも「萌えいづる若葉に対峙して」の第Ⅱ部、アリスやトム・ソーヤーら童話の主人公が中心の連作に、続く作品である。「オクスフォードの日暮れ」と同じ、明晰な墜落感を表す作もある。
 「おばさん思い」は、詩集「ボートを漕ぐおばさんの肖像」と同じく、胸内に住むおばさんへのオマージュの連作である。
 このように、仲間内でよく理解できる作品の発表は、卑しい(堕落だったか)と書いた詩人がいた。僕は既に読者仲間の身内なので、いささかの快さを感じた。
 初期未刊詩篇10編は、1957年~1971年に渉る。
 未刊詩篇が少ないのは、1編をよく練って、満足するまで仕上げる寡作だかろうか。僕は書き殴って、すべて同人詩誌に発表し、それから選んで(推敲し)詩集を纏めるのだ。彼は僕より詩に真剣だったようだ。

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 思潮社の現代詩文庫181「続続・辻征夫詩集」より、詩集「萌えいづる若葉に対峙して」を読み了える。
 先行する、詩集補遺5冊分を読む、は今月16日の記事にアップした。


 「萌えいづる若葉に対峙して」は、生前最後の詩集である。「対峙」は広辞苑第7版・電子辞書版によると、「向き合って立つこと」となる。この詩集は全編が収められているが、優れた詩集であり、また最後の現代詩文庫・収録であり、カットする必要がなかったのだろう。
 第Ⅰ部の表題作「萌えいづる若葉に対峙して」は、林の若葉に窓内より対峙し、詩人は昨日に自転車でコンクリートに落下し、顔や足にけがをしながらも、ボールペンを握って白紙に向かっている。末尾は「血まみれの抒情詩人がここにいて/抒情詩人はみんな血まみれえと/ほがらかに歌っているのです」と、詩人の悲惨と栄光を歌うようだ。
 「おじさん狩り」「チェーホフ詩篇」は、複数の小詩を集めた、連作仕様である。詩人が傾いていた、小説執筆を思わせる。
 「玉虫」は散文詩で、出征した父が帰還して、母と出会う感動的な場面を描く。彼の詩の理解に、一助となるだろう。
 「風の名前」は、部屋を通り抜ける風に名前を付けて、会話している。病む老抒情詩人らしい。「薬缶」は、優しいが故に頼りない人たち(自分を含めて)のストーリーである。
 「蟻の涙」では、詩人は「きみのなかに残っているにちがいない/ちいさな無垢をわたしは信ずる」と訴えてやまない。
 「東武伊勢崎線」は、出会った知日派外国人を、地名を連ねながら描いている。
 第Ⅱ部では、「アリス」「トム・ソーヤー」「ロビンソン・クルーソー」など、童話の主人公を中心とする、10編である。第Ⅲ部は、散文詩「ワイキキのシューティングクラブ」で銃の実弾射撃(試し撃ち)の経験を描く1編のみである。内心に武闘派的な所のある詩人が、念願の1つを果たしたのだろう。
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 今月22日に、ダウンロードを報せた3冊の内、安藤広重「東海道五十三次図絵」を観了える。


東海道五十三次図絵
Kindleアーカイブ
2014-10-28


 国立国会図書館・蔵の本より、修正を最小限に抑えたため、表紙や絵の一部に傷みがある。
 予告通り、デスクトップパソコンで観たけれども、今はそのパソコンで執筆しているので、タブレットを繰りながら、また集英社のヴァンタン版も参照しながら、書いてゆく。
 まずこの「東海道五十三次」は、ヴァンタン版に収める保永堂・版(歌川広重・画)とは別物である。
 この安藤広重・画の浮世絵集では、青、茶、灰色のヴァリエーションを主にした配色である。降雨は黒の斜線で描かれており、情緒はあるが、不自然である。
 旅をする女性連れの場面が多い。当時のグラビア写真の代わりであろうか。そういえば美人画(実在、架空を含めて)も1大ジャンルだった。春画さえ多く描かれた。
 僕はヴァンタン版を初めに観たせいか、ヴァンタン版の「東海道五十三次」の方が馴染みやすく、わかりやすい。

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