風の庫

読んだ本、買った本、トピックスを紹介します。純文学系読書・中心です。

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小説

 谷崎精二・個人全訳「ポオ全集」(春秋社)第3巻(1978年・5刷)より、長編小説「ゴオドン・ピムの物語」の4回めの紹介をする。
 同(3)は、先の5月23日の記事にアップした。

 リンクより、過去感想記事へ遡れる。

 今回は、第21章(300ページ)より仕舞いの25章までと「あとがき」の332ページまで、33ページを読んだ。
 島民の奸計による土砂崩れより、主人公・ピムとピイターズのみが船員のうち生き残り、土砂の裂け目を辿って地上にも通うようになる。2人は丸木舟を奪って、海上での戦いのあと脱出する。船は南極と推測される辺りに至り、白い瀑布と、巨大な白い人間の姿が現れる。
 ここで「あとがき」につながり、ピムの死去によりあと数章を残して物語は終わるとされる。
 ポオの唯一とされる長編小説で、冒険物語の苦難と成功を、僕は味わった。これで「ゴオドン・ピムの物語」、また「ポオ全集」第3巻(334ページ)の結末である。
ポオ全集第3巻
 全集第3巻の箱の表を、再掲する。





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 谷崎精二・個人全訳「ポオ全集」(春秋社、1978年・5刷)より、長編小説「ゴオドン・ピムの物語」の3回めの紹介をする。
 2回めの紹介は、先の2月20日の記事にアップした。


 今回は第9章(216ページ)~第20章(300ページ)の85ページを読んだ。
 捕鯨船・グラムパス号の反乱後、勝利を得た主人公・ピムたち4人だけれども、船が大嵐に遭って浸水してしまう。1度、大型帆船が近寄るが、それは嵐と疫病でか船員の死に絶えた幽霊船だった。
 飲食に困り、犠牲者1人の人肉食までする。斧を思い出して、水中の貯蔵庫の扉を開け、ハムや葡萄酒等を引き上げることが出来る。しかしまた嵐に遭い、食料が流されてしまう。
 苦しみの果て、スクーナー型の帆船・ガイ号に救われる。船長・ガイは、事情によって南極へ向かう。多くの氷山等を越えると、極地辺りに島があり、住民と親密になり交易するが、島民に裏切られて、船員は土砂に生き埋めになる所で、第20章が仕舞いとなる。
 初めて南極点に到達したのは、1911年12月14日のロアール・アムンセンたちである。ポオ(1809年~1849年)の没後であり、飛行船での大西洋横断と同じく、未来を想像しながら、見当外れな描写もあった。小説の付説で、ゴオドン・ピムの死によって記述が途切れると述べられ、あっけなく終わる。僕はもう少し、それに至るまで残る冒険譚32ページを読もう。
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 写真ACより、「ビジネス」のイラスト1枚。


 
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 筑摩書房の「現代日本文学全集 補巻8 上林曉集」より、5編め「四国路」を読み了える。
 先行する「現世図絵」は、今月13日の記事にアップした。


 「四国路」は、1944年(昭和19年)の秋、9年ぶりに四国へ帰郷する物語である。不便な戦争末期で、帰路の困難や、郷土ひとの親切さが描かれる。1946年4月に文芸春秋へ発表の作品だが、しかしこれまで戦争末期を描く短編小説ばかりである。
 石坂洋次郎の「青い山脈」(1947年・刊)とまで言わなくても、永井龍男の「風ふたたび」(1951年・朝日新聞・連載)くらいには、時世に乗って、戦後を明るく描いても良かったのではないか、と考える。なぜ敗戦の直前・直後の暗い部分に執着したかわからない。短編私小説の作家として、動じないものが内にあったのだろうか。
 短編小説家の常として、新作の発表に追われる。「風致区」(1946年1月)、「きやうだい夫婦」(同・2月)、「嶺光書房」(同・1月)、「四国路」(同・4月)発表と、毎月1編のように発表した。
 「四国路」で400字原稿用紙、約29枚である。短編小説の稿料は1枚あたり低かったのだろうか。短編小説の名手と謳われた三浦哲郎でさえ、長編小説へ挑戦し、引き下がった。(自分でそう書いた)。
 短編小説の作家が、ポオ、フィッツジェラルド、O・ヘンリなど(戦前日本の短編私小説作家は知らない)悲惨な晩年だった。ストレスが多く、酒に頼ったからだろうか。
 上林曉(かんばやし・あかつき、1902年~1980年)は、1962年に2度めの脳出血で半身不随となりながら、実妹の介護と口述筆記で作家生活を続けられた。正岡子規と妹・律の場合とたぐえられ、文学の生涯を全うした。
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 写真ACより、「ビジネス」のイラスト1枚。





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 新潮社「川端康成文学賞 全作品 Ⅰ」より、第6回(1979年)受賞の、開高健「玉、砕ける」を読み了える。
 先行する和田芳恵「雪女」は、先の4月21日の記事にアップした。


 「玉、砕ける」は香港を、作家が何度めかに訪れた際のエピソードを素とする。流暢な日本語を話す張立人・老人の案内で、食事・散歩をしたり、情報を仕入れたりする。張・老人の案内で入った風呂屋で、超絶技巧の垢すりを受け、大量の垢を丸めたものを受取る。
 筋はもう1つあり、「あれか。これか。どちらか1つを選べ。どちらかを選ばねばならぬ場合、どちらも選びたくなく、沈黙が許されなかったら、どういって切りぬけたらよいか」という立問である。革命後の知識人の良心の問題である。
 作家が出立する空港で、見送りに来た張・老人は、紅衛兵のために老舎が不自然な死を遂げたことを伝え、悄然と去る。

 「玉、砕ける」という題名が不思議だったが、これは先の立問の答えの1つを、作家が示したかのようだ。玉=老舎の死を砕ける、と表し、表面は垢の塊のように見せて、中国との繋がりも断ちたくない作家の、精一杯の抗議ではなかっただろうか。
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写真ACより、「ビジネス」のイラスト1枚。


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 筑摩書房の「現代日本文学全集 補巻8 上林曉集」(1975年2刷)より、4番めの作品、「現世図絵」を読み了える。
 先行する「嶺光書房」は、先の4月5日の記事にアップした。


 「現世図絵」は、敗戦前年の1944年の夏に、神経に異常をきたした作家の妻・徳子を、家族で致し方なくK療養院へ何度めかの入院をさせる話である。さすがに作家が語るのではなく、娘・篤子が語る形になっている。
 妻は食料を独占して食べようとし(稀に機嫌が好いと、夕食を午後3時に出したりする)、家族で食料の奪い合いになる。
 妻の弟・武叔父さんと作家が、役所へ行って申請の書類を書く。徳子の母親が郷里から出て来るが、入院の手助けするのみになる。医師が来て妻に催眠薬の注射をし、俥屋は寝台車からリヤカーに替えて、療養院へ運んでしまう。
 1ヶ月近く経って、作家と篤子が病院を訪ねると、徳子はおとなしくなっていて、証券・通帳などの隠し場所を素直に告げる。それが篤子と母親・徳子の最後の別れとなった。
 徳子の異常なエゴイズムも、作家の異常なエゴイズム(自分の妹・綾子に生活の世話をさせてもいる)の、反映のように思える。
3 (3)
写真ACより、「ビジネス」のイラスト1枚。


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 三浦哲郎の長編小説「素顔」(講談社文庫、1980年・刊、346ページ)を読み了える。
 三浦哲郎の小説を読むのは、今年1月24日に記事アップした、「夜の哀しみ」(上下巻)以来である。


三浦哲郎「素顔」
 「素顔」は1度、読んだ事がある気がしたが、このブログでも、前のブログ「サスケの本棚」でも検索に引っ掛からないので、初めてだろう。冒頭部を何度も読んで、記憶に残ったのかも知れない。
 長編小説といっても、連作短編集に似て、12章より成っている。作家の馬淵、妻の菊枝、長女の珠子、次女の志穂、3女の七重、ブルドッグのカポネ、の1家に湧く騒動(いずれもハッピーエンドでおわる)を描く。長女が痴漢に遭いそうになったり、馬淵に助力を得たい文学青年に家の周りを徘徊されたり、郷里の同級生が亡くなって弔辞を読んだり、様々な事件が現れる。
 しかしこの中にも書かれているが、作家の2人の姉の自死、2人の兄の失踪は、背景にあり、それらの小事件が解決されてみれば、家族は(郷里の母を含め)平穏で幸福な生活と見える。
 三浦哲郎が最後まで、原稿用紙に万年筆で執筆したのかと思うと、僕にも感慨がある。


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 昨日に到着を報せたばかりの、定道明さんの短編小説集「雪先生のプレゼント」を読み了える。
「雪先生のプレゼント」
 「雪
(せつ)先生のプレゼント」には、7編を収める。アマチュア作家同士の友情と相手の死を描く、「一人旅」がある。
 福井出身の詩人で、芸術院賞、恩賜賞を受け、芸術院会員の荒川洋治氏の生家を訪ねる「茅萱と小判草」では、案内のMさんが、山岳エッセイストM・迪男さんと推測されて楽しい。荒川洋治氏の家には、共に高校生だった頃、招かれた事がある。高見順の生家・墓地と共に、写真が残っている。僕の卒業間際にも招かれたようで、早稲田の角帽の荒川氏との2ショットが残っている。
 「餡パンを買いに行く」は、自動車運転免許証を返納して、シニアカーに乗る作者が、餡パンを買いにシニアカーで出かける話である。僕も車を辞めた(免許証は持っている)あと、外出が不便で困っている。
 「雪
(せつ)先生のプレゼント」は、かかりつけ医の女医・雪先生より、きれいな空き箱を貰う話である。ありがたさは、貰い物の箱が捨てられぬようになるまで、「遠い時間が必要だったのである。」。
 「DK虫」は、老いたせいか早起きの作者が、DK(ダイニングキッチン?)に籠る話から展開する。
 様々に、フィクションも混じるだろうが、老いての巧まないペーソスとユーモアに満ちている。


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