風の庫

読んだ本、買った本、トピックスを紹介します。純文学系読書・中心です。

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小説

 沖積舎の「梅崎春生全集」第4巻(1984年・刊)より、しまいの4編「雨女」、「雨男」、「熊本弁」、「やぶれ饅頭」を読み了える。
 先行する同(7)は、先の3月21日の記事にアップした。


 「雨女」と「雨男」は続き物で、件の山名君のぼやき話である。画家仲間の木村君が、パリへ修行に行く事になり、山の別荘をタダで貸してくれると言う。娘3人と連れになり、別荘「対山壮」に泊める事になってからの、てんやわんやが描かれる。3人娘は大帽子山に登り、翌日は山名君を連れ出し、連夜の宴会をする。画家仲間の青年2人連れが現れ、娘の1人の愛人が現れ、しまいに山名君が別荘を夜逃げするに至る。
 「熊本弁」は、「ぼく」の信州の山居(別荘だろう)に、2人連れの男が訪ねて来て、川路が熊本弁を使うが、熊本出身ではなく、従軍で半年くらい居ただけという。川路が急死して、「ぼくはこたえた」という結末になる。
 「やぶれ饅頭」は、病院で隣室同士となった「私」と野原が、将棋を指し酒を飲む(病院に隠れて)仲になる話である。退院して再会し、その後を語ったりする。
 戦後復興が成り、別荘を持ったり、借りたりできる世相になっている。戦後世代(とくに女性)の活躍ぶりも籠められている。「やぶれ饅頭」は、病床もの(僕は「幻化」以外、読んでいないのだが)に繋がるようで、気になる作品である。
 これで8回に分けて紹介してきた、「梅崎春生全集」第4巻も仕舞いである。続いて第5巻に入る。
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写真ACより、「ビジネス」のイラスト1枚。


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 新潮社「川端康成文学賞 全作品 Ⅰ」より、第5回め、1978年の受賞作、和田芳恵「雪女」を読み了える。
 先行する富岡多恵子「立切れ」は、先の3月28日の記事にアップした。


 和田芳恵(わだ・よしえ、1906年~1977年)は、北海道生まれの男性作家であり、樋口一葉・研究家でもあった(Wikipediaに依る)。
 「雪女」では、寄宿して通学していた仙一が、脚気になったが放って置き、踵がつかなくなってしまい、実家へ帰る。青年団の幹部になった仙一が、料理屋「丸大」の娘、さん子を見染める。仙一とさん子の噂が流れ、仙一は宮本印章店へ住み込みとなる。
 仙一は2年後、さん子を伴って円通寺住職を訪い、結婚に賛成を得る。帰路、さん子は自らキスを求める。
 障害を持つ青年が主人公ながら、明るい恋愛小説である。お寺の権威を借りる点が、僕は気に入らない。時代設定が、脚気、住み込み奉公と古いのかと思うと、女性からの求愛などがあり、新しいのか、よくわからない。
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写真ACより、「ビジネス」のイラスト1枚。




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 筑摩書房の「上林曉集」より、先の3月13日の記事にアップした、「きやうだい夫婦」に続き、3作品めの「嶺光書房」を読み了える。


 1945年の2月の20日過ぎ、「私」が「嶺光書房」(「筑摩書房」のこと)を訪ね、著作(第9創作集「夏暦」のこと)を出版してもらう経緯を書いている。嶺光書房は空襲の被害で、会社の地を転々とした。原稿も、1度は空襲で焼かれながら、作者は雑誌に出した作品を集め、書き下ろしで草稿も何もない作品(本の主柱となる)は記憶を頼りに再度書き上げ、嶺光書房に持ち込むことが出来た。たいていの人なら諦める状況で、凄まじい執念である。今ならコピーが出来、パソコンに保存することも出来るが。
 永井荷風や太宰治も仮名で出て来て、当時の避災の様子が知れる。作者と社長・他が、ずいぶん反戦的なことを口にしてしているが、まともに受け取ってはいけない。空襲を何度も受けるなど、敗戦の様が予想され、庶民の間に厭戦気分が蔓延した頃の会話で、戦争初期には大いに煽ったのであろう。
 戦前からの作家でありながら、この集が戦後の1946年発表の「風致区」から始まっている点も不審だった。全19巻の全集では明らかだろうが、それを図書館で借りて探索するいとまは、僕にはない。
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写真ACより、「ガーデニング」のイラスト1枚。



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 新潮社「川端康成文学賞 全作品 Ⅰ」より、富岡多恵子「立切れ」を読む。
 1977年、同時受賞した、水上勉「寺泊」は、今月14日の記事にアップした。


 富岡多恵子は詩人として出発し、小説家へ転身した。思潮社「富岡多恵子詩集」(実質的全詩集、1973年・初版)の、1979年・6刷を僕は持っているが、彼女の詩はあまり読んでいない。小説は初めてである。
 「立切れ」は、今は表に出ない噺家、菊蔵の晩年(72、3歳)の、1時期を描く。
 菊蔵は物好きな学生グループに誘われ、風呂屋の脱衣所に客を集めて、廓噺ばかりを語る会を持つ。話題になり、物好きな週刊誌の取材を幾つか受けた。しかし1年で学生グループが、最後にすると告げる。
 噂で三味線方のお糸さんがアパートにあらわれて、出囃子を弾くと言う。菊蔵は廓ものの「立切れ」を演じ、三味線方を演じたお糸さんの誘いも断って、アパートの一人暮らしに帰る。公立の老人センターへ日曜ごとに通うようになり、無料の演芸会の客になる、という結末が救いだろうか。
 富岡多恵子のこの文体も、菊蔵の噺のように、枯れかかった艶がある。枯淡の境地を目指すのだろうか。
 僕の詩(ソネット群)は、枯淡ではなく、芭蕉の最後の境地、軽みを目指したい。
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写真ACより、「ガーデニング」のイラスト1枚。




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 沖積舎「梅崎春生全集」第4巻(1984年・刊)より、7回めの紹介をする。
 同(6)は、今年1月28日の記事にアップした。

 リンクより、過去記事へ遡れる。

 今回は、「益友」、「小さい眼」、「豚と金魚」、「井戸と青葉」の4短編小説、303ページ~345ページ、43ページを読んだ。
 「小さい眼」を除く3編に、山名君という、自分より7つ8つ若い友人が登場し、家に出入りする。
 これまでにも、家に青年が出入りする主題の「犬のお年玉」、「風早青年」などの短編があった。
 今回の3作の山名君は、本業の画家では冴えないが、「私」のためにタケノコを買い付けたり、蜂の巣除去をし、犬を探して持ち込んだり、事情で子豚を持ち込んだり、井戸掘りを手伝わせたりする。

 山名君はフィクションだろう。若くて抜け目がないが、本業で冴えなく、明るい青年を描いて、戦後の希望を託したかと、作家の心理を推測する。

 「小さい眼」は、ミルクホールで会った目の小さいおばあさんに、学生の「おれ」が誤解で憐れまれ、派出看護婦会(おばあさんは会長だった)の家の1室に、半強制で住まわせられ困惑する話である。
 戦後15年を過ぎ、食うには困らないが、まだ貧しい世情を、庶民生活の心理の綾を探って描いた。
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写真ACより、「ガーデニング」のイラスト1枚。




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 新潮社「川端康成文学賞 全作品 Ⅰ」より、4回め、1977年の受賞作、水上勉「寺泊」を読む。
 同・3回めの佐多稲子「時に佇つ(十一)」は、今月3日の記事にアップした。


 「寺泊」は、作者が大雪の寺泊の海岸通りを、タクシーで難儀して、運転手がチェーンを探しに行ってしまう所から始まる。
 今度の旅の目的は、良寛地元の研究家が、良寛書簡集を出版し、感心した作者が敬意を述べ苦労話を聞くためだった。書簡の大半は、借金、米、味噌、薪等の無心(実際はその礼状)だった。聖人を地に引き下ろす書状で、禅寺を脱走した事のある作者には快哉だったろう。
 研究家の奥さんが、娘さんへと手作りの手毬を渡してくれた事から、障害者の娘さんの話へ移る。後妻さんが、作家の連れ子の次女へ、自分の骨を移植して、障害が良くなる。
 作者は、ズワイガニの即売所に出会う。時化を衝いて出漁した船があり、漁師らも今食べて置かないと、注文先へ持っていかれ、蟹を食えなくなるという。
 そこで異様な二人連れに出会う。四十過ぎらしい女が、五十近い男を背負って、雪の中を走り込む。女が男に蟹を食わせようとするが、うまくゆかない。やがて女は男を背負って立ち去る。
 3つのエピソードは、作品の中でなく、生活の中にこそ世界がある、と主張するようだ。

手毬
写真ACより、「手毬」のイラスト1枚。


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 筑摩書房の「増補決定版 現代日本文学全集 補巻8 上林曉集」(1975年2刷)より、2作品めの「きやうだい夫婦」を読み了える。
 1作品めの「風致区」は、先の2月24日の記事にアップした。


 「きやうだい夫婦」(きょうだい夫婦、この本で6ページの短編小説。時制が行き来しているので、この感想を書きながら、ページを捲り返さなければならない)は、「私」の妻が数年来、サナトリウムに入ったきりなので、「私」と娘・和子の世話を、妹の仙子に任せきりの様を描く。
 しかし1944年の暮れ、空襲が激化した頃、仙子が怯えて疎開したがるのを、「私」は東京で文筆生活を続けると言い張る。娘の和子も残ると言うので、仙子は苦しんだあげく残る事にする。1945年3月下旬、とうとう仙子は和子を連れて疎開する。
 戦後の1945年末近く、「私」は危急状態で、仙子だけを(娘は郷里に置いて)呼び寄せる。手紙を何度も書いたが、仙子がしばらく上京できなかったのは、汽車の切符を入手できないからと、手紙が来る。
 仙子は20歳から26歳まで、婚期をよそに兄とその子3人に犠牲的献身を続けた。小説に取り上げても、代償にならない苦難だろう。作家のエゴ(わがままなエゴ)の凄まじさに心震える思いをする。上林曉(かんばやし・あかつき、1902年~1980年)は、作家を続けられ、没後の2000年~2001年に、筑摩書房より増補版の19巻全集が出版されたから良いけれども、然程でもなく終わる生涯の作家だったら、献身も痛ましい事だったろう。
クリスマスローズ
写真ACより、「クリスマスローズ」のイラスト1枚。クリスマスに遅れて咲くグループもある。



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