風の庫

読んだ本、買った本、トピックスを紹介します。純文学系読書・中心です。

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エッセイ

 思潮社の現代詩文庫181「続続・辻征夫詩集」より、「未刊散文作品」2編とエッセイ9編を読む。
 先行する、「ボートを漕ぐもう一人の婦人の肖像」から、は今月6日の記事にアップした。

 リンクより、旧・感想記事へ遡れる。

 「未刊散文作品」の「花見物語」は、友人と上野で花見をして、自分の得意な「雨に咲く花」を唄うが、歌詞の「ままになるなら」の「まま」を「ママ」と思い込んでいて、「儘」と知らなく皆から大笑いされる話が主なストーリーである。
 「遠ざかる島ふたたび」は、家にいたお手伝いさんの真理子さん(片足がスカートの中までしかないのに、杖なしで歩いたという設定は、不自然である)を主人公にした物語「遠ざかる島」の余談である。2作共に話題がぐねぐね歪んで行く。
 エッセイは、回想談、人情噺が主で、取り上げる事もない。編集者に請われて書いたらしい。「菅間さんに郵便です」は「劇団卍」への、「人事を尽してポエジーを待つ」は写真家・高梨豊への、オマージュである。



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写真ACより、「雨の日」のイラスト1枚。
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 思潮社の現代詩文庫155「続・辻征夫詩集」より、「未刊散文作品」2編と、「エッセイ・対談」6編を読む。
 先行する詩集、「俳諧辻詩集」から、は今月24日の記事にアップした。

 リンクより、関連旧記事へ遡り得る。

 「散文作品」の(1)は、「透明な地図—遠い岬」である。「ぽっかり空に浮かんでいる、白い雲。ああいうものがぼくは好きで、ほかのものはほとんど嫌いで、・・・」。詩人とは、異性の顔よりも雲を眺めているのが好きな人だ」という俗説に従えば、辻征夫は少年時代から詩人である。海辺のビーチパラソル下の、妻、娘2人との場面に移って、近くの娘さん達に羨ましがられる。でも早熟だった長女は、5歳になる前に大病をして、後遺症を恐れられている。前日、肺癌後期(手術しなければ余命半年)の父の、治療の方針決定を迫られてもいた。
 (2)は「越路吹雪」である。越路吹雪のエピソードを引きつつ、詩集発行という踊り出しを語る。「作品は作品に支えられ、・・・」と、詩編の関連付けを意識している事がわかる。

 エッセイは4編である。「むきだしの悲しみ—中原中也の詩」は、喧嘩を含む奇行で周囲を悩まし、30歳で逝いた中原中也の心性を探る。詩を引いたあと、「かつてのダダさん、中原の到達点の深さを感ずるのである。」と称揚するけれど、宗教がかった境地で、僕は採らない。僕は6巻本の「立原道造全集」と「中原中也全集」を持っており、立原道造6巻は通読したが、中原中也6巻は押し入れの中である。
 「立原道造という装置」は、立原道造と辻征夫自身の共通点の多さに驚いている。「おそらく、詩人とはその時代の言葉が通過する場所であり、装置であろう」という捉え方を僕はしない。立原道造の優れる点は、先の戦争の更にその先(恐らく敗戦後)を見透していた所にある、と僕は思う。
 「遊びごころと本気」は、余技だったろう俳句の座を書く。「詩の話」は、立原道造論と同じ主張である。

 対談・木原涼と(1978年)「おしゃべり黄巻紙」と、対談・富沢智と(1997年)「詩はどこにあるか」の内容は、これら現代詩文庫2冊で、知られている事柄が多い。
 辻征夫への「作品論・詩人論」4編は、親しみ過ぎて軽んじるようで、受け入れがたい。これで現代詩文庫「続・辻征夫詩集」の仕舞いである。
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 写真ACより、「ビジネス」のイラスト1枚。




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 僕の所属する結社の歌誌「覇王樹」2021年3月号をほぼ読み了える。
「覇王樹」3月号
 到着は、先の2月27日の記事にアップした。同・2月号の感想へリンクを貼ってある。



 結社「覇王樹社」のホームページは、到着より数日後には、3月号仕様になっていた。


 3月号の僕の6首「「行くぞ」の一句」(無選)は、もう1つのブログ「新サスケと短歌と詩」の、3月1日、2日の記事に分載した。


 これまで短歌作品中心に取り上げたので、今回は散文に目を向けたい。
 まず特集「東日本大震災 あれから10年」が15ページに渉る。東北在住の同人を主に、12名が執筆した。
 顧問のH・俊明氏の連載「覇王樹歌人の歌碑」は51回め、「角田蒼穂の歌碑」であり、モノクロ写真2葉と共に、2ページに渉る。
 顧問のW・茂子さんのエッセイ「落とし文考」は74回め、1ページ。
 編集委員のS・素子さんの研究「後水尾院時代の和歌」は76回め、1ページ。
 リレー・エッセイの「私のすきなこと・もの」は、2名で1ページ。
 各集・1月号評は、4名が各1ページずつ。
 受贈歌集紹介は、6冊を2ページに渉って。受贈歌誌紹介は、2誌を各5首と共に。
 支部歌会だよりは、7つの会を紹介している。
 編集後記、規約要旨、奥付けが48ページの仕舞いを飾っている。
 若干の数の歌を取り上げ、寸評する予定だったが、スペースと気力がないので、今回はパスする。






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 和田たんぽぽ読書会の3月読書会の課題図書、佐藤愛子のエッセイ集「九十歳。 何がめでたい」を読み了える。

九十歳。何がめでたい
佐藤愛子
小学館
2016-08-01

 小学館・刊、2017年・24刷、222ページ。
 佐藤愛子(さとう・あいこ)は1923年・生まれ、父は作家の佐藤紅緑、詩人のサトウ・ハチローは兄である。
 僕は残念ながら、佐藤愛子の本を読むのは初めてである。頑張り屋の豪快な女性と、噂は聞いていた。
 あとがきに当たる「おしまいの言葉」を読むと、老人性うつ病を自覚したころ、「女性セブン」の編集者がエッセイ連載の依頼に来て、隔週連載で引き受けたとの事である。連載のおかげで、脳細胞の錆びはいくらか削れてなくなりかけていた力が戻って来たと思うと書く。怒りの種が尽きたのか、闘うべき矢玉が盡きたと休載した。
 自転車がスーと横に現れる危険を若い人に愚痴ると反発される。そこで、ナニが進歩だ、ナニが感動的だ!と怒る。
 次の「来るか?日本人総アホ時代」では、スマホの普及と、馴染めない老人の嘆きを訴える。水道(と洗濯機)の普及はともかく、僕もITの進化はこれくらいで良いと思う。CIlubhouseやTikTokは要らない、IoTに向かってほしい。
 金銭づくの処理、ゆとりのなさを嘆く。「闘争心が人一倍強い」と自覚する作家の、時代に付いていけない事が多い、怒りの言葉である。僕は同意する点と、できない点がある。
ヒヤシンス (2)
写真ACより、「ヒヤシンス」のイラスト1枚。



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 「川端康成文学賞 全作品 Ⅰ」(新潮社、1999年・刊)より、1回めの作品、上林曉「ブロンズの首」を読み了える。
 「川端康成文学賞 全作品」2冊を、メルカリで購入したのは、2019年12月の事である。本を購入して1年で読まない本は処分する、という文学者がいるけれども、僕は何年も経てから読み出す場合があるので、処分できない。

川端康成文学賞 全作品 Ⅰ
 川端康成文学賞は、その年の短編小説から選ばれ、第1回は1974年である。
 上林曉「ブロンズの首」は、あるパトロンが彫刻家・久保孝雄に自分(上林曉)のブロンズを創らせ、それが好評だった事と、久保孝雄夫妻との交流を、描いた作品である。
 エッセイ風な身辺雑記である。彫刻家が49歳で亡くなり、追悼の気持ちが沁みている所が救いである。
 私小説の伝統が崩れてきて、こういう作風の受け入れられた時代だった。今ならエッセイ扱いかも知れない。
 上林曉の本は、筑摩書房「増補 決定版 現代日本文学全集 補巻8 上林曉集」(1975年・2刷)と、集英社「日本文学全集 52 上林曉 木山捷平 集」(1980年・2版)を持っているけれども、共に読み入っていない。








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 季刊同人歌誌「COCOON」Issue18が、入院の2日前の12月19日(土曜日)に届いた。
 同・Issue17の感想は、先の10月3日の記事にアップした。


COCOON Issue18
 Issue18は、2020年12月15日・刊、89ページ。
 同人は、結社誌「コスモス」の若手歌人(1965年以降・生まれ)より、集まっている。アンケート欄で確認したところ、同人30名。
  巻頭の32首詠4名、12首詠26名となる。
 エッセイ、評論、うた画廊のイラストと短歌、歌合の対戦、アンケートと、若さのある誌面である。
 読み了えたなら、つたない感想なりとアップしたい。読書時間はある。


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山之口獏全詩集
 Kindle本「山之口貘全詩集 小説・評論・随想 14篇併録」より、散文14編を読み了える。
 全詩集の紹介は、今月14日の記事にアップした。



 詩人の文章として、どれが小説やらエッセイやら分からない。
 「つまり詩は亡びる」と「詩とはなにか」が評論であることは分かる。しかし論理的な定言には至らない。
 エッセイでは、沖縄県出身であることや、るんぺん(自分でそう書いている)までしながら、詩の創作意欲を失わなかったことが強調される。沖縄県出身の卑下や居直り、るんぺん生活からの名誉など、詩一筋のせいの明るさがある。
 「自伝」「私の青年時代」他、はっきり自伝の文章もある。全詩集と相俟って、極貧にあって詩を捨てなかったのは立派である。僕は進学で、文学を諦めた時期がある。再開したのは、結婚して1児を得てからだった。ずいぶん出遅れてしまった。タラレバはない話だけれども。


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