風の庫

読んだ本、買った本、トピックスを紹介します。純文学系読書・中心です。

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ファンタジー

 今月15日の記事、入手した5冊を紹介する(7)で、ダウンロードを報せた、植原剛「焼き鳥」を読み了える。

 これでその時に挙げた、5冊すべてを読み了えたことになる。

焼き鳥 (小説)
植原 剛
2021-03-24

 400字詰め原稿用紙20枚の短編小説である。
 植原剛はインディーズ作家らしい。Amazonでは、この作を含め、4冊の小説がKindle出版され、カスタマーレビューも付いている。
 ストーリーは、飲み屋に入った「俺」が料理「とりつくね」(実は「憑りつく根」)の美味に憑りつかれる。
 「俺」の紹介が挟まれる。56歳、独身。小説家を目指したがものにならず、定職に就かず、周囲を避けて生きて来た。実家に資産があり、食うに困らなかった。
 「とりつくね」の製法は、酔っ払いの腰から生える影のようなものから、根っこを調理するのである。酔っ払いは、テーブルの端を流れる酒に酔いつぶれ、「影の水耕栽培」と店主は笑う。
 店主の郷里は「ねのこく」と教えられるが、「根の国」(広辞苑で、死者のゆく黄泉の国とされる)らしい。「俺」はそれより飲み屋に通い続け、「とりつくね」の素を何度も提供している。
 アルコールにより破滅しかけた男の心情を、ホラーファンタジーでよく描いた。
 作家の実力は認めるけれども、ジャンル?が僕と合わないので、Kindle Unlimited版ながら、続けて他の本を読む気は起こらない。お好みの方は、読んで応援してほしい。




02 (6)
 写真ACより、鉢植えのイラスト1枚。

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 江國香織の小説、「なつのひかり」を読み了える。
 彼女の小説は、先の6月14日の記事、「間宮兄弟」を読む、以来である。



なつのひかり
 「なつのひかり」は、集英社文庫、1999年1刷、2000年8刷。本文326ページの長編小説である。
 バーの歌手とウェイトレスの2つのアルバイトをしている「私」を、隣(マンションらしい)の薫平君が、逃げたヤドカリを探して現れる。
 「私」栞には幸裕という兄があり、兄にはパトロンの順子、妻の遙子と娘の陶子とベビーシッターのなつみ、愛人のめぐみがいる。遙子は自身にもわからない探し物に家出し、フランスにいたりする。
 ヤドカリのナポレオンは神出鬼没で人々をかき回し、兄も失踪する。
 結局「私」は、ヤドカリの呪いを解き、兄と遙子を見つけて、順子・めぐみとの関係を解消させる。
 ヤドカリが人を導いたり、モーテルの部屋からフランスの海岸へ瞬間移動したり、荒唐無稽なストーリーながら、描写は細密で、不気味さを感じさせる。
 僕はマルケスの「百年の孤独」など数冊を読んだが、「なつのひかり」は、マジック・リアリズムという呼び方がぴったりだ。ほぼ同時期に出た、大江健三郎「燃えあがる緑の木」3部作より、うまいくらいだ。ファンタジー出身も強味となっただろう。このマジック・リアリズムが江國香織に、どれだけ根づいたかは別として。


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 森絵都のYA(ヤング アダルト)小説「カラフル」を読み了える。昨年暮れに、メルカリより350ポイントで買っている。
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 文春文庫、2015年37刷。単行本:1998年、理論社・刊。産経児童出版文化賞・受賞。

 死んだ筈の魂が、ボス(万物の父)の抽選で、プラプラという天使の案内と助言で、服毒死した小林真の体に、試験的に舞い戻る。神を想定する所から、現代ファンタジー風になっている。
 父は利己的、母は不倫経験あり、片思いをよせるひろこは愛人に貢がせている。兄も意地悪そうである。しかし小林真は、それぞれの人物の真実を知ってゆき、世界に馴染んでゆく。
 そして魂の僕が、小林真自身であった事を思い出し、ジ・エンドとなる。大団円は月並みだけれども、ハッピーエンドである。
 1度でも死にたいとか、自分は居ない方が良い、とか思った事のある人にはお勧めである。YA小説の隆盛によって、読書離れと言われる若者が、本に戻って来れば幸いである。




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 砂子屋書房「葛原妙子全歌集」(2002年・刊)より、第4歌集「薔薇窓」を読み了える。
 第3歌集「飛行」の感想は、今月11日の記事にアップした。



 歌集「薔薇窓」は、1978年、白玉書房・刊。1954年~1964年の307首が、他の歌集に遅れて単行された。

 僕の短歌観から言うと、ファンタジー(寺山修司を含む)を除き、想像の歌は意外と面白くない。「幻視の女王」などと、持て囃されたようだが。
 アクロバティックなまでの、句割れ、句跨りも、近代短歌、第2芸術論等から、脱け出すための藻掻きだったかも知れない。下句「過去はあると/ころに断たれき」など。
 ステレオの歌がある。当時はセパレート・ステレオ・セット、LPの時代だったろう。僕の記憶では、一般家庭に無かった。裕福でありながら、女性として、生活に満足できなかったのだろう。
 一方、家紋に美しさを見るなど、古風なところもある。
 「懲罰のごとく雪積み」の歌がある。積雪を観念語で比喩している。比喩などのレトリックは、心情を良く伝えるための手段だと、伝達論を未だに僕はほぼ信じているから、この比喩はわかりにくい。同じ歌に「氷の壺」という句があり、「~のような」があれば直喩、なければ暗喩という考えに、僕は疑問がある。
 後に挙げるけれども、「赤き手に砕く音する・・・」の秀歌がある。
 葛原妙子の歌集はまだまだ続き、僕は手探りで読んでいるので、どのような発展があるか知れない。


 以下に6首を引く。正字を新字に変えてある。
砂塵あがる街角にして幼子ら瞑目のやうなるまたたきをせり
寡婦となり給へる御目閃きて勁きをしづかに頼み申せる(師、太田水穂みまかりたまふ)
掃くことのうつくしきかも冬の庭真角(まかく)に掃くはすがしきろかも
あるひは砂礫に混り掃かれたる骨片のひとつわれかもしれず
フロントグラス陽を切り返す斎場の自動車(くるま)つぎつぎに向きを変へつつ
赤き手に砕く音する錐をもてにぶき氷を飛散せしめよ
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写真ACより、「ケーキ」のイラスト1枚。






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