風の庫

読んだ本、買った本、トピックスを紹介します。純文学系読書・中心です。

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フィクション

 思潮社・現代詩文庫155「続・辻征夫詩集」より、5番めの「河口眺望」全編を読み了える。
続・辻征夫詩集 (現代詩文庫)
辻 征夫
思潮社
1999-02T

 先行する、「ボートを漕ぐおばさんの肖像」から、は先の4月29日に記事にアップした。


 「河口眺望」には、全16編の詩を収める。1993年、芸術選奨文部大臣賞、詩歌文学館賞を受賞した。
 この詩集には、それほど優れた作品は多くなく、大きな賞にふさわしいかわからない。
 ただ「おばさんには…たよりない子供の影も見えていて/その子がやがて/<ボートを漕ぐおばさんの肖像>という/いくつかの詩を書くのである」(「ボートを漕ぐおばさんの肖像」から、「遠い花火」より)と、少年時代の自分と大人の自分を、二重写しにして、ノスタルジーをそそる内容がある。
 「河口眺望」では、「電車と霙の雑木林」で、電車に乗る「子供のときのわたくし」と40年後に同じ電車に乗る自分を重ねて、感慨を醸す。
 「海雲台」、「孝子洞」、「豚祭」の3編は、韓国を訪れた際をテーマとし、庶民的な社会性とエロチシズムを描く。
 「突然訪れた天使の日の余白に」の「一九三九年」の章では「わが家ではすでに長男が死んでいた/もしかれが死ななかったらぼくは/生まれなかったにちがいなくて」と、3つ前の詩集「鶯」の冒頭、「突然の別れの日に」のテーマの謎解きをするかのようである。兄の夭逝が、フィクションの可能性は残る。


 戦後詩の「荒地」と「列島」の衰えのあと、評価されるに至った抒情詩人である。
4 (4)
写真ACより、「ビジネス」のイラスト1枚。



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 景山民夫の短編小説集「ハイランド幻想」を読む。
 ブログ「風の庫」「サスケの本棚」に共に記事がないので、初めての作家だろう。
ハイランド幻想
 中公文庫、1997年・刊、250ページ。

 景山民夫(かげやま・たみお、1947年~1998年、享年50歳)は、放送作家として大成功のあと、小説家に移った。
 「ハイランド幻想」には、10編の短編小説を収める。
 苦難を越えてハッピーエンドのストーリーの中に、特異な「狸の汽車」が挟まる。狸の古老・権兵衛が、後輩たちの目の前で、日本最初の汽車と化け物対決し、あっけなく敗死する結末である。狸が人を化かす自慢話は、創作の手の内を明かすようだ。汽車が何の比喩か分からない。科学文明を指すのではないだろう。
 表題作「ハイランド幻想」は、日本からネス湖のネッシーを探りに行くストーリーである。ゆるゆると旅を楽しむが、ベンチより夜のネス湖に大きな黒い影が横切っても、ウィスキーの瓶と共にホテルへ戻ってしまう。すべてのフィクションが空しい、というように。


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 岩波文庫の一茶「七番日記」(下)より、3回めの紹介をする。
 同(2)は、今月7日の記事にアップした。




 今回は、文化12年正月~6月の半年分、111ページ~151ページ、41ページを読んだ。
 北信濃の宗匠として活躍し、自然豊かで、蛙、燕、雲雀、キリギリス、蟬、梟、雀、猫などの小動物も吟じられている。
 暗喩、フィクションなどの句もあるが、これはないでしょうという現実離れした句もある。
 諧謔ではなく、正統的に吟じられた清しい句もある。
 131ページ頭記には3春(正月~3月)46日在庵、151ページ頭記には3夏(4月~6月)25日在庵、(半年で)在庵71日と記され、変わらず出張指導に忙しかった事が知られる。
 また3夏236句と記され、変わらず健吟であった。


 以下に5句を引く。
膳先
(ぜんさき)へ月のさしけり梅の花
野ばくちが打
(うつ)(散)らかりて鳴(なく)雲雀
門先
(かどさき)や汁の実畠拵(こしら)へる
白雨
(ゆふだち)がせんだくしたる古屋(ふるや)
我菴
(いほ)や小川をかりて冷(ひや)し瓜
ツバメ
写真ACより、「ツバメ」のイラスト1枚。





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 谷崎精二・個人全訳「ポオ全集」(春秋社)第3巻(1978年・5刷)より、3回めの紹介をする。
 同(2)は、今月20日の記事にアップした。



 今回は、短編小説「軽気球虚報」1編のみを読んだ。このあと第3巻には、長編小説「ゴオドン・ピムの物語」しか収まっていないからである。

 「軽気球虚報」は、飛行船(軽気球とはなっているが、楕円形でプロペラ(翻訳ではスクリューとなっている)、舵を備える)で、大西洋横断に成功するフィクションである。イギリスからフランスへ、英仏海峡を越える予定の所が、気流の関係で大西洋横断に方針を替え、75時間で成功する。
 ライト兄弟の初飛行が1903年、リンドバーグの飛行機による大西洋横断は1927年である。1809年・生~1849年・没のポオは飛行機を知らず、飛行船の冒険に想像を馳せるしかなかったのだろう。

飛行船
写真ACより、「飛行船」のイラスト1枚。


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 村上春樹の短編小説集「一人称単数」を読み了える。
 到着は、今月21日の記事、届いた2冊を紹介する(14)にアップした。





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 「一人称単数」」は、2020年7月20日、文藝春秋・刊。8編の短編小説を収める。

 初めの「石のまくらに」は、二十歳にもなっていない「僕」が1夜を共にした娘さんが、数日後、歌集(実は5行歌風)を送ってくれて、今でも机の引き出しにおいて、稀に読む、という話である。娘さんの名前も顔立ちも覚えていないけれど。紋切型でいうなら、「人生は短い。芸術は長い。」の実感だろう。
 「チャーリー・パーカー・プレイズ・ボサノヴァ」は、大学の文芸誌に1文を載せた、という事からフィクションだろう。しかもその1文の内容はフィクションだった。フィクションにフィクションを重ねながら、夢に現れたチャーリー・パーカーがボサノヴァをプレイした事は真実だろう。作者がその夢を実際に見たか否かは別にして。
 「ウィズ・ザ・ビートルズ」は、1種のヰタ・セクスアリスであると共に、15年後にはその相手・サヨコが結婚・2人子を持ちながら、32歳で自死していた事を知る。村上春樹の小説に時々現れるテーマで、彼にトラウマがあるのか願望か。
 「品川猿の告白」は、言葉を覚えた猿が、女性を恋しくなると名前の1部を盗み(女性は自分の名前を忘れたりする)、その名を呼んで耐える、というストーリーである。荒唐無稽ながら、1種実感がある。
 書き下ろしの「一人称単数」では、バーで見知らぬ女性から酷く非難される。「恥を知りなさい」とまで言われて。僕たちも村上春樹の小説に期待する余り、むやみに非難する事は避けたい。
 でも村上春樹は、自身が言っていた、ドストエフスキー流の作家になれるのだろうか、長編小説に期待したい。


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 先の9月18日の記事、入手した4冊(4)で紹介した内、小坂井大輔・歌集「平和園に帰ろうよ」Kindle Unlimited版を読み了える。
 書肆侃侃房の新鋭短歌シリーズとして、9月15日の記事、寺井奈緒美・歌集「アーのようなカー」同を読むに次ぐ。

4・小坂井大輔 平和園に帰ろうよ
 「平和園」とは、名古屋駅西口にある、中華料理屋であり、小坂井大輔の実家で職場である。ここに多くの歌人が訪れ、歌人の聖地と呼ばれる。記名帳には、多くの歌人の名前が記され、憧れの地となっているという。
 笹公人のツイート写真では、小坂井大輔は体格の良い、スポーツマン風である。歌集には、試合・部室の語の入る歌もあった。フィクションも混じるだろうが、ヘタレの歌を詠み、生き辛そうである。
 歌集を進むに連れて、レトリックが上手になって、空転しているような歌はつまらない。
 短歌と人気と収入で、歌集出版に至ったことはめでたい。


 以下に7首を引く。
値札見るまでは運命かもとさえ思ったセーターさっと手放す
株券が紙きれになる阿阿阿阿と居間で小さな父がのた打つ
無くなった。家も、出かけたまま母も、祭りで買ったお面なんかも
雨の音をアプリで買って聴いている晴れの日こんな午後に死にたい
母親が手押し車を欲しがる日なぜか生あくびが止まらない
苦しいと狂おしいってよく似てるあめあめふれふれもっともっとだ
おれもテフロン加工してくれ困難で焦げつく身体だから頼むよ


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 岩波文庫で室生犀星「或る少女の死まで 他二篇」より、標題作「或る少女の死まで」を読み了える。
 今月3日の記事、
同・「性に目覚める頃」に次ぐ。
概要
 この岩波文庫に収められた、初期3部作は、大正8年の「中央公論」3冊が初出である。
 自伝としては、あまりに美化されたフィクションが多いと、研究家によって明らかにされている。

 「或る少女の死まで」は、4人グループで酒場で酒を飲んでいて、ある男と喧嘩をして仲間が傷つける。示談の費用にも、面談にも引っ込みがちな友人たちと、警察署内の体験に嫌気がし、宿を替える。

 酒場の女の子も死の床に臥し、同宿だった女の子(ボンタンと呼んで親しんだ)も「私」の第1回の帰郷(「都落ち」と記されている)の後に亡くなっている。
感想
 詩作では生活できない状況(今もほとんど変わらない)だった事もあり、成功を願って都会に蠢く青年たちがいて、暗い底辺を成していた。着物を売って「私」の借財返済を助けてくれる友人も描かれる。

 当時は男尊女卑があったから、か弱い女の死でもって、心境描写の結末を付ける事ができた。現在では、受け入れられない手法だろう。

 室生犀星の小説を僕は、この他に「杏っ子」しか読んでいないので、その後の作家を語り得ない。しかし伝記集「我が愛する詩人の伝記」を読んで、深く感服し、繰り返し読んだ経験がある。今もあちこち探して、単行本・版を見つけ得た。
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写真ACより、「ファンタジー」のイラスト1枚。



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