風の庫

読んだ本、買った本、トピックスを紹介します。純文学系読書・中心です。

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ユーモア

 昨日に到着を報せたばかりの、定道明さんの短編小説集「雪先生のプレゼント」を読み了える。
「雪先生のプレゼント」
 「雪
(せつ)先生のプレゼント」には、7編を収める。アマチュア作家同士の友情と相手の死を描く、「一人旅」がある。
 福井出身の詩人で、芸術院賞、恩賜賞を受け、芸術院会員の荒川洋治氏の生家を訪ねる「茅萱と小判草」では、案内のMさんが、山岳エッセイストM・迪男さんと推測されて楽しい。荒川洋治氏の家には、共に高校生だった頃、招かれた事がある。高見順の生家・墓地と共に、写真が残っている。僕の卒業間際にも招かれたようで、早稲田の角帽の荒川氏との2ショットが残っている。
 「餡パンを買いに行く」は、自動車運転免許証を返納して、シニアカーに乗る作者が、餡パンを買いにシニアカーで出かける話である。僕も車を辞めた(免許証は持っている)あと、外出が不便で困っている。
 「雪
(せつ)先生のプレゼント」は、かかりつけ医の女医・雪先生より、きれいな空き箱を貰う話である。ありがたさは、貰い物の箱が捨てられぬようになるまで、「遠い時間が必要だったのである。」。
 「DK虫」は、老いたせいか早起きの作者が、DK(ダイニングキッチン?)に籠る話から展開する。
 様々に、フィクションも混じるだろうが、老いての巧まないペーソスとユーモアに満ちている。


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 山田詠美の短編小説集「タイニー ストーリーズ」より、初めの5編を読み了える。
 購入は、昨年12月25日の記事、メルカリより4冊を買う、で報せた。



 題名のtinyは、とても小さい、という意味である。tiny storiesは英和辞典にないけれども、その語でググると、それを副題とした原書の写真が何冊か出て来るので、通用している語である。
 短編小説は、little storyとされているようで、tiny storyはそれよりも短く、日本語で原稿用紙数枚くらいの掌編小説よりも長いようである。

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 文春文庫、2013年・刊。帯の「アソート」は、組み合わせ、品揃え、の意味である。
 初めの「マービン・ゲイが死んだ日」は、若くして胃癌で亡くなった母親の遺品のメモに不可解な数行があり、それが解かれる話である。
 「電信柱さん」は、動けないが五感を持つ電信柱の独白と言う、奇妙な展開である。かつて森瑶子は、「何でも小説の主題になる」と宣って商品券を主題とする短編小説を書かされた。山田詠美の小説も熟達して、何でも主題にできる域に入ったのかも知れない。
 「催涙雨」では、アルコール中毒で入院した夫を見舞う妻が、入院患者たちと親しくなり、不能だという患者に口淫するまでになる。

 「GIと遊んだ話(一)」では、土曜日のラブホテルがどこも満杯で、不思議な古い旅館(元は遊女屋?)に明日出航するGIと、多美子が泊る。その後、多美子は捜しても捜してもその宿を見つけられない。
 「百年生になったなら」は、息子と娘、夫と姑にないがしろにされる、パート勤めの主婦が主人公である。老女の万引き事件を目撃して目覚め、100歳になったら犯罪を重ねようと決め、準備を始めたところ、異変に気付いた家族に大事にされ、翻意するに至る。素直な性格の主人公の、心の移り変わりが面白い。
 ユーモアあり、深刻あり、サスペンス風ありと、彼女のペンは自在である。




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 三浦哲郎のエッセイ集「おふくろの夜回り」を読み了える。
 入手は、先の11月10日の記事、入手した3冊を紹介する(5)にアップした。



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 「おふくろの夜回り」は、メルカリで見掛けた時、帯に「名文家が最後に遺した言葉」とあるから、注文した。遺稿、あるいは少なくとも単行本未収録の、エッセイを集めた本かと思った。
 届いてみると、文藝春秋「オール読物」に30数年に渉って載せたエッセイ47編と、日経新聞に載せた1編、それも総て単行本収録の作品で、没する直前に刊行された。看板に(この場合は、キャッチコピーだけれども)偽りあり、と言わざるを得ない。その後も、小説、エッセイは刊行されている。ネットで見て、内容を確認できないまま、説明(帯文を含む)だけで買うのだから、紛らわしいことは止めてほしい。


 48編は、ペーソスとユーモアを含んだ、三浦哲郎の得意の短文である。「挨拶」、「酔客」と掌編小説仕立ての作品もある。老い、病気、回想の文章が多く、三浦哲郎の晩年を偲ばせる。
 作家の死が報じられた時、短編小説等の名手として、惜しい人を亡くしたと、詩の仲間と嘆いたものである。
 なお生前に自選全集(新潮社、13巻)を刊行したせいか、2010年に没して今に至るも、全集の刊行されていないことは、恨みがましいことである。


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 先の7月6日の記事、入手した5冊(2)で紹介した内、「続続 荒川洋治詩集」に読み入る。5冊の内、残った1冊である。
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 思潮社・現代詩文庫242。2019年6月15日・刊。定価:1,500円+税。
 7冊の詩集からの抄出、未刊詩編7編、散文、等より成る。

 まず詩集「一時間の犬」より、15編。
 彼の詩は難解とされるが、講演の時の様子や内容から、解ってくる事もある。
 彼はユーモア好きで、愛想も好く、文学には芯の通った考えがある。

 「ベストワン」より。「私は生きている/同情と共感でおどろき嘆きかなしむが/私は二度と生きたりしない」。同世代の者へだろう、同情と共感を持っている。しかし「生き直したりしない」という意味だろう。生き直す、と思った自分に痛い。
 「ギャラリー」より。運動が苦手なのか、主人公はブランコを上手く漕げない。恋人に見つめられて、しぶしぶ漕ぐ、遣る瀬無さである。
 「土の上を歩くのですから」。土の上を歩く者が、荒れ狂う水上の船に乗る者たちを見ている。終2連は「めざめて わたしは泣くだろう/焚火のまえで//あの人は?と/両手をついて」。詩人にも両手をついて「謝する者」(感謝、詫びる、共に)が居るのだろう。
 「資質をあらわに」では、モーツァルトの曲を目覚ましにする、物質的に豊かな時代を、「人にはもはや成すことも することもないのだ」と批判する。


 僕の解説では、よくわからないだろうが、読者は共感する所を探してゆくしかない。



 
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 現代詩作家・荒川洋治氏(高校文芸部の1年・先輩)の恩賜賞・日本芸術院賞受賞記念講演が、8月17日(第3土曜日)の午後2時より、福井県立図書館の1室で行われ、僕も予約聴講した。
 詩の催しとして、今年6月24日の記事、第2回「蝸牛忌」参加の記に次ぐ。

荒川洋治 講演会
 午後一時半、会場に着くとすでに開場しており、待ち合わせた詩人のA・雨子さんが廊下にいない。会場内に彼女の姿を見つけ、(3椅子1組の右端に座っていたので)1つ後ろの席に座り、約束していた「方言集」新版3部、室生犀星の「我が愛する詩人の伝記」(古本、ビニールカバーに包んで)を渡した。
 講演のあとサイン会があるということで、何も持って来なかった(先日に買った現代詩文庫「続々 荒川洋治詩集」を持って来れば良かった)僕は、そのサイン会で方言集を渡そうと、A・雨子さんより1部を戻してもらった。


 講演者の荒川洋治氏の入場、登壇には会場(定員150名1杯)から、暖かい拍手が起こった。県・教育長(?)より、記念品・贈呈。
 講演は、詩・評論の活動を振り返って始まった。小学生時代は内気な子で、自分で打破するべく、中学校の生徒会の書記・会長を務めたこと。中学時代、国木田独歩の「山林に自由存す」に倣って海岸の松林を巡ったところ、20余編の詩が生まれ、自信が付いたことなど。
 ユーモアを交え、時に毅然と語り、僕は小声で笑ったり涙を拭ったりして聴いた。高校生時代の思い出として、僕の本名(フルネーム)やM・晴美さんの名前も挙げられた。
 後半、僕は腰が痛くなり、迷惑になる前にいったん退席し、喫茶室でアイスコーヒーを飲んで、休憩した。20分くらいで席に戻った。講演は自作「美代子、石を投げなさい」の朗読で、予定の3時40分丁度に結着した。講演終了・退場にも会場より、惜しみない拍手が送られた。

 サイン会の前、廊下で荒川洋治氏に方言集を、「プリントの粗末なものですけど」と手渡して、一礼した。
 帰ろうとすると、作家・評論家のH・二三枝さん(高校文芸部の後輩)に会ったので、「荒川さんに挨拶したら」と促した。彼女は「このあと、荒川さんたちと三国町(2人の出身地)で、慰労会(?祝賀会?)があるの」と言うので、僕は思わず「羨ましいなあ」と嘆声を上げた。




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「COCOON」Issue11
 季刊同人歌誌「COCOON」Issue11を、ほぼ読み了える。
 到着は、先の3月25日の記事、「1冊と1枚」にアップした。
 また同・Issue10の感想は、今年1月2日の記事にアップした。
概要
 概要の1部は、「1冊と1枚」に述べたので、リンクをご参照ください。
 85ページ。通常・短歌は1段組み、1ページ6首。
 巻頭24首4名、12首23名、時評、評論各種、イラスト短歌「うた画廊」2枚、歌合2題、エッセイ等、連載コラム、批評会記、全員アンケート等、賑やかである。
感想

 以下、引用に添いつつ、感想を述べたい。
 H・みささんの「日々はあたらし」24首より。
チューニング合わせきれずに平成を生きておりしが平成終わる
 平成に馴染めなかったのだろうか。初句2句の暗喩表現は、ぴったり言い当てている。
 O・達知さんの「mumble bumble」12首より。
鶏ももの三百グラム買うときの、ちょっと出ちゃっていいですか?好き
 会話体をまじえ、完全口語体短歌へ傾く。ヒューマニティに通じる、ユーモアがある。
 S・ユウコさんの「はなとゆめ」12首より。
お別れの理由をもしも訊かれたら音楽性の違いと言おう
 「音楽性の違い」は、生のリズム、メロディの違い、生き方の違いだろうか。超越的な比喩と呼ぶべきだろう。
 S・なおさんの「蜂とはちみつ」12首より。
朝が来て夜が来てまた朝になる 大きなカブはまだ抜けません
 「大きなカブ」は、明るい童話である(表記は知らない)。カブは、心に大きくなった、悲嘆、怨恨かと思い至る。


 

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 思潮社「関根弘詩集」(1968年・刊)より、当時・既刊のしまいの詩集「約束したひと」を読み了える。
 先の1月22日の記事、
同「イカとハンカチ」を読む、に次ぐ。
概要
 原著は、1963年(日本共産党・除名後)、思潮社・刊。このコレクション詩集には、年譜がなく、Wikipediaにも載っていない。
 後に買った土曜美術社出版販売・日本現代詩文庫「関根弘詩集」の年譜と、三省堂「現代詩大事典」(2008年・刊)の書誌には、詩集「約束したひと」が載っている。
感想
 冒頭の「寓話」は、4編の昔話のパロディである。童話類のパロディでは、複雑苛烈な現代は解明できないように思える。
 「ケッコン行進曲」では、「カキクケッコン/サシスセンソウ」のフレーズが繰り返されるが、スローガンでもなくユーモアもない。
 「コンサート」の1節「寝床の中で/雨をきいている幸福もある」には、読書とネットに籠もりがちな僕は、同感する。
 「部屋を出てゆく」の、「大型トラックを頼んでも/運べない思い出を/いっぱい残してゆくからだ」には、引っ越しの悲しみが、よく表わされている。
 掉尾の「約束したひと」は、待てども現れない革命への未練だろうか。
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写真ACより、「キッチングッズ」のイラスト1枚。




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