風の庫

読んだ本、買った本、トピックスを紹介します。純文学系読書・中心です。

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三浦哲郎

 三浦哲郎のエッセイ集「おふくろの夜回り」を読み了える。
 入手は、先の11月10日の記事、入手した3冊を紹介する(5)にアップした。



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 「おふくろの夜回り」は、メルカリで見掛けた時、帯に「名文家が最後に遺した言葉」とあるから、注文した。遺稿、あるいは少なくとも単行本未収録の、エッセイを集めた本かと思った。
 届いてみると、文藝春秋「オール読物」に30数年に渉って載せたエッセイ47編と、日経新聞に載せた1編、それも総て単行本収録の作品で、没する直前に刊行された。看板に(この場合は、キャッチコピーだけれども)偽りあり、と言わざるを得ない。その後も、小説、エッセイは刊行されている。ネットで見て、内容を確認できないまま、説明(帯文を含む)だけで買うのだから、紛らわしいことは止めてほしい。


 48編は、ペーソスとユーモアを含んだ、三浦哲郎の得意の短文である。「挨拶」、「酔客」と掌編小説仕立ての作品もある。老い、病気、回想の文章が多く、三浦哲郎の晩年を偲ばせる。
 作家の死が報じられた時、短編小説等の名手として、惜しい人を亡くしたと、詩の仲間と嘆いたものである。
 なお生前に自選全集(新潮社、13巻)を刊行したせいか、2010年に没して今に至るも、全集の刊行されていないことは、恨みがましいことである。


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 最近に入手した3冊の本を紹介する。
 入手した本として、結社歌誌を除き、先の10月29日の記事、入手した2冊を紹介する(7)以来である。



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 永田和宏の回想記「歌に私は泣くだらう」。新潮社、2012年7月20日・刊。定価:1,300円+税。
 ある読書会に新しく参加する予定で、11月の選定図書である。
 メルカリで古本を、所持ポイントと325円で買った。
 文春社の「たとへば君 四十年の恋歌」を単行本と文庫本と2度読んだが、いずれも人に譲ったようだ。

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 三浦哲郎のエッセイ集「おふくろの夜回り」。
 2010年9月10日、2刷。定価:1,619円+税。メルカリで540円。
 帯のコピーに惹かれて購入したが、足掛け30余年の短いエッセイ47編だった。生前版。
 この後にも彼の本は出版されている。

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 先日、車で郊外の書店「KaBoS ワッセ店」へ出掛けて、ネット関係で今1番要りそうなガイド本を買った。
 「できるWindows10 パーフェクトブック 改訂4版」。2018年12月21日・刊。
 定価:1,480円+税。dポイントを1部使った。
 971項目を収めるというが、短い説明(半ページ、4分の1ページ)が多く、解りにくい。同系の改訂2版と共に、参考にしたい。




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 最近に手許に届いた4冊の本(3回め)を紹介する。
 同(2)は、今年2月16日の記事にアップした。
 入手した本として、先の9月25日の記事、入手した5冊(4)に次ぐ。

春の舞踏 1春の舞踏 2
 まず三浦哲郎の小説「春の舞踏」上・下(文春文庫)である。
 メルカリに2冊セットで出ていて、珍しい本なので購入した。本の説明にあったけれども、1976年の本で、古びており、本文もヤケている。ファンでないと、読まないだろう。
 一旦は文庫本棚にお蔵入りである。

詩集 1
 県内にお住いの詩人、こじま ひろさんが、詩集「逝き咲き」を贈って下さった。
 2019年9月、山吹文庫・刊。3章22編の詩と、著者・あとがきを収める。
 福井県ふるさと詩人会・代表の川上明日夫さんによる、帯文と栞4ページを付す。
 2012年3月2日・刊の「焼夷弾とでんでんむし」に次ぐ、第2詩集である。

詩集2
 県内にお住いの詩人、関章人(せき・しょうど)さんが、詩集「在所」を贈って下さった。
 2019年9月25日・刊。私家版。
 5章31編の詩と、著者・うしろがき、著者・略歴を収める。郷土史家・文学評論家として活躍し、詩歴も長いと記憶するが、過去の詩集の証しは、「年刊 詩集ふくい」の執筆者資料に載せていない。



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 三浦哲郎の短編小説集「愁月記」(新潮文庫、1993年・刊)より、しまいの7編目、「病舎まで」を読み了える。
 先の2月22日の記事、
同「海峡」を読む、に次ぐ。

 足掛け4年めに入る、月刊誌連載の小説(「白夜を旅する人々」らしい)の途中で、身体異常を感じ、掛かりつけの医師に診てもらうと、血圧の上が218、下が130で、すぐ他のK病院へ入院する事になる。そのK病院の野崎医師の測定では、血圧計の上限、260を振り切れてしまい、原因調べの検査を続ける事になる。初めての入院である。
 結果は、とくべつ悪い所はなく、本態性高血圧症と診断される。
 作家が1番気にする事は、心情というか心の調子というか、自分が変わって、途中のままの小説を続けられない、あるいは小説を書けなくなる事である。
 救いは、付き添う夫人が気遣いつつ明るく、前向きな考えであり、また見舞う娘さんたちも純情な事である。感謝の言葉と、慈しむ眼がある。
 この小説の中でも、不遇だった兄姉のことは、書き込まれている。

 「あとがき」では、後に吐血にも見舞われたが、回復したと述べている。
 2010年、79歳で亡くなった。短編小説など、もっと読みたかったと、当時の文学仲間と惜しんだことである。
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写真ACより、「キッチン・グッズ」のイラスト1枚。


 Instagramデビューしました。よろしくお願い致します。




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 三浦哲郎・短編小説集「愁月記」(7編)より、5番目の「居酒屋にて」を読み了える。
 今月8日の記事、同「夜話」に次ぐ。
概要
 この短編に至って、僕はこの本を以前に読んだ事があると気づいた。前ブログ「サスケの本棚」にも記録がないから、2007年4月以前に読んだのだろう。
 この作品は、ショッキングだったようだ。また再読を、後悔しない。短編集ながら、構成は複雑で、込められた思いを充分には感じ取れていなかったのだろうから。
感想
 若い看護婦(現在は看護士)が夜更けの居酒屋で深酔いしている。おかみとの遣り取りを、作家が耳に入れる設定である。死に際の老男性が乳房に触れようとする事について、「…たったいちどだけって、涙を浮かべて拝んでは手を伸ばしてくるんだから。やりきれないわ」。「拝むと間もなく亡くなるから」。「どうしても厭だとはいえないの、あたし」。
 「わかった。今夜もまた、拝まれてきたんだ」(おかみ)。「そうなの。だんだん手垢にまみれてくるわ」。
 躰が汚れた、結婚を諦めたと、豊満な娘さんがストイックに嘆く。
 老男性の死に際の無念を救ってくれるなら、神仏よりも尊いと、感銘を受ける。
 「夜話」でも挙げた、「神なき信仰」に関わるだろうか。僕は信仰を持たない。信仰なき祈り、はある。
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写真ACより、「キッチングッズ」のイラスト1枚。



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 三浦哲郎・短編小説集「愁月記」(新潮文庫、1993年・刊、7編)より、4番目の「夜話」を読み了える。
 今月3日の記事、
同「からかさ譚」に次ぐ。リンクより、過去記事へ遡り得る。
概要
 16ページの短編ながら、4章(無題)に別れている。
 飼い犬のブルドッグ「ボス」の老いて、死に至り、遺骨を八ヶ岳山荘の近くに埋めての、異変譚までを描く。
 作家の親族、家族への情愛は、飼い犬にまで及び、冷静ながら親しく書かれている。
感想
 詩人・鮎川信夫は「(戦死者の)遺言執行人」を名乗ったが、三浦哲郎もまた1族の成り行きを小説に遺したといえるだろう。もっともその他のフィクション、伝記的な作品もある。僕が読み進められなかったからかも知れないが、「夜の哀しみ」(新潮文庫、上・下巻)など、なぜ不倫のストーリーを描いたのか分からない。
 エピソードの1つに、フィラリア予防は気慰めくらいにしか効かない、というのがある。僕は2代の犬を飼ったが、2匹目はフィラリアで死んだ。知識がなく、外飼いの犬は9割くらいフィラリアに罹ると知らなくて、予防をしなかった。エピソードにわずか、慰められる。しかし医学の発展があるから、20年くらい前の事ながら、あるいは救えた命かも知れない。それ以来、ペットを飼わせてもらえない。
 山荘の犬の墓や写真の異変譚に、霊魂の存在を信じているような所がある。神仏は信じていなかったようだが、神なき信仰というものはあったかも知れない。
 家族に可愛がられて生き死にした、ペットの物語である。
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写真ACより、「キッチングッズ」のイラスト1枚。




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 三浦哲郎・短編小説集「愁月記」(新潮文庫、1993年・刊)より、3番目の「からかさ譚」を読み了える。
 先の1月29日の記事、
同「ヒカダの記憶」を読む、に次ぐ。リンクより、過去記事へ遡り得る。

 作家が探しあぐねたあと、浅草の仲見世で、和傘屋で音のよいからかさを、刃物屋で鉈を買う所から始まる。
 2つ共、八ヶ岳山麓にある小屋(別荘とは、決して書かない)に持って行くためである。鉈は山荘で薪を作るため、からかさは郷里で一人住む姉(色素が欠けていて、目がわるく、琴の師匠をしながら、独身を通している)を、誘うためである。
 母の3周忌で姉が、位牌もお仏壇も、持って行って貰ってよい、と投げ遣りな言葉を吐いたのを、気にしている。姉を慰めようと、晩秋の山小屋へ誘うが、いったん約束しながら、話は不首尾におわる。
 父母を亡くし、4人の兄姉は不遇な宿命を辿っており、2人生き残った姉弟である。姉弟、兄妹の関係は、兄弟(父の死で縁が薄まる)、姉妹(結婚で縁が薄まる)よりも、縁が深いとある思想家は書いた。
 郷里で母の世話をした姉への、労わりでもあっただろう。
 ただし姉は作家の優しい思い遣りよりも現実的で、琴の弾き始め会の準備に忙しがっている。作家の繰り返し描いた、家族譚の後期の1編である。
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写真ACより、「乗り物」のイラストの、しまいの1枚。



 
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