風の庫

読んだ本、買った本、トピックスを紹介します。純文学系読書・中心です。

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回想

 昨日の記事、入手した3冊を紹介する(13)のうち、矢部太郎のマンガ「ぼくのお父さん」を読み了える。僕も安易に就くのだろうか。それから登るつもりである。


ぼくのお父さん
矢部太郎
新潮社
2021-06-17

 感想として、「大家さんと僕」シリーズ程には面白くない。「大家さんと僕」シリーズは、今回のようにオールカラーではなく、モノクロだったと記憶するけれども、4コマ・マンガの枠をきっちり守っていた。それが今回は、最大4コマ6連にまでなっている。幼年時代、家族への情が、4コマで収まらないのかも知れない。でも4コマ・マンガは俳歌のように、定型に収めるからこそ面白いのである。
 それと家族の情を大きな題材にした面も、マイナスだったか。家族は、愛憎の果てに愛しいものだからである。少年時代の友人(女の子を含む)と無邪気に遊ぶエピソード群が、僕の回想を呼び出して楽しめた。

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 イラストACより、「自然」の1枚。



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 筑摩書房の「ウンガレッティ全詩集」(河島英昭・訳、1988年・刊)より、詩集「散逸詩篇」を読み了える。
 先行する詩集「最後の日々」は、先の11月27日日の記事にアップした。




ウンガレッティ全詩集
 全詩集の函の表を再掲する。

 「散逸詩篇」は、1915年~1927年までに書かれながら、当時(1945年)までに詩集未収録の詩編を、デ・ロベルティスが纏め解説・異稿を付して、モンダドーリ社から刊行された。イタリアで最初の詩を発表してから、従軍、除隊、公務に就き、結婚、37歳に至るまでの小詩集(全詩集で25ページ)である。

 出身地・エジプトや若年時代の回想、レトリックを用い始めた習作詩編などである。年代と執筆場所を付記した詩も多い。

 このあと22ページに渉って晩年の詩論「詩の必要」が収められるが、自己弁護を出ないようなので、精読をしない。この後は訳注・年譜・解説である。これで全詩集1冊の仕舞いとしたい。


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 7月8日(第2水曜日)の午前10時より、短歌研究会C・7月歌会が持たれた。
 同・6月歌会は、6月11日の記事にアップした。



 橘曙覧記念館の1室に集まったのは、僕を含めて男性二人、女性四人、合わせて6名だった。
 T・Hさんの司会で、プリント8首の順に従い、作者が自分の歌1首を読み上げ、心境を語り、批評を受ける事になった。出席者の歌を主に取り上げる。
 Y・Yさんの初句「黄の極はむ」は連体形では「極まる」が正しいので、「黄の濃ゆき」で納まった。しかし僕は「黄を極め」の句を思いつき、夜遅いながら新聞歌壇に送る役のT・Tさんに電話し、本人と相談して貰う事になった。
 Y・Nさんの「がく紫陽花」は、T・Hさんの提案があり、本人も希望して「額あじさゐ」になった。4句「雨に籠りし」は過去形なので、現在形の「籠れる」に直すよう、僕が奨めた。ただし夜に1日を回想しているなら、原形で良く、要らぬお世話だった。
 M・Kさんの4句「白南風吹きて」は、梅雨明け頃の風なので、梅雨期の初めの「黒南風」に直す事に、本人も納得した。
 T・Hさんの中句「登り来て」を「登り来ぬ」とする1例を僕が示したが、納得されなかったので、原形のままとなった。

 僕の初めから「妻と僕憩うミスドは混んでいる」はそのまま通ったが、後に自分で「込んでいるミスドに憩う妻と僕」に直した。ショッピングモールの意で「モール」の語を使ったが、通るかどうか。
 T・Tさんの結句「何故か残れる」は、「残れり」かと僕は思ったが、「か」の係り結びで、連体形の原形のままで良かった。
 欠席者の歌には厳しくなりがちだが、欠席裁判を戒め合って、あまり直さなかった。
 故・歌人の柏崎驍二さんの文章「助詞に注意しよう」を読んで、次回の日程を決め、11時半に散会した。
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写真ACより、「アジアンフード&ドリンク」のイラスト1枚。




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 今月20日の記事、「届いた1冊、頂いた7冊」で紹介した内、3番目の千葉晃弘・詩集「降誕」を読み了える。
概要
 2018年11月1日、鯖江詩の会・刊。134ページ。46編と「あとがきに代えて」、初出1覧、著作1覧を収める。
 詩集「ぼくらを運んだ電車」より、17年ぶりの詩集である。
 彼は同人詩誌「青魚」の発行者である。彼のおおらかな性格に惹かれ、様々な詩人が集まっている。「来る者は拒まず、去る者は追わず」の方針らしく(明文化された事はない)、散文のみの人を含め、現在の同人16名、No.89に至っている。
感想
 標題作の「降誕」は、クリスマス・イヴにケーキを買って帰るサラリーマンを描く。クリスチャンという訳ではなく、あとがきで「信仰に支えられた人間を示し合うべきと…」と述べている。
 若い母を描いた「おひつ」「アーちゃん」、中年の母を描いた「クレオン」「しゃがむ母」、晩年の母を描いた「夕焼け」「ジェスチャー」「母の遺言」。若い父や義父たちを描いた「十八番」、晩年の父を描いた「便所博士」。彼風の挽歌、魂鎮めだろう。
 少年時代からの友人、学生時代に下宿した幾つかの寺の住み込み人たち、と回想の詩が多い。なりゆきで結婚したという妻、なりゆきでケイタイを買いなりゆきで買い直したと、人生の真実をユーモラスに描いた「つれあい」、母の遺影の前に水を一杯置き、妻の前に罪ほろぼしのために1盃を置くという毎日の、しみじみとした作品「一杯」がある。
 「非凡なる凡人」と、「炭焼きの山と谷」~「生徒手帳」の5編は、散文詩でエッセイ風でもある。
 疎かな詩人たちを率いて、大人(たいじん)の歩みを続けてほしい。



 

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詩集ふくい2018
 「年刊 詩集ふくい 2018 第34集」を読み了える。
 入手は、今月2日の記事
「県詩人懇話会より、2冊と1紙が届く」の初めで報せた。
 
「同 2017」の感想は、2017年11月6日の記事にアップした。
概要
 2018年10月30日、福井県詩人懇話会・刊。55名58編の詩、執筆者名簿、63ページに渉る「’17ふくい詩祭 記録」、他を収める。「高校生の部」として、2名2編の詩を収載する。
感想
 時代のせいなのか、観念語を多用する作品があり、詩の観念化に繋がらないか心配である。
 M・あずささんのソネット3編、N・良平さんのソネット「風のソネット」、T・恵子さん「遊歩断章」とM・まさおさん「頭が寒い」が1連3行の連を連ねるなど、定型への寄り付きはあるようだ。僕もソネット「おじや」を寄せた。
 N・益子さん「おーい、まー坊」、H・はつえさん「ピアノ売ります」が、長いスパンの回想を詩っているのも、年齢と時代の故か。
 詩人懇話会では「詩の教室」など、年少者への詩作の誘いかけを行っており、大きく育つとともに、会員の老齢化を補う事を期待している。


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詩誌 青魚No.88
 今月6日の記事「歌集と詩誌が届く」で報せた内、後の方の同人詩誌「青魚」No.88を、ほぼ読み了える。
 同号の僕の詩、先号の感想などへ、上のリンクから飛べる。
 写真は同号の表紙で、表紙絵は同人の一人T・幸男さんの作である。表紙絵の費用は彼が負担していると、T・晃弘さんがかつて述べた。
概要
 2018年6月4日、鯖江詩の会・刊。B5判、2段組み(詩も散文も)、33ページ。
 同人の18名が、思い思いに詩・散文を綴っている。
感想
 巻頭は、K・和夫さんの「詩なんか書くんじゃなかった」で、標題の言葉が作品中にも3度繰り返し現れる。僕は今、短歌も書いてそちらに重きを置いている。でも高校生時代、荒川洋治さんに鍛えられて詩を始めて以来、「詩なんて書くんじゃなかった」とは、1度も思わない。「詩では救われない」と思った時期はあるけれど。
 T・幸男さんの「冬芽」以下5編(ペン書きを縮小して掲載)は、過去や100歳を迎える叔母を詠っている。しまいの「ゲシュテル歌曲(ソング)の中で」のみが、ラテン語(これまでギリシャ語だと思って来た)の哲学用語を交え、世を撃っている。老いの難路行であろう。
 T・吉弘さん「宗倉武二先生を悼む」、T・晃弘さん「三男坊」「ドン・キホーテ」はともに、回想から現在位置を確かめている。
 M・あずささんの「霧に煙って」は思索から詩情を紡いでいる。
 河村大典さんの散文と詩の、時代に抵抗する作品は、正論過ぎて賛同し得ない。
 高年大学受講生の方の詩も、それぞれ頑張っている。
 掉尾はA・雨子さんのレポート「則武三雄詩集『赤い髪』の編集を終えて」で、3ページに渉って、則武三雄・選詩集を自分の出版社から発行した、経緯を述べた。




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