風の庫

読んだ本、買った本、トピックスを紹介します。純文学系読書・中心です。

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大冊

 岩波文庫のフィンランド叙事詩「カレワラ」(上)を読んでいる。これまでなぜアップしなかったかと言えば、「年刊句集 福井県」や「上林曉集」などが、途中で止まっているからである。それはネットに時間を取られ、圧倒的に読書時間が少ないからである。これから「カレワラ」の読書感想も上げて行こうと思う。


 叙事詩として、旧約聖書は挫折し、ホメロスものはギリシア神々の系統に恐れをなし、読まなかった。ゲルマン神話、北欧神話なども読んだ筈だが、ブログの記事に残っていない。
 ちくま学芸文庫で読んだ、「ギルガメシュ叙事詩」「シュメール神話集成」のみが、旧ブログ「サスケの本棚」に残っている。



 フィンランド叙事詩「カレワラ」(リョンロット・編、小泉保・訳)のこの翻訳は、1行が短く(1ページ2段組み)、5音7音の句を多用し、読みやすいことが特徴である。今第15章219ページまで読み了えた所である。
 天地創造にすぐ次ぎ、詩人・ワイナミョイネンの生誕が歌われる。詩、詩人の重視の表れだろう。詩人のライバルとしてヨウカイハイネンが現れるが歌比べに敗れる。ヨウカイハイネンはワイナミョイネンを弓矢で倒してしまう。
 若者レンミンカイネンは、求婚の課題の白鳥を得ようして、一旦死んでしまう。母親が鳥たちに神の蜜を得て来させ、それを塗ってレンミンカイネンを蘇らせる。レンミンカイネンは母の言葉に従い、故郷に帰る。ここで第15章の了いである。
 上巻だけで、注釈、解説を含めて497ページ、下巻に続く大冊なので、いつ読み了えられるかわからない。

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写真ACより、「建築」のアイコン1枚。




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 福井県俳句作家協会「年刊句集 福井県 第57集」(2019年3月20日・刊)より、7回めの紹介をする。
 今月14日の記事、同・(6)に次ぐ。
概要
 総304ページの大冊であり、作品集も試算によると、408名、4,080句に及ぶので、紹介を数回に分けざるを得ない。
 また副題に、「平成30年版」と銘打っていて、2018年1年間の吟である事を、実直に示している。
感想
 今回は南越地区(越前市、南越前町)の、159ページ~190ページ、32ページの630句を読んだ事になる。
 大衆詩としての俳句に、高度な修辞(レトリック)は、必ずしも必要ではない。例えば「夕星の零るるように梅咲けり」などは、比喩が嫌味である。
 短い詩型なので、新しい題材は必須である。ただし世間で話題になってより、俳歌に定着するまで、数年を要するようだ。
引用

 以下に5句を引く。
女子会の席の華やぎ晩夏光(Y・富鼓)
初詣歩幅の小さき母連れて(Y・七重)
紫陽花や知らぬふりした母の恋(H・みえ)
告げられず見つめるだけで卒業す(I・千鶴子)
ルビ付きの名前のあまた蓮の花(Y・浩江)
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写真ACより、「キッチン・グッズ」のイラスト1枚。



 
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 短歌新聞社「岡部文夫全歌集」(2008年・刊)より、合同歌集「候鳥」「湖明」の岡部文夫・集を読み了える。
 今月6日の記事、
3合同歌集より岡部文夫・集を読む、に次ぐ。
概要
 「候鳥」:1952年、長谷川書房・刊。全歌集で9ページ。
 「湖明」:1954年、海潮短歌会・刊。全歌集で見開き2ページ内。
感想
 戦後となると、自然詠は少なく、人事詠、家庭詠、心境詠が多くを占める。
 自然詠の余裕は少なく、満足していられなかったのだろう。
 この全歌集の後は、解説、年譜、初句索引などで、歌集編はこれで了いなのだが、934ページの大冊を読み了えた感慨はない。早い時期の合同歌集だからだろう。
 生前しまいの歌集、「雪天」を読み了えた時は、感慨があった。この歌人の場合、境涯と離しては、短歌を味わい得ないのだろう。
 彼が福井県を終生の地としてくれた事は、親しみと共に、感謝の念がある。
引用

 以下に7首を引く。
木蓮の花びら白く布(し)きたるを拾ふをさなご何に用ゐる
吾児(あこ)が持つしろたへ木槿(むくげ)八十四歳の君が母しきりにほしがりたまふ(哲久生家)
洗ひたる銀杏(ぎんなん)を白く石に置く老いてさびしきことばかりなり
すきとほるばかりになりし釘ひとつ紺の炎の中にみゆるを
蜜柑箱に桟を打ちゐし吾が妻が上等上等といひて立ちあがる
天井の影は煮干の籠ならむしまらく揺れてをりてやみたる
菜の花の中の往還を吾が母とをさなき吾とゆきし昨夜(よべ)の夢
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写真ACより、「アールデコ・パターン」のイラスト1枚。



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 短歌新聞社「岡部文夫全歌集」(2008年・刊)より、歌集「雪天」(後)を紹介する。
 
同・(前)は、今月21日の記事にアップした。
概要
 1,070首の大冊なので、前後、2回に分けて紹介する。
 今回(後)は、668ページの「晩秋」の章より、しまい700ページまでである。
 失語症に陥った直後に刊行されたが、このあと生前の作品は載っていない。初期・未刊歌集「氷見」と、6冊の合同歌集よりの抄出が残るのみである。自宅療養の約4年間、歌を詠むまでに回復しなかったのではないか。
感想
 しまいの歌集となる事を予感したように、1年半くらいの間に、1,070首が溢れるように詠まれた。
 景に心遊ばせて詠んだ歌もある。営々と詠み継いで、技芸の名人が、今、心遊ばせるかのようだ。
 同じ事物を詠んでも、類型歌はなく、様々な面から詠んでいる。
 また福井県坂井郡(現・坂井市)春江町についの住処を定めながら、郷土・能登への郷愁は尽きなかったようであり、所々に現れる。
引用

 以下に7首を引く。
ゆくりなく吾は来りて水にある雲の白きにこころは遊ぶ
(な)るまでに十三年の柚といふ植ゑて待つともつひに見ざらむ
をやみなきこの雪の夜の雷にして響り震ひつつさびしきものを
雪の日のゆふべを待ちて鮭の氷頭(ひづ)煮つつ食はむと思ふたのしも
南瓜を食ひ柚湯を浴みて雪ぐにの古き仕来(しきたり)に今日を順ふ
月明かきこの夜(よは)にして雪の上(へ)を流らふ雪の音のかすけさ
雪の上に泉の上におのづから落ちて鮮らし椿の紅は

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写真ACより、「アールデコ・パターン」の1枚。



 
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 短歌新聞社「岡部文夫全歌集」(2008年・刊)より、15番目の歌集「晩冬」の(前)をアップする。
 今月11日の記事、
同「石の上の霜」に次ぐ。
概要
 原著は、1980年、短歌新聞社・刊。1058首、著者・後記を収める。
 1058首と大冊なので、前・後の2回に分けて紹介する。
 前歌集より、約3年後の刊行である。
 「晩冬」の歌集編は、全歌集の473ページ~534ページの62ページを占める(1ページ20行)ので、(前)では半分の509ページまで、「北陸風土記(五)」のしまいまでを取り上げる。
感想
 1977年、第2の職場「安田製作所」(専売公社を1967年・定年)を退職し、後記で歌人は「従前よりは幾らか作歌に専念することができた」と述べている。
 読んでみて、この歌集には力感があり、自己の老い、北陸の風土を見詰めて、深みがある。
 果せるかな、この歌集で初の歌壇の賞「第8回日本歌人クラブ賞」を受賞した。後の「短歌研究賞」、「迢空賞」につながる。
引用

 以下に7首を引く。
かなしみの清まるまでに年経しと雪の夜にしてひとり思ひつ
有る物の限りに包(くる)む媼らの寒き朝朝鯵を振り来る
原発の温排水にこの海の海鼠の類も絶えたるらしき
鯖の骨口を刺すまでに老いたるか独りに言ひてひとりさびしむ
ひとときの今の眠りにありありと亡き母を見き機(はた)を織りゐき
道の上に見つつ羨む豌豆の吾が作るより花ゆたけきを
高高に負ひて商ふ笊売の媼よ冬の日は短きに

0-27
 写真ACより、「アールデコ・パターン」の1枚。


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