風の庫

読んだ本、買った本、トピックスを紹介します。純文学系読書・中心です。

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宮柊二

 2月27日(第4木曜日)の午前9時半より、メンバー3人が喫茶店に集まり、短歌研究会B第40回を持った。
 先行する同・第39回は、先の1月30日の記事にアップした。




 短歌研究会Bは、岩波文庫「宮柊二歌集」(宮英子・高野公彦・編)の読み込みである。
 今回は、第7歌集「藤棚の下の小室」(1972年・刊)より、193ページ「寒鰤漁」の節からである。
「寒鰤漁」の節より。
 1首めの上句「島のわき漕ぎ過ぐるとき」の「漕ぎ」は手漕ぎではなく、エンジン・スクリューだろうと僕は述べた。鰤漁で、手漕ぎの船はないだろう。
 6首めの「工場群の破棄しゆく水」は、化学物質を含む汚水排出だろうとTさんが述べた。
「土井竹林」の節より。
 「土井」は何だろうとMさんが問うので、地域名だろうと僕は答えた。8首めの4句にに「土井氏の姓の」と出て来る。
 6首めの中句「手桶道」は、よくわからない。手桶を埋めたのか、手桶で運んだのか、と推測した。
「不安なる渚」の章より。
 1首めの上句「不安なる渚のごとし」は、作者の不安の投影だろう。
 196ページに入って1首め「落ちそめぬ」とあるのは、桜ではなく藤を指すのだろう。
「島原・長崎」の節より。
 3首めの「大蓼」は、「犬蓼」の誤植だろうと話し合った。

「旅後」の節より。
 3首めの「身にしむ」は、ありがたい、嬉しいの思いだろうと、Mさんが述べた。

 これで1967年分が過ぎ、まだ10時半過ぎだが、今回はこれまでとした。次回の日程を決め、散会した。
 
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写真ACより、「ケーキ」のイラスト1枚。


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 11月28日(第4木曜日)の午前9時半より、メンバー3人が喫茶店に集まり、短歌研究会B第38回を持った。
 前夜には早寝して、自信があったので、Mさんにモーニングコールを頼まなかった。早く覚めて、少しネットをしたあと、外出の用意を始めた。


 先行する同・第37回は、先の10月30日の記事にアップした。
 


 短歌研究会Bは、岩波文庫「宮柊二歌集」(宮英子・高野公彦・編)の読み込みである。
 今回は、183ページ、歌集「藤棚の下の小室」(1972年・刊)の、1965年「終戦二十周年」の章よりである。
「終戦二十周年」の章
 10首は、新年詠として、歌誌に求められた作品だろう。
 1首めの4句「しろたへの塩」の、「しろたへの」は枕詞だけれども、「しろたへ」には「白い色」の意味がある。
 3首めの中句「おもほゆる」は「おもほゆ」の連体形だけれども、強調の終止である。
 4首めの4句「元旦の闇」を見るのは、大晦日にも執筆で徹夜したのだと思われる。
 184ページの1首め「かがやける炎を見れば」の歌は、歌集「小紺珠」の「一本の蠟燃しつつ~」の歌、歌集「日本挽歌」の「蠟燭の長き炎のかがやきて~」の歌を想わせる。
 2首めの2句中句「桃咲きている山の丘」は、のどかだから日本の丘だと僕は思ったが、2人は従軍中の記憶かも知れないと述べた。

「陶のごとき」の章
 185ページに入って1首めの結句「道の声する」は、「道ゆく人の声がする」の意味である。
 ベトナム戦争を詠んだ歌があって、戦争に敏感である。
 4首めの上句中句「おほよその行手(ゆくて)見えきし悔しさの」は、健康的には下降に移るが、歌人としては名誉が待っていて、僕には解せない。
 186ページに入って、1首めの「泛く」は「うく」と読むのだろう。「黒鳥」と「人の喪」は、付き過ぎだという意見があった。
 3首めの中句下句「飛行機の窓に見てゆく春蘭抱きて」は、春蘭も変種は高価だから、贈られての帰途の旅だっただろう。
 他にも多くの意見が出たが、ここに書ききれない。

 「陶のごとき」の章でしまいとする。次回の日程を決め、10時45分頃に散会した。
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写真ACより、「キッチン・グッズ」のイラスト1枚。



 
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 10月29日(第5火曜日)の午前9時半、メンバー3人が喫茶店に集まって、短歌研究会B第37回を持った。僕は寝過ごす事を恐れて、8時半のモーニング・コールをMさんに依頼していたが、前夜に早寝して7時半に目覚めた。

 9月には1回飛ばしているので、同・36回は8月31日の記事にアップした。

 

 僕が喫茶店で着席すると、すぐTさんとMさんが現れた。僕とMさんがブレンド・コーヒーのモーニング・セット、Tさんがアメリカン・コーヒーを注文した。
 歌誌の貸し借り・返却、本の贈呈などの後、短歌研究会Bに入る。同・Bは、岩波文庫「宮柊二歌集」(宮英子・高野公彦・編)の読み込みである。
 今回は180ページ、歌集「藤棚の下の小室」(1972年・刊)より、1964年の「雑詠」の節より入る。

「雑詠」の節
 1首めの下句「松葉牡丹の色こぞり咲く」で、4句の1語、結句の3語の、緩急を僕が指摘する。
 2首めの中句・4句「抜歯後(ばつしご)の身の衰へを」について、抜歯でそんなに衰えるだろうか、とTさんが疑問を呈した。夏の歌なので、暑さによる衰えがあるのだろう、と僕は答えた。
 6首め「過ぎゆきしかなしみごとを木(こ)の実拾ふ思ひに似つつ偲ぶときある」。Tさんは、「木の実を拾う時は楽しいのだが。」と言う。偲ぶ時にも、1種の自足感はあったのだろう、と僕は答えた。
「藤棚の下の小室」の章

 まず「小室」を「しょうしつ」と訓む事を確認する。
 1首めの下句「いたく疲れあり犬遠く鳴く」で、結句の付け方が好ましい、とMさんが述べた。
 2首めの中句「ころほひゆ」は、「ころおい」+「ゆ」(「~より」の意味の古語)である。
 9首めの上句「くれなゐに山茶花咲けば十二月」の「~に~ば~月」の詠みぶりに、TさんとMさんが感嘆していた。
 他にも多く語ったが、ここに書ききれない。
 182ページで、実質2ページだが今回の研究を了えた。次回の日程を決め、10時半過ぎに散会した。
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写真ACより、「キッチン・グッズ」のイラスト1枚。



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 8月30日(第5金曜日)の朝9時半より、メンバー3人が喫茶店に集まって、短歌研究会B第36回を持った。
 同・第35回は、先の7月27日の記事にアップした。
 僕がアイスコーヒーのモーニング・セットを摂り、スマホでインスタグラムを見始めた頃、MさんとTさんが現れた。2人が注文し、歌誌の貸し借り・返却のあと、短歌研究会B第36回に入る。同・Bは、岩波文庫「宮柊二歌集」(宮英子・高野公彦・編)の読み込みである。

 今日は、第7歌集「藤棚の下の小室」(1972年、白玉書房・刊)より、178ページ、「簗に泊る」の章からである。
「簗に泊る」の章より。
 2首めの下句「夜の硝子戸や霧入れしめず」の「入れしめず」をTさんが訝るので、戸を固く閉めて、霧を入れさせない、の意だろうと僕は単純に解釈した。
 3首めの結句「その背を並ぶ」の「並ぶ」は他動詞「並べる」の古型の終止形だろう。
 4首めに「寂し」の語があり、後に「寂しむ」、「寂しき」2回の語も出て来て、これまでと同じく「寂しい」心(戦争に生き残り、戦後を生き抜いて来た)を保ち続けたのだろう。
「隠岐(二)」の章より。

 1首めの「黒き牛たつ」は、船着き場になぜ居るのか、放牧の牛が船着き場にまで至ったのだろう、とTさんが推測した。
 7首めの上句「東国賀島後水道」は、どこで切れるか、訓みも、3人でわからなかった。
「伯耆大山」の節より。
 1首めの上句「明けてくるみなみの空に」は、なぜ東空でないか、Tさんが提議したが、3人では解けなかった。

 180ページのこの章で、研究会Bを了え、次回の日程を決め、10時半頃に散会した。
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写真ACより、「キッチン・グッズ」のイラスト1枚。


 

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 今月18日の記事、短歌研究会A第58回の末尾で、今月は同・Bをパスすると書いた。しかし差し障りのあるMさんを措いて、Tさんに同・Bをお願いすると、7月26日(第4金曜日)に持つ事を快諾して下さった。
 定刻の9時半少し前に喫茶店に着き、アイスコーヒーのモーニング・セットを摂り了えた頃、Tさんが現れた。
 歌誌・本などの貸し借り・受け渡しのあと、短歌研究会Bに入る。先の6月27日の記事、短歌研究会B第34回に次ぐ。同・Bは、岩波文庫「宮柊二歌集」(宮英子・高野公彦・編)の読み込みである。


 今回は、歌集「藤棚の下の小室」(1972年・刊)より、1963年の「新秋」の章(174ページ)より入る。
「新秋」の章より。
 2首めの「藤棚の下(した)曇りきて」の藤棚は、歌集の題名にもあり、宮柊二の庭にあったのだろう。
 3首めの上句「さまざまに嘆(なげき)を過ぎぬ」は、嘆きの思いを重ねた過ぎゆきだったのだろう。
 しまいの歌の2句3句「言葉の出でぬ折り折りを」は、病気ではなく老化だろうかと僕が言うと、Tさんは、複雑な感情を抱いての故だろう、と述べた。
1963年に入る。
「明闇」の章より。

 「明闇」は、「みょうあん」の訓みで広辞苑にあるけれども、短歌界の通用で「あけぐれ」と訓むのかも知れない。
 2首めの中句下句「かたむけし力みずから頼まむものを」には、努力への自負がある。結語の「ものを」をTさんが訝るので、僕は強調であり照れ隠しでもあるのだろうと述べた。
「芥子の図」の節より。
 4首めの結句「あぶらの孤独」は、独特の情で、従軍体験に関わるのか、簡単には解しがたい。
「藤の花」の章より。
 4首めに(花吹雪に)「吾が狼狽(うろたへ)つ」の花は桜だろうが、狼狽するとは、他の歌人の美しい桜の歌とは違う。
 6首め。「地中海の古代は生きて壮麗にありしを思ひ著莪(しやが)に屈(かが)みつ」は、著莪の花の明るさに、古代地中海を思ったのだろうか。


 177ページ末の上の歌で章を了え、次の短歌研究会Aの日程は決めてあるので、10時半過ぎに散会した。
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写真ACより、「キッチン・グッズ」のイラスト1枚。



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 6月26日(第4水曜日)、メンバー3人が喫茶店に集まって、短歌研究会B第34回を持った。
 僕は5月18日の記事、同A第56回に次いで、定刻9時半に30分の遅刻をした。前日に用意をして置きながら、目覚まし時計が鳴らず、Mさんの電話で起きたからである。
 同B第33回は、先の5月31日の記事にアップした。

 平謝りをして、アイスコーヒーを注文した。宮柊二の長歌に曲を付けた歌曲のCD「朱鷺幻想」を含め、歌誌・他の貸し借り、返却をした。
 短歌研究会Bは、岩波文庫「宮柊二歌集」(宮英子・高野公彦・編)の読み込みである。歌集を出掛け際に忘れた僕は、Tさんに文庫本を借り、TさんとMさんが2人1冊を参照した。

 今回は、170ページ、歌集「藤棚の下の小室」(1972年・刊)の1963年、「編輯会の夜」より入る。
「編輯会の夜」の章より。
 2首めの「先生を蔑(なみ)する若き」の「先生」は、明らかに宮柊二の師・北原白秋を指す。
 3首めの「悲しみ」、4首めの「痛ましき」、また飛んで172ページ「肥後、南関町外目」1首めの「こころ寂しも」など、感性が強い歌人だったのだろうと、Mさんが感想を述べた。
「昨日今日」の節より。

 2首めの上句「追ひすがり追ひ迫りつつ」は、歌業を含めて生活に追われ、「憩ひさへ」ないと詠んだのだろう。
 3首めの上句「家の者いまだ目覚めず」は、深夜の執筆を了えて、早朝だったのだろう。
「日常断片」の章より。
 1首めの下句「蛇ながながと草に居りたり」の蛇は、子供たちに殺されたのかと僕は思ったが、「ありたり」では無いので生きているのだろうとTさんが述べ、僕は納得した。
 4首め(172ページ)の、「歌詠むは悲しと思ひ詠まぬより浄しと思ひ歌を思ふ夜」の1首は、Mさんが心境にぴったりだと述べた。
「牡丹の寺」の節より。
 1首めの初句「蹴速(けはや、「蹴」は旧字)碑の」の「蹴速」は、日本書紀の当麻蹴速(たいまのけはや、相撲の神様)らしい。結句に「当麻寺(たいまでら)みち」とある。
「埋骨行」の節より。
 3首めの第4句「生死(しゃうじ)乗せつつ」の「しゃうじ」は仏教語で、生活語の「せいし」と異なり、短歌に親しいとTさんが述べた。

 174ページの1首め(上の歌)で、研究は30分ながら、10時半で了えて、雑談に移った。文庫本の歌集編の半ばに至った事に、お互い感慨深かった。次回の日程を決め、10時40分頃に散会した。
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写真ACより、「キッチン・グッズ」のイラスト1枚。



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 石川書房「葛原繁全歌集」(1994年・刊)より、「鼓動以後」(1,359首・収録)の4回め、最終の紹介をする。
 先の5月28日の記事、同(3)に次ぐ。このあとは短歌作品として、初期歌編421首と、別冊栞に掲載された遺詠9首のみである。
概要
 今回は、547ページ「時も命も」(1990年)の章より、しまい586ページ(1993年)までを読んだ。この時期、著者は肝炎を病み、1993年1月7日、肺癌のため死去した。
 僕が「コスモス」に初出詠したのは1993年12月であり、没後すぐに当たる。
感想
 「コスモス」の創刊者・宮柊二の没後、「コスモス」は幾つに分かれるか、などと噂されたらしいが、葛原繁が編集人となり結社をまとめ、分裂を防いだ手腕は大きく評価された。
 会社勤め、家族の扶養、結社の維持拡大などに、成功した。また歌人としても、読売文学賞を受賞するなど、評価された。
 しかし葛原繁の短歌が、今1つ膾炙されないのは、実務面に心身を向け過ぎたからだろうか。
引用

 以下に7首を引く。
宇宙にて徐々に近づきドッキング成るまでを映す生中継にて
見る我も水に浮かべる鴛鴦もおしなべて今春の日のなか
寝ては起き仕事なしをり予後の身は机のそばに布団を敷きて
一党独裁の終(つひ)の帰結か民衆はののしりて屈せず戦車の前にも(ソビエト政変)
歩み来し我の目前に紅梅は花をつらねて陽にかがやけり
遊民ら春日に出でておのも憩ふビルの谷間の石の広場に
身力の失せゆくことを如何せむかく嘆くかも残暑の明暮れ
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写真ACより、「キッチン・グッズ」のイラスト1枚。


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