風の庫

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小紺珠

 昨日(4月28日、金曜日)に、メンバー3人がある喫茶店に集まり、短歌研究会B第14回を持った。
 
同・第13回は、先の3月24日の記事にアップした。
 短歌研究会Bは、岩波文庫「宮柊二歌集」(宮英子・高野公彦・編)の読み込みである。
 研究会の常は、朝9時半~11時だが、3人それぞれの都合があり、遅く始まり早く終わった。
 まず歌集「小紺珠」より、前回に続く「無援の思想」の章(73ページ)より入る。
 「積みあげし鋼(はがね)の青き断面に流らふ雨や無援の思想あり」の1首の、4句までと結句の繋がりが、僕たちにはもうわからない。
 「録音」の節の「ラヂオより流るる英語鋭くて…」「応答に抑揚低き日本語よ…」の2首は、戦犯を裁く東京裁判を描いた歌と推測した。
 「小現実集」の章では、「堅炭(かたずみ)を一俵買いて蔵(しま)ふとぞああ吾妻(あづま)はやその果無事(はかなごと)」では、現役サラリーマンと主婦(歌人でもある)の金銭感覚の違いが表われているようだ。
 「混沌と進む重大を覚えつつ…」は、日本と世界の世相を指すらしい。
 別の歌の「われには杳(とほ)しチロルの干草」の結句の由来が、3人ともわからないが、のどかな物語があるのだろう、と推測した。
 様々に語り、75ページに至った。
 誌、本の受け渡しのあと、次回の研究会の日を決め、10時半頃に散会した。
026
写真ACより、フラワーアレンジメントの1枚。


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 1月26日(木曜日)の午前9時半より、メンバー3人の短歌研究会B第11回を、ある喫茶店の1隅で持った。
 
同・第10回は、昨年12月9日の記事にアップした。
 なお同A第31回は、今月19日の記事にアップした。
 同Aは、各自の詠草の検討であり、同Bは岩波文庫「宮柊二歌集」の読み込みである。
 当日は、戦後の初めの歌集「小紺珠」より、「不安」の章(同・文庫本60ページ)より始める。
 1首めの結句「ただよふ不安」は、生活の社会の、未来へ向けての不安だろう。
 2首めの「危ふげもなく」の意味する所は、3人の知恵でもはっきりとは判らなかった。
 4首めの下の句「なにか悲しみを湛へたり見ゆ」の、「なにか」の語に僕が反発する。文学は、曰く言いがたい事を言葉で表すものだから、「なにか」の語を使う事は文学の敗北に思える。
 「昼霜」の節では、戦死の報のあった米川稔を悼む。後年に宮柊二が、米川稔の歌集を出版したと記憶する。
 「周辺詠物」の章に入り、1首めの結句「滴声(したたり)といづれ」は「いずれが淋しいだろう」の意味に解した。
 「一年」の節の「くるしみて軍(いくさ)のさまを告げし文たたかひ済みて妻のなほ持てり」の書簡は、後に書籍「砲火と山鳩」として出版され、僕は読んだ事がある。
 「変らざるものこの一つのみ」は、人心と社会は変わっても、潮の満ち干は変わらない、とする嘆きであろう。
 他にも様々に検討して、64ページの「文学」の節の1首を読みおえ、当日の研究会のしまいとした。
 次の研究会A、Bの日程を決め、11時に散会した。
白鳥6
「Pixabay」より、白鳥の1枚。



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