風の庫

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岩波文庫

 岩波文庫のフィンランド叙事詩「カレワラ」(上)を読んでいる。これまでなぜアップしなかったかと言えば、「年刊句集 福井県」や「上林曉集」などが、途中で止まっているからである。それはネットに時間を取られ、圧倒的に読書時間が少ないからである。これから「カレワラ」の読書感想も上げて行こうと思う。


 叙事詩として、旧約聖書は挫折し、ホメロスものはギリシア神々の系統に恐れをなし、読まなかった。ゲルマン神話、北欧神話なども読んだ筈だが、ブログの記事に残っていない。
 ちくま学芸文庫で読んだ、「ギルガメシュ叙事詩」「シュメール神話集成」のみが、旧ブログ「サスケの本棚」に残っている。



 フィンランド叙事詩「カレワラ」(リョンロット・編、小泉保・訳)のこの翻訳は、1行が短く(1ページ2段組み)、5音7音の句を多用し、読みやすいことが特徴である。今第15章219ページまで読み了えた所である。
 天地創造にすぐ次ぎ、詩人・ワイナミョイネンの生誕が歌われる。詩、詩人の重視の表れだろう。詩人のライバルとしてヨウカイハイネンが現れるが歌比べに敗れる。ヨウカイハイネンはワイナミョイネンを弓矢で倒してしまう。
 若者レンミンカイネンは、求婚の課題の白鳥を得ようして、一旦死んでしまう。母親が鳥たちに神の蜜を得て来させ、それを塗ってレンミンカイネンを蘇らせる。レンミンカイネンは母の言葉に従い、故郷に帰る。ここで第15章の了いである。
 上巻だけで、注釈、解説を含めて497ページ、下巻に続く大冊なので、いつ読み了えられるかわからない。

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写真ACより、「建築」のアイコン1枚。




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 岩波文庫のヒポクラテス「古い医術について 他八篇」より、7回めの紹介をする。
 同(6)は、先の5月8日の記事にアップした。リンクより過去記事へ遡れる。


 今回は、「流行病 第三巻(148ページ~)」、「医師の心得(14節、181ページ~)」、「誓い(191ページ、192ページ)」を以って、本書の仕舞いまで(注解、解説を除いて)読み了えた事になる。
ヒポクラテス
 岩波文庫の表紙を再掲する。




 「流行病 第三巻」には、12の症例、「気候」15節、16の症例の記述がある。症例では、回復した例もあるが、死亡した例が多い。「気候」では、ある年の気候によって、「悪性の丹毒」が多数発生したとする。症例を見ても、余病を併発しても、1病態とされた場合があるようだ。体温計もない状態では、病状の把握も、排泄物、出血、痙攣、譫言等でしか判断できない。

 「医師の心得」14節では、無益な議論を戒め、報酬に気遣い、模索状態では他の医師の助力を求めるよう勧めている。医師の身なり、講演への欲求にも戒めを書いている。
 「誓い」は文庫でわずか2ページであるが、今の医師もほぼこれに服しているらしい。医術の教授、学習を受けさせること、を無償とする。「情交を結ぶようなことはしません。」とあるのは、不犯だろうか、不倫しないという意味だろうか。
 読み了えて、紀元前400年頃に、呪術や哲学であった医術より、技術として医学を形成しようと藻掻くさまが見えるようである。


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 岩波文庫のヒポクラテス「古い医術について 他八篇」より、6回めの紹介をする。
 同(5)は、先の3月29日の記事にアップした。


 今回は、「流行病 第1巻」を読んだ。26節の概説と、14の症例を含む。
 紀元前4百年の医学書とはいえ、「文利」「焼熱(カウソス)」「煮熟」等の不明の語、「卒中」を流行病とする誤り、などが見られる。
 「14の症例」でも、詳細な観察はなされるが、手当ての記述はほとんどない。これでは、薬草をあさった漢方医学に劣るのではないかと思われる。
 理念としては、「医の技術には三つの要素がある。すなわち病気、病人、および医者。医者は技術の助手である。病人は医者と協力して病気に抵抗すべきものである。」と、とても立派なのだけれども。

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写真ACより、「ビジネス」のイラスト1枚。


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 岩波文庫のヒポクラテス「古い医術について 他八篇」より、5回めの紹介をする。
 同(4)は、今月2日の記事にアップした。リンクより、過去記事へ遡れる。


 今回は、「人間の自然性について」全15節、99ページ~114ページの16ページを読んだ。
 第1節では、哲学者の観念論で「人間は空気である」、あるいは「人間は火、水、土、他・明白でないところのものである」との論を一蹴した。第2節では、医者の1部の抽象論「人間は血液である、胆汁である、粘液である」との論を否定し、「身体には多くのものがある」と正論を書きながら、それら相互の加熱・冷却、乾湿が諸々の病気を生む、と誤謬に陥る。
 第4節では、人間は血液、粘液、黄および黒の胆汁を持っており、それらが調和すれば健康で、それらが本性のままでないならば病苦を病むと、怪しげな見解である。
 第9節で、伝染病の空気感染(新型コロナなど、飛沫感染である)と、飲食(飲用水を含む)による伝染を、細菌・ウィルスを知らないながら、指摘している。
 第11節で、人体に四対の脉管がある、との正確でない論を展開する。
 第15節では、発熱はたいてい胆汁からおこる、と誤りから論じている。

 机上の論より、病人の病状の観察より治療法を選ぶべきだ、としたのは画期的な事だった。
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写真ACより、「ガーデニング」のイラスト1枚。


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 岩波文庫の一茶「七番日記」(下)より、10回めの紹介をする。
 同(9)は、今月16日の記事にアップした。


 今回で「七番日記」の紹介は了いである。表紙写真を再度、アップする。
一茶「七番日記」(下)
 今回は、文化15年7月~12月の半年分、425ページ~465ページ、41ページ分を読んだ。
 前回に書き忘れたが、長男・千太郎亡きあと、文化15年5月、長女・さとが生まれた。その児を可愛がる句が散見される。
 北信濃の寒さや大雪を嫌がる句、馬などへの愛着を吟じた句がある。惣計896句とあり、文化15年の句数だろう。
 このあと一茶は、さとを幼くて亡くし、2人の男児を得るが共に夭逝だった。妻・菊を文政6年5月に亡くした。武家の娘・雪と再婚するが、合わず離婚。3度めの妻・やをを迎える。
 一茶は文政10年、65歳で死去。その時に、妻・やをは身籠っており、生まれた次女・やたは健やかに育ち、血脈は危うく保たれた。
 句風を継ぐ俳人はなかったが、明治時代の自然主義文学の隆盛により、一茶の評価は高まって、芭蕉、蕪村と並び称されるに至った。

 「七番日記」(上)439ページ、(下)本文465ページ(あとは解説と初句索引)と、計904ページの大冊を読み了えられたのは、読者の方の様々な応援のお陰と、感謝している。

 以下に5句を引く。
ながらへば絞
(しぼり)(あさがほ)何のかのと
五六度やばか念入
(いれ)て初嵐
若い衆
(しゆ)に頼んで寝たる榾火(ほだび)
鬼打
(うち)の豆に辷(すべつ)て立(たつ)子哉
蓬莱を引
(ひつ)とらまへて立子哉



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 岩波文庫の一茶「七番日記」(下)より、9回めの紹介をする。
 同(8)は、先の2月25日の記事にアップした。リンクより、過去記事へ遡れる。


 今回は文化15年正月~同6月の半年分、367ページ~424ページ、58ページ分を読んだ。
 諧謔味の句も多いが、物寂しい景、老いの二人暮らしの句なども交じる。鶯や雁の野鳥に思いを寄せている。
 一茶は小規模ながら地主である(1部は妻のお菊が耕作した)が、土地の広さは田畑合わせて3石6斗余と解説にあるのみで、何町何反と示されず、僕には想像できない(他に山林・若干)。田畑の作物の生長を吟じている。物質的には、満足している風がある。
 くすぐり、うがち風でなく、馬のいる景を大柄に吟じるなど、新しい境地を広げた。
 3春・347句、3夏・207句の記入がある。

 以下に8句を引く。
追分の一里手前の秋の暮
そこに居よ下手でもおれが鶯ぞ
春風や馬をほしたる門
(かど)の原
目出度
(めでたし)といふも二人の雑煮哉
(わが)村や春降(ふる)雪も二三尺
米炊ぐ水とくとくや秋の暮
はつ蛍ついとそれたる手風
(てかぜ)
稲の葉に願ひ通りの暑
(あつさ)
ウグイス
写真ACより、「ウグイス」のイラスト1枚。




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 岩波文庫のヒポクラテス「古い医術について 他八篇」より、4回めの紹介をする。
 同(3)は、先の2月18日の記事にアップした。


 今回は「技術について」全14節、85ページ~98ページ、14ページを読んだ。
 第5節で、「病気になったとき医者にかからなくても回復した人が沢山ある。」との論難に、「医者と同じ自家治療を偶然に用いたからである」と反論している。動植物の自己治癒力の仕組みが、分からない時代の考えである。
 第8節。医術の及び得ないことを医術に対して要求する無知を、狂気に縁が近いと非難する。現在では、ホスピスケアが1分野を成している。
 第13節では症状の判断に、視覚によること、薬剤投与による排泄物での判断を挙げている。現在では、レントゲン、エコー、内視鏡、MRIなどによって、患部の判断をできるようになった。
 医療が急速に進歩した現在、紀元前400年の医療に、素人が指摘できる点はある。
 しかし医療者に素質と教育が必要とし、技術の進歩と医療者の倫理を説いた点は、現代でも信条とされているようだ。

病人
写真ACより、「病人」のイラスト1枚。


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