風の庫

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散文詩

 思潮社の現代詩文庫155「続・辻征夫詩集」より、3番めの「鶯」から、を読み了える。
 先行する「かぜのひきかた」から、は今月9日の記事にアップした。


 「鶯」は全16編である。「こどもとさむらいの16編」と副題があるからだ。うち9編を、この文庫は抄出している。
 冒頭の「突然の別れの日に」は、「知らない子が/うちにきて/玄関にたっている」と始まる。母はその子を迎え入れ、僕は声が出ない。僕はこのうちを出て、ある日別の子供になって、よそのうちの玄関に立つ宿命を知る。とても暗示的な詩である。小市民の良い子は、取り替え可能なのか。僕ではない、他の子が産まれても良かったのか。あるいは早いながら、自分の死を意識するようでもある。
 「鶯」は散文詩で、逆の立場のようだ。「十歳になろうかという女の子が一人、ぼくの家の玄関に立っていて、」と始まる。女の子は僕を非難するけれども、それは僕の幼年時代の仲間で、昔を忘れ損なっている。「あんまり大きなかなしみや苦悩はぼくには向かないから、」と困っている。そこへ妻が現れ、他に誰もいない風に振舞う。女の子は、幼年時代の純粋と悲惨を、象徴するようだ。あるいは少年少女時代に、敗戦の世相急変についてゆけなかった子かも知れない。
 「かみそり」「ちるはなびら」「どぶ」が、ひらがなばかりの作品で、僕に引っ掛かる。
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写真ACより、「ガーデニング」のイラスト1枚。


 

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 筑摩書房の「ウンガレッティ全詩集」(河島英昭・訳、1988年・刊)より、第5詩集「叫び声と風景」(1939―52年)を読み了える。
 第4詩集「約束の地」は、先の10月27日の記事にアップした。



 「叫び声と風景」の初めの長詩「独白」は、戦争から解放された詩人の喜びのようだ。「早くも命の気配が甦る、」「二月の色、希望の色だ」のフレーズがある。ただし錯乱に似せて歌われているので、意味の筋は追いにくい。
 2編めの「おまえは叫んでいた、苦しいと……」は、9歳で亡くなった長男を悼む作品である。第3詩集「悲しみ」の17連作「来る日も来る日も」でも歌われたが、年月を重ねて深みを増している。
 散文詩「気晴らし」3部作は、ギリシア詞華集にお気に入りの定型を見つける過程を描くようだ。その成果か「韻律の習作」「意味を追って」がある。
 3編の短詩「飛んでいた」(1933年)、「後ろには」(1933年)、「跳びはねている」(1952年)は、異都での発想で、主にのどかな景色である。
 以上で紹介した詩がすべてで、短めの詩集である。
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写真ACより、「秋の人物コレクション」のイラスト1枚。


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 思潮社「関根弘詩集」(1968年・刊)の詩集「死んだ鼠」より、第4章、第5章を読み了える。
 今月21日の記事、
同・第3章までを読む、に次ぐ。リンクより、これまでの「関根弘詩集」の記事へ遡り得る。
 なお章の数字は、原本ではⅠ、Ⅱ、Ⅲ等、ローマ字表記になっている。環境依存文字なので、1部のサイトでクエスチョンマーク(?)になるので、ここではアラビア数字の表記とする。
 これで詩集「死んだ鼠」を読み了えた事になる。
概要
 概要は、これまでの記事の概要に、少しだが書いたので参照されたい。
 最後のアンソロジー詩集は、生前ながら1990年(没したのは1994年)、土曜美術社の日本現代詩文庫「関根弘詩集」であり、Amazonのマーケットプレイスで現在、1万円を越えるプレミアムが付いている。
感想
 彼の全集も全詩集さえ、出版されていないらしい事が惜しい。今の時代に、学ぶ事は多い。
 第4章 銀の針金
 「赤痢退治」では、役所の盥回しと、マスコミ・根回しに弱い点を突いている。
 「信頼」の末では、「ぼくらにたいするかれらの信頼が/バスを走らせていたのだ」と、やや教条的内容である。シネ・ポエム、シュール・リアリズムの手法を取り入れているようだ。
 「交通妨害事件」は、列車妨害事件を寓意しているようだが、警察を批判するに、正面からしない理由がわからない。
 第5章 ピアニストの夢
 この本で、10ページに渉る散文詩、「ピアニストの夢」のみを収める。
 言葉の話せるネズミが、無名の作曲家を励まして合唱曲を完成させ、その曲は評判になり広まる、しかしその後ネズミの死が確認される、というストーリーである。
 昔話の恩返し話のような、伝統を活かした作品だと思う。長い作品だが、散文になってはいない。
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写真ACより、「乗り物」のイラスト1枚。





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 思潮社「関根弘詩集」(1968年・刊)の詩集「絵の宿題」より、「カメラ・アイ」の章を読み了える。
 先行する
同・「絵の宿題」の章は、今月7日の記事にアップした。
 これで4章に渉る詩集「絵の宿題」を読み了えた事になる。
概要
 「カメラ・アイ」の章は、9編の散文詩を含む12編より成る。
 「カメラ・アイ」と題されながら、カメラ・アイを感じる作品はなかった。モノクロ写真と、カラー・デジタル写真の、感覚の差だろうか。
感想
 散文詩「花火」は、幼時の花火(両国の川開き)の、年に1度の楽しい思い出を描いて哀切である。しかも「思い出はすでに取片付けられているのだ」と、過去に執着せず、未来を視る決意を見せる。彼は個人的な事を描いた作品で、意外と優れているようだ。社会と大衆を描く詩人、とされながら。
 散文詩「焼跡」では、敗戦後の再建を夢見ながら、焼跡の残る現実を描いて、庶民の日のあたらない生活を示す。
 自由詩「挽歌」では、「名前を盗まれた僕を哀れむのは/僕です。/貧しい男と女の骨を抱いて/どこにも行くまい。」と名文句で見得を切っている。全体を読んでほしい1編である。
 自由詩「兵隊」では、国の再保守化をうたう(彼はレッドパージに遭っている)のだろうか。「この生きかえった兵隊は/やはり兵隊だった//しばらくおとなしかったが/やがて命令をとり戻した。…」と、日本の再軍備化を批判するようだ。
 しかし絵本風な語りなどで、リアリズムとアヴァンギャルドの統一、と称してほしくない。
 事情はあっただろうが、もっと編数を少なくして、大衆に読みやすい詩集にするべきではなかったか。
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写真ACより、「乗り物」のイラスト1枚。




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