風の庫

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新・日本現代詩文庫

 土曜美術社出版販売の新・日本現代詩文庫150「山田清吉詩集」より、7番めの「自然生死」全篇を読み了える。
 先行する「土偶(でこんぼ)」(抄)は、今月16日の記事にアップした。



 「自然生死」は、2019年、土語社・刊。31編と、あとがきを収める。
 第Ⅰ章では曾孫や食欲の話から、自分の葬儀の話に移る。
 「早稲田」では、「不可思議である 田んぼの力 奇怪千万/百姓の己
(うら)何をした なんもせなんだ」と、大地の恵みを歌う。
 第Ⅱ章では、原発事故から反原発を歌っている。「他人事に非ず」で、「命より金じゃ 金じゃ 金狂い/憲法なんか糞くらえ」と、恐ろしい世相を表す。
 第Ⅲ章では、戦時下体験から、反戦を歌う。「探し物-其の一」「同-其の二」では、捕虜虐殺の写真を見た体験から、戦争の残忍さを描いている。
 なお「自然生死」は「じねんしょうじ」と、読むと思われる。
 この後のエッセイ3編、3氏の解説5編の感想は、省略する。
原発
写真ACより、「原発」のイラスト1枚。

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 土曜美術社出版販売の新・日本現代詩文庫150「山田清吉詩集」より、6番目の「土偶(でこんぼ)」(抄)を読み了える。
 先行する「だんだんたんぼ」(抄)は、今月6日の記事にアップした。



 「土偶(でこんぼ)」は、2013年、紫陽社・刊。この詩集で、農民文学賞を受賞した。5章32編を収める。
 第Ⅰ章より「坪庭」では、「生まれは百姓じゃが//会社の社長に祭り上げられ/その会社が倒産/田畑家屋敷を売り払って/…」と、変化した農民を嘆く。
 「己(うら)」では、「この心も己のものではない/借りもの借りもの……/」と書かれるが、僕は心は個人のものと思いたい。
 「べと(土)」では、旧・満州に開拓入植した人の帰還を描いて、「仏壇の抽出し」では、兄の出征式の挨拶の下書きを書いて、反戦を訴える。
 第Ⅱ章の「土偶(でこんぼ)」連作は、本詩集の眼目だろうが、僕はあまり評価しない。
 第Ⅲ章の、チベット巡礼の信仰は、彼の土に生き土に還るという信念と繋がっているのだろう。
 その信仰と繋がって、第Ⅳ章の「メルトダウン」では反原発に繋がり、「海 3・11」では大震災を描く。
 第Ⅴ章では、農業の衰えの中で、「面打ち」の木彫等と共に、老い先を見遣っている。

土偶
写真ACより、「土偶」のイラスト1枚。


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 土曜美術社出版販売の新・日本現代詩文庫150「山田清吉詩集」より、5番めの「だんだんたんぼ」(抄)を読み了える。
 先行する同「田んぼ」全篇は、今月3日の記事にアップした。



 「だんだんたんぼ」は、2004年、紫陽社・刊。27編を抄出する。
 「あのとき」は、軍靴に踏みにじられた女性、戦後パンパンとなった女性を、半世紀を過ぎながら、詩に化することによって、幻想的に昇華することで魂鎮めしている。
 「ちょっとまて」は、父親を亡くした孫たちに、米を運ぼうとして、警察に捕まる媼を描く。「でものう 天子様にあげた命二ツ/息子二人をここに連れて来てくださらんか/そうすれぁこの米でも/己
(うら)の命でも置いていきますげの」と、媼に成り代わって方言で歌うことで、戦争の悲惨と、戦後も相変わらずの官憲の愚をあばいて、絶唱である。
 「人間であることが嫌になる今日此の頃」では、自衛隊によって憲法第九条を空文化し、海外派遣に至る頃を描いて、スローガン的ながら痛烈である。
 自分の葬儀を想定した作品は、これまでの詩集と同じく混ざっている。
 「雨の中の稲刈り」「足踏み脱穀機」「百姓の手」が、農民の苦しみを訥々と作品化した。

0-05
写真ACより、「カーメンテナンス」のイラスト1枚。


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 土曜美術社出版販売の新・日本現代詩文庫150「山田清吉詩集」より、4番めの「田んぼ」全篇を読み了える。
 先行する「藁小屋」(抄)は、先の7月22日の記事にアップした。



 詩集「田んぼ」は、2001年11月、町田ジャーナル社・刊。21編を収める。
 「無題」では、風水害に因るのか、冬になっても刈り取られない稲を描いて、農民の悔しさを表す。「足折れて 手ちぎれて 首折れて/初雪に覆われて/野垂れ死んだ稲」と比喩する。
 「貌」では、戦場の息子を想い、一人(稲の禾に悩まされながら)田の草取りをする母の姿が描かれる。
 「はんたいこら」では、「息子の嫁が己の先に死んで/ただでさえ心がてきんなっているのに/孫等もみんなで己を大事にしすぎる」と、老媼の心境を描くに、方言を使う。
 「仕事師
(しごとせ)」では、シベリア抑留から帰って農に励み、鍬の柄は擦り減ってくびれていた、という1つの生き方を示す。
 「春さきに」では、トラクター事故で亡くなる老翁を表す。
 「あんさん」では、「あのあんさんはよう働きなった」と、働き者の老人の死を、詩人・岡崎純へのリスペクトか、「ごえしたのう」と似る方言で結んでいる。
 この詩集「田んぼ」は、亡くなった農の先達と共に、孫にも伝わる農の血を描いた、農の曼荼羅といえる。
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写真ACより、「カーメンテナンス」のイラスト1枚。



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 土曜美術社出版販売の新・日本現代詩文庫150「山田清吉詩集」より、3番目の「藁小屋」(抄)を読み了える。
 先行する「土時計」(抄)は、今月13日の記事にアップした。


 「藁小屋」は、1994年、木立ちの会・刊。このアンソロジーには3章30編を収める。
 題名は県の故・詩人、岡崎純の詩集「藁」(1966年・刊)をリスペクトしたものだろう。

 第1章では、母の死を描く「お盆の十五日」「母が産湯を使う時」「年忌」が、近所らしい農婦の死を描いた「十兵衛どんのおばはん」と共に感銘深い。「癌におかされ/床に臥して/やっと軀を休めると言った母」、「ハハッと笑う/カラカラと笑う/もう食べたくないという/静かに眠る」と具体的で、農家の女の忍従・忍苦の生涯を表す。

 第2章では、ネパール、インドを訪れた体験を描いて、心の転機となったようだ。
 第3章は、彼の詩によく現れる、自分の葬儀というテーマで、ほとんどを占められている。

 彼は卒寿を越えてお元気で、詩の催しにもほとんど欠かさず参加している。ますますのご活躍を願う。
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写真ACより、「カーメンテナンス」のイラスト1枚。


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 土曜美術社出版販売の新・日本現代詩文庫150「山田清吉詩集」より、2番めの「土時計」(抄)を読み了える。
 先行する第1詩集「べと」は今月5日の記事にアップした。



 「土時計」は、1986年、紫陽社・刊。「べと」より、10年を経ている。
 「土時計」(抄)には、22編を収める。
 「少し馬鹿がいい」では「少し馬鹿がいい/馬鹿だからいうのではないが…少し気違いがいい/気違いだからいうのではないが…」と進む。おとぼけだろう、本人は賢いと思っているだろう。本当に自分の至らなさを視る者は、こう書かない。
 田畑を売れと迫る者、農耕牛を酷使する者、青田刈りを強いる為政者への怒りは、少しのレトリックと共に充分にうたわれている。

 「春が来た」「かかあは正直者です」「死にました」「己
(うら)があさって死んだ」「いいえ違います」では、繰り返し己の死と葬儀を描く。死んでも意識があり、5感が働いて、思いを述べ景色を見る。「死ねばチャラ」と思っているのだろうか。彼が信仰深い事とも関わるのだろう。
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写真ACより、「アジアンフード&ドリンク」のイラスト1枚。




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 土曜美術社出版販売の新・日本現代詩文庫150「山田清吉詩集」より、「べと」全篇を読み了える。
 新・日本現代詩文庫の受贈は、先の6月23日の記事、入手した5冊を紹介する(5)にアップした。



山田清吉詩集
 アンソロジー詩集の、表紙写真を再掲する。ビニールカバー付き。

 第1詩集「べと」は、1976年、木立ちの会・刊。16編を収める。
 なお「べと」は、「泥」「土」「粘土」の意味の方言である。今ネット検索すると、新潟県、富山県、石川県、福井県、長野県、静岡県、岐阜県、愛知県、奈良県、鳥取県、愛媛県の、それぞれ1部地域で使われるとある。
 「べとなぶり」の語もあり、「土いぢり」の意味で、「園芸」「陶芸」を指し、謙譲語めく。

 詩集「べと」には、働き詰めで田で倒れた父など、農民の苦しみと共に、「列島改造論」による農地転用によって、田畑が高額で売れて戸惑う姿も描かれる。
 また戦時下空襲後の様を描いて、後に明らかになる反戦のテーマが始まる。
 今、卒寿を越えられた山田清吉の、長い労働と思索・詩作の始まりである。


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