風の庫

読んだ本、買った本、トピックスを紹介します。純文学系読書・中心です。

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新星書房

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 今月9日の記事で入手を報せた、生方立つゑ・歌集「冬の虹」を読み了える。
 このブログでは、7月14日の記事
「ひとりの手紙」に続く、歌集紹介である。
 「ひとりの手紙」は1982年、新星書房・刊、「冬の虹」は1985年、同・書房・刊。
 「冬の虹」は、函(写真はその表)、本体にビニールカバー、1ページ1首、165ページと、贅沢な造りである。
 「ひとりの手紙」では落魄的と書いたが、入退院の疲れと弱りから回復したのか、この歌集では気力ある歌が多い。
 嫁いだ家は重要文化財となって移築されたが、元の家の近くに一人住まいしたらしく、著者住所は群馬県沼田市沼田上之町となっている。
 サポートは充分でないようで、「雪の夜のこのしづまりをおそれきて遂に脱出もならざりしなり」と「雪の庭のこのしづまりをおそれきてつひに脱出もあらざりしなり」の類歌が載っている。
 角川書店「生方立つゑ全歌集」のあと、この2歌集の外に、1、2あるようだが、ネットで当たってみないとわからない。
 以下に7首を引く。
あこがれを待つかたちにて門ひらくひとりといへど生き遂げるべく
わたくしに来る幸ひのあらむかとけさ新しき衿かけかふる
口数の減りゆくことも意識して老いの寂しき一日をゐたり
潮の襞ゆるやかに寄りて膨らむをものの化身として畏れをり
手のとどく幸ひなどはなけれどもま日照りくればささやく鳥ら
庭石にしづくしてゐる雨の音ききつつ今はねむらむとする
(こ)の中に拾ひためたる樫の実をたのしむごときひそけさにゐる



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 7月10日の記事で到着を報せた、生方たつゑ・歌集「ひとりの手紙」を読み了える。
 角川書店「生方たつゑ全歌集」以来、初めて読む歌集である。
 1982年、新星書房・刊。1ページ2首組み、185ページ。
 彼女の夫は亡くなり、娘とは離反的で、カスガイとなる婿は癌で逝いている。
 雪国で、一人暮しを続けた。「ことなりし世界と思ふこともさびし書庫に並べしわが著書の類」と詠んで、過去の実績に否定的になる事は、落魄の思いだろうか。
 「あとがき」に「過労のための長い入院生活から放たれた机辺は雑然としていて、この中に加えるべき作品の整理も不可能のまま、手離すことにした。」とあり、彼女をサポートする人がいなかったようだ。
 以下に7首を引く。
ひとすぢに生きゆくこともかなしきにひとすぢに死を遂げしをとめら(疼きの島—沖縄—)
丘くれば喪章のごとき黒き蝶貪婪にしてまつはるまひる(同上)
雪の日の孤独をむしろ運命となしつつ恋ふる父ははのこと
躓きやすくなりし雪上をあゆみきていちにんの死は刃よりも痛し(別れ—松村英一先生—)
密度なきくらしなれども手紙など綴ればいづる君の幻覚
をりをりに大てまりの白き花むらがしあはせ揺するやうに傾く
ひとりゐて物言ふこともなくすぎし日と思ひつつともし火ともす



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 「日本の古本屋」の某店より、生方たつゑ・歌集「冬の虹」が届いた。
 1985年、新星書房・刊。
 7月6日の記事
「ひとりの手紙」に続く、歌集購入である。
 角川書店「生方たつゑ全歌集」(生前版)の後に、この歌集のある事を知り、某サイトで捜したところ、1点だけ5万円の値で出ていた。とても買えないので、「日本の古本屋」で捜したところ、3800円+送料300円で出ていて、代金前払い(郵便振替)で購入した。
 よく考えれば割高な本だが、5万円のショックがあって、つい買ってしまった。
 この2冊以外にも、「全歌集」以後の歌集はあるようだが、今はここまでにして置きたい。



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 角川書店「生方たつゑ全歌集」(1987年・再版)より、「野分のやうに」を読み了える。
 先行する歌集
「灯よ海に」は、今月15日の記事にアップした。
 「野分のやうに」は、1979年、新星書房・刊。
 彼女は、観念や幻想の世界を詠うのではなく(能に題材を採った連作を除き)、日常詠、旅詠に観念語、抽象語を導入した功績がある。
 群馬県沼田の旧家に嫁いだ、閉塞感だけではない。生方たつゑ(1904年~2000年)はその前、1926年より東大哲学科聴講生として学んでおり、観念・抽象への志向があり、摂取した事もあったのだろう。
 この歌集は、夫への挽歌として賞揚されているが、挽歌は最後の「野分のやうに」の章の「喪」の節のみである。
 以下に7首を引く。
夜の潮に島も燈火もなきはよし過誤かたよせて吾もねむらむ
人恋ひて通ひし道か八重葎花火のやうに花爆ぜるみち
死後のことやすやすと言ふわれらなり亀裂入りたる壁の中の部屋
稀釈されて生きゆくことも切なしよ患みゐる夫も看取るわたしも
累層をなして棕櫚の花の黄が和解のごとく房垂りてゐる
雪しろが石突きくだすひとところ川も険しき貌をなさむか
半眼となりしまぶたを撫でながらいのち熄みゆくを知るてのひらか(喪)
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写真ACより、「お花屋さん」のイラスト1枚。






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 角川書店「生方たつゑ全歌集」(1987年・再版)より、歌集「春祷」を読み了える。
 前歌集
「鎮花祭」は、先の4月10日の記事にアップした。
 「春祷」は、1968年、新星書房・刊。
 後書「をはりに」で、「『定本生方たつゑ歌集』を出版したあと、急に私は短歌を発表しなくなった。…数多い作品は今までの歌集とはおもむきをかへて、書おろし短歌とよばれてよいものが含まれてゐる。…私は『休息のないひとり』のあゆみの重たさをしみじみと知った。」と書いた。
 前歌集「鎮花祭」に続いて、戦後前衛短歌から後退しているように見えながら、次の歌集「虹ひとたび」では能を題材に新しい作品を創っているので、期待を繋いで良い。
 この「春祷」には、氷見、化野、鳥取砂丘、谷川岳等の、旅行詠も多い。
 以下に7首を引く。
人をりて屋根に唄ひつつタール塗るすがすがとして飢ゑゐるまひる
ねむる禽の膨らみやさしあたたかく吾も膨らみて寝ねたし夜は
金銭のちからに人のうごきゆく世と嘆ききて買ふセロファン紙
梟がまひる見えざる目をあきて膨れし顔のやさしくうごく
かなしみにすり替へらるる血塊のやうに沈まむ陽に向くときに
奪はれてゆきたし北の潮荒れてさわさわと鳴る渚にをれば
日本海の雪に沿ひきて眠らむをあこがれとせり咎むるなかれ

 なお題名の「祷」の字は、正字より新字に替えてある。
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写真ACより、フラワーアレンジメントの1枚。


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