風の庫

読んだ本、買った本、トピックスを紹介します。純文学系読書・中心です。

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時代

「歌壇」4月号b
 綜合歌誌「歌壇」(本阿弥書店)2019年4月号を、作品中心にほぼ読み了える。
 今号の到着は、今月19日の記事にアップした。リンク記事の末文より、同・3月号の感想へ遡り得る。
概要
 2019年4月1日付け・刊。169ページ。
感想

 感想と考えて、ぼんやりしてしまう。世の中の、歌壇の流れに、付いて行けないのか。
 特集の「平成の災害の歌」においても、豪雨の1因に温暖化等の気象変化、また原発災害の1因に予備発電設備が地下にあった事(指導の声はありながら)等、人災の面は省かれて、「被災」と扱われる。
 「文学は反権力でなければ意義がない」という、僕の信念なぞ、誌面のどこへやら。
 皆川博子・インタビュー(聞き手・佐佐木定綱)も、皆川博子は作家で、短歌に関心があると言っても、現在の短歌の問題に向き合う人ではない。
引用

 「作品7首」の秋葉貴子「冷静にあれ」より。
凧一つ上がらぬ正月上空を行き戻りする影はドローンか
 凧とドローンの対比の内に、詠みぶりに、時代を示している。


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 昨日の記事「届いた3冊」で報せた内、初めの同人詩誌「果実」78号を読み了える。
 2018年4月、果実の会・刊。同・77号は、昨年11月4日の記事にアップした。
 B5判、1段組み(散文は2段組み)。B5判で1段組みは、珍しく豪華で、僕の属する「青魚」がB5判2段組み、他にA5判の同人詩誌も多い。
 7名21編の詩、2名2編の随筆を収めて、活動旺盛である。
 O・雅彦さんの「たそがれのうた」は、1行の字数を8字に決め、行末を揃えた5連である。
 故・詩人の広部英一さんが晩年、行末を揃えた(1連の行数、連の数も揃えたけれども)詩を書いており、その影響だろうか。広部さん以前にその手法を採った詩を、僕は知らない。広部さん、O・雅彦さん、W・本爾さんは、母恋で繋がっているのだろうか。
 N・昌弘さんの3編の内、「叫び」では、末連で「思い通りにいかないことこそ楽しむ/お前たちにはわからないだろうと/AIに叫んでやるのだ」と、AI時代に対抗しようとしている。
 F・則行さんの「六月」に真情が籠もっている。
 T・篤朗さんの5編の内、「川岸にて」の冒頭で、「いってしまうのかい/私は震える声で つぶやく/ふるさとの川にたたずむ私の耳に/川の音と混じりあって/さようなら さようなら/聞こえてくる」と謳って、変わってゆく人心、去ってゆく時代を歎くようだ。
 1部、「空虚としてのレトリック」と呼びたい詩があって、自身の戒めにもなる。


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87
 先の10月30日の記事「届いた4冊」で報せた内、3冊目の、同人詩誌「青魚」N0.87をほぼ読み了える。
概要
 2017年10月25日、鯖江詩の会・刊。32ページ。参加者18名が、詩、評論を寄せている。
 B5判、2段組み。最近はほぼ年に2回の刊行を続けている。作品数に制限はない。
感想
 アメリカからワンベアー・H・幸子さんの詩「うどの大木」は、秋の花と木や、日本にはない植物回収車を描いて、風土を表わす。
 T・幸男さんは、「錯覚」を始め4編を、下段に写真・新聞記事切り抜きを添えながら、4ページの掲載である。東京都との往復(庭師として)は、82歳となり止めたようだが、彼の咆哮を聞き続けたい。
 K・大典さんは評論「戦前に回帰(文学は冬の時代に入るのか)」2ページで、時代への恐れを書いている。現に、僕の身近な詩人が活躍していたのに、詩を辞めてしまって、時代の影かと思ったものだ。
 A・雨子さんの評論「福井に生きた女性詩人」では、最近に逝いた福井の女性詩人2人を巡って、3ページあまりに渉って述べ、自説を展開する。
 僕のソネット(14行詩)4編は、もう1つのブログ「新サスケと短歌と詩」の、10月31日「言葉それぞれ」以降、わずかに改稿しながら毎日1編ずつ紹介している。
引用

 K・文子さんの「虫とバラ」では、薔薇に虫が付いていても放っておいたら虫がいなくなって、
「ああよかった
なんにもせずともすんだ
かわいい花をいっぱい咲かせてくれた
虫もいやな薬をかけられずにすんだ」
 と締めて、幸運な結果を描く。



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 同人詩誌「果実」75号(2016年10月・刊)を、「果実の会」より頂いた。
 先の10月13日付け記事(←リンクしてあり)、「頂いた本と買った本、5冊」で紹介した内、3冊めである。
 「果実」は県内の教員、教員経験者を同人とし、今号では6名16編の詩と、3名3編の随筆を収めている。
 K・不二夫さんの「自分の看板」は、ネクタイを男のVゾーンに掲げる看板、と見立てて新しい。
 W・本爾さんは「うゐのおくやま けふこえて」の末2行で「知らないところで/時代が動く鐘が鳴っていた」と時代を捉える。
 N・昌弘さんは「… あの頃は/社会の代表のような顔をした/常識の看板を背負った人間は/敵だった」と書く。僕も若い頃はそうだった。
 意欲的な5編を、T・篤朗さんは載せているけれども、時に抹香臭くなるのは、失礼だが僕には向かない。
 随筆3編は、論理、ユーモア、実感がそれぞれ響く。


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