吉田篤弘の月舟町三部作より、完結編の「レインコートを着た犬」を読み了える。
第1作の「つむじ風食堂の夜」は、今月22日の記事にアップした。
リンクより、初めに読んだ第2作「それからはスープのことばかり考えて暮らした」の感想へ、遡れる。
「レインコートを着た犬」は、映画館主の青年・直さんに飼われる犬(人語、人情を解する)ジャンゴの目から視た、直さん、映画館でパン屋を営む初美さん、コンビニに勤めるタモツさん、古本屋のデ・ニーロ親方、その妻で屋台の飲み屋をしているサキさん、つむじ風食堂のサエコさん、果物屋の青年兄弟たちの物語である。漱石の「吾輩は猫である」のようだ。
サキさんが屋台を止められない理由を、「ただ、わたしのこの屋台はね、云ってみれば、世の中のどんづまりにある最後の楽園みたいなものだから」と述べて、家庭にも居場所のないサラリーマンを思わせる。ジャンゴは、「世間知らずという言葉が示す「世間」というものは、、そうした純真なものをひねりつぶすのが得意である」と思う。また「愚かしいことは時に可愛い。可愛いことは、おおむね愚かしい」とも。
うらぶれた住人たちだが、直さんがギターの名手である(今は封印している)ことが明かされ、降雨を研究している先生は問題解決の糸口を掴み、住人それぞれが新しい出発をするのかと、僕は思った。「リベンジ」という言葉(復讐ではなく、再挑戦という意味で)が好きである。しかし物語では、それぞれが営みをほとんど変えない。映画館の「いつまでも終わらない最後の上映」が話題になり、皆の集合写真を撮る場面で仕舞いとなる。記念写真を撮るようでは、散会の前のようで危うい。
敗北の美学、敗者の美学、というものを僕は認めたくない。人気作家の作品であることも気に障る。
写真ACより、鉢植えのイラスト1枚。
第1作の「つむじ風食堂の夜」は、今月22日の記事にアップした。
リンクより、初めに読んだ第2作「それからはスープのことばかり考えて暮らした」の感想へ、遡れる。
「レインコートを着た犬」は、映画館主の青年・直さんに飼われる犬(人語、人情を解する)ジャンゴの目から視た、直さん、映画館でパン屋を営む初美さん、コンビニに勤めるタモツさん、古本屋のデ・ニーロ親方、その妻で屋台の飲み屋をしているサキさん、つむじ風食堂のサエコさん、果物屋の青年兄弟たちの物語である。漱石の「吾輩は猫である」のようだ。
サキさんが屋台を止められない理由を、「ただ、わたしのこの屋台はね、云ってみれば、世の中のどんづまりにある最後の楽園みたいなものだから」と述べて、家庭にも居場所のないサラリーマンを思わせる。ジャンゴは、「世間知らずという言葉が示す「世間」というものは、、そうした純真なものをひねりつぶすのが得意である」と思う。また「愚かしいことは時に可愛い。可愛いことは、おおむね愚かしい」とも。
うらぶれた住人たちだが、直さんがギターの名手である(今は封印している)ことが明かされ、降雨を研究している先生は問題解決の糸口を掴み、住人それぞれが新しい出発をするのかと、僕は思った。「リベンジ」という言葉(復讐ではなく、再挑戦という意味で)が好きである。しかし物語では、それぞれが営みをほとんど変えない。映画館の「いつまでも終わらない最後の上映」が話題になり、皆の集合写真を撮る場面で仕舞いとなる。記念写真を撮るようでは、散会の前のようで危うい。
敗北の美学、敗者の美学、というものを僕は認めたくない。人気作家の作品であることも気に障る。
写真ACより、鉢植えのイラスト1枚。