風の庫

読んだ本、買った本、トピックスを紹介します。純文学系読書・中心です。

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未来

 結社歌誌「コスモス」内の若手歌人による、季刊同人歌誌「COCOON」Issue19を、ほぼ読み了える。
 同・Issue18の感想は、昨年12月30日の記事にアップした。


 リンクより、過去号の感想へ遡り得る。

 同・Issue19の到着は、先の3月20日の記事、届いた3冊を紹介する(11)にアップした。


COCOON Issue19

 気になった歌を引いてみる。
目薬をさすとき海鳥はばたけりこころから言葉とほのきにけり(K・智栄子)
 こころから言葉が遠のいては、文学を目指すものの表現が成り立たない。安倍長期政権の、虚言、詭弁が残した傷は広く、表現を志す者を苦しめている。
臍の下に光ためつつシャワー浴ぶ明日を語れば鯰
(なまづ)が笑ふ(M・左右)
 来年の事ではなく、明日を語ってさえ鯰が笑うほど、良い明日、幸せな未来を想定し得ない、不幸な時代だ。




 
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 思潮社の現代詩文庫155「続・辻征夫詩集」より、2番めの「かぜのひきかた」から、を読み了える。
 1番めの「天使・蝶・白い雲などいくつかの瞑想」から、は今月3日の記事にアップした。


 「かぜのひきかた」から、は詩集より5編の抄出である。詩編の総数は、検索ではわからない。
 「まつおかさんの家」、「かぜのひきかた」、「桃の節句に次女に訓示」の3編の中身は、平仮名ばかりで書かれている。平仮名の詩は、山村暮鳥にもあった(室生犀星「我が愛する詩人の伝記」に依る)が、詩の心の衰えとされる。辻征夫の詩にはその評価を跳ね返す強さのある作品もある。
 「まつおかさんの家」では、6歳の「ぼく」が登校途中の「まつおかさんち」の前で泣きたくなり、後に「弟」は大声で泣き出してしまう。小市民から、貧しい「小さな小さな家」の庶民へと転落する未来を、予感したのだろう。
 「かぜのひきかた」では、人に「かぜかい?」と尋ねられて、風邪でないのに抗えず「かぜです」と答える、気の弱りを表す。他人に抗えない、弱さと純粋さである。
 「ヘレンおばさんこんにちは」は、いつか詩人の胸に住み、親しく会話する「ヘレンおばさん」の登場である。後の詩集「ボートを漕ぐ不思議なおばさん」には、何編も架空の親しい「おばさん」が現れる。
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写真ACより、「ガーデニング」のイラスト1枚。




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 筑摩書房の「ウンガレッティ全詩集」(河島英昭・訳、1988年・刊)より、第6詩集「老人の手帳」を読み了える。
 第5詩集「叫び声と風景」は、今月8日の記事にアップした。




 「老人の手帳」は、1960年、モンダドーリ社・刊。J・ポーラン・序、L・ピッチョーニ・編。(1950ー60年)と題に付されている。
 「約束の地を求めて最後のコロス」は、27編の連作である。「日々は虚しい煙に過ぎないと。」「すべてが廃墟にすぎないことを。」「希望をすり減らすもの、それは希望だ、」等、とても虚無的になっている。
 過去への追憶ばかりを想い、未来を想わない生活は、虚しいだろう。
 「言葉を失った小曲」(1957年10月、ローマ)は、2編より成る。
 掉尾に対の2章「二重唱」を収める。「もはや何一つ彼の心から動かせないのか、//もはや何一つ彼の心から/追憶の苦い驚愕のほかには/擦り切れた肉体のなかでは?」と結ばれ未来がない。直訳調か和文調か、翻訳詩の語順という、どちらが理解されやすいか、スタイルの問題も問われる。

 この後に、「最後の日々」(1919年)(フランス語詩篇)と、「散逸詩篇」(1915年~1927年、未収録)、詩論「詩の必要」を残す。

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写真ACより、「秋の人物コレクション」のイラスト1枚。


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