風の庫

読んだ本、買った本、トピックスを紹介します。純文学系読書・中心です。

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現代

 宇野なずき・歌集「透明な砂金」Kindle Unlimited版を読み了える。
 入手は今月5日の記事、入手した4冊を紹介する(11)にアップした。
 

 また2017年・刊の第1歌集「最初からやり直してください」は、2018年6月15日の記事にアップした。


宇野なずき 透明な砂金
 宇野なずきは、1989年・生、ネットを主に活動している。歌集「透明な砂金」は、2020年11月・刊。20首連作×7編。
 歌の言い回しは上手である。人生の実感を重んじる伝統と合わないかも知れない。
 現在の人に刺さる歌が多い。また現在の風物を取り入れている。

 以下に7首を引く。
はじまりの合図に鳴った銃声が頬をかすめて二の足を踏む
降ってきた 誰かのために走れなくなってそれから煮物がうまい
こうやって思い出さない日が増えて普通に暮らす未来がこわい
燃えている川の流れに逆らうと賢い猿に同調される
アルバムに保存されると過去形になるから置いていかないでください
終電で退職届の下書を引き止めてくるソシャゲの通知
きっとこの努力は報われないけれどバーベキューとか楽しかったね




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 結社歌誌「百日紅」2020年9月号を、作品中心に読み了える。
 入手は、今月2日の記事にアップした。



 また2年前の同誌・10月号を、2018年11月27日の記事にアップした。



「百日紅」9月号
 2020年9月1日、百日紅社・刊、26ページ。

 福井県中心の地方誌で、全員5首掲載。特選はない。1首の長さ(行末)を揃えていて、俳句では多いが、短歌では初めて気づいた。
 やや類型句が多いようである。例えば「去年逝きし人の面影顕たしめてもらひし紫陽花裏庭に咲く」など。

 以下に3首を引き、寸感を付す。
 H・フミエさんの「越前海岸」5首より。
納屋内をぐるぐる廻り助走せしつばめの親子ついに飛び立つ
 優しくしっかりと見つめ、新しい表現である。
 O・征雄さんの「オンライン帰省」5首より。
蛙らは何処に居たのか水張田になるその夜から合唱始まる
 新かな、口語体にて、同誌では新しい。気づきの歌である。
 T・宏美さんの「特別定額給付金」5首より。
スキー場があった筈と川渡る建物は廃墟ゲレンデは森
 字足らず、字余り、助詞の省略と、やや苦しいが、現代の山の荒廃を描き出した。


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 福井県俳句作家協会・編の「年刊句集 福井県 第58集」より、7回めの紹介をする。
 同(6)は、今月26日の記事にアップした。



 今回は、敦賀地区(敦賀市、美浜町)、若狭東地区(三方郡、三方上中郡)、若狭西地区(小浜市、おおい町、高浜町)に渉る、187ページ~215ページの27ページ(途中、扉あり)、51名の510句を読んだことになる。
 今回で、「年刊句集 福井県 第58集」のアンソロジー部の、仕舞いである。今、記事を捲ってみると、ちょうど400名の4,000句を読んだことになる。福井県において、歌壇、詩壇より、遥かに人数が多いので、俳壇の隆盛を願う。

 コンサート、家事など、老いても忙しい様、過疎をそれとなく示す句など、現代を余すなく示して、貴重な郷土のアンソロジーである。
 以下に5句を引く。
征爾振るタクトの動き雲の峰(Y・一枝)
山峡の崩れ草屋根桐の花(N・一雄)
朝寒し忙しき一日始まりぬ(T・恭子)
柿を売る戸板一枚小商い(T・周山)
磯漁の魚分け合ひ浜うらら(H・稔)

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写真ACより、「アジアンフード&ドリンク」のイラスト1枚。



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 福井県俳句作家協会・編の「年刊句集 福井県 第58集」(2020年3月・刊)より、6回めの紹介をする。
 同(5)は、今月12日の記事にアップした。リンクより、関連過去記事へ遡れる。



 今回は、鯖丹地区(鯖江詩、越前町、池田町)と南越地区(越前市、南越前町)の、141ページ~185ページの44ページ、86名860句を読んだことになる。
 幼い日や若い日に返っての吟、親から曾孫に至る4世代の吟(長寿化によって、よくあることになった)など、現代を映している。
 なお「老ひし」(老いし、が正しい)、「終ゆ」(終ふ、が正しい)の誤りがあったのは、俳人グループとして惜しい。

 以下に5句を引く。
薄氷や幼に返り割つてみる(T・雪江)
四世代祈る幸せ初詣(K・早智代)
流灯に人は訣れを重ねをり(K・信子)
お気に入りつりし夏服胸にあて(Y・とみこ)
糸電話ほどに繋がる賀状かな(I・和夫)

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写真ACより、「アジアンフード&ドリンク」のイラスト1枚。


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 浅田彰「逃走論」を、対談、鼎談を除いて、読み了える。
 入手は、今月16日の記事にアップした。




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 1984年・3刷、筑摩書房・刊。
 対談、鼎談を除いたというけれど、本書では2つが大きな半分くらいを占めている。出て来る思想家の、ドゥルーズ、ガタリどころか(ドゥルーズの文庫本を持っていたが、メルカリで売ってしまった)、フーコー、レヴィ・ストロースも読んでいない。
 僕がこの本を読みたく思ったのは、サルトル流の「投企せよ」「参加せよ(アンガージュマン)」に疲れて、逃げ出したくなったからである。その意味で、「逃走論」の呼びかけは心に受け入れやすい。
 討議を含めて、IT時代の現代を、射程に入れていたのではないかと思われる。
 現状で、楯突く事に疲れ、あちら側(アベ側)に行く事を拒み、逃げ出そう(どこへ?)という志向である。

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 今村夏子の短編小説集「あひる」を読み了える。
 6月10日の記事、同「こちらあみ子」に次ぐ。

 角川文庫、2019年1月25日・刊。
 短編小説「あひる」、「おばあちゃんの家」、「森の兄妹」、3編を収める。
 「こちらあみ子」(旧題「あたらしい娘」)に次いで、「あひる」は芥川賞候補となり、河合隼雄物語賞を受賞した。

「あひる」

 両親と住む「わたし」の家の鶏小屋で、あひるを飼う事になる。「わたし」は医療系資格の勉強中で、まだ仕事をした事がない。あひるに惹かれて、子供たちが集まるようになり、両親も歓迎する。あひるが1ヶ月程で病気になり、病院に父が連れて行き、帰って来るが、わずかに違うように「わたし」には思われる。3回めが死に、庭に墓を立て、3羽が違う鳥であったと両親の偽計がバレる。
 10年前に家を出た弟が、結婚8年めで子を儲けて帰宅する事になり、家の増築工事の場でおわる。
「おばあちゃんの家」
 主人公「みのり」の家族とは血のつながらない、おばあちゃんが敷地内の建物・インキョに住んでいる。親切なおばあちゃんだが、痴呆(?)が始まり、逆に知的・体力的に元気になる様を描く。
「森の兄妹」
 母子家庭の兄妹、モリオとモリコが、小屋に住むおばあさんから、窓を通して飴を貰ったり、実る枇杷の実を全部持って行って良いと言われる。おばあさんの家で、その家族より誕生日祝いされるのをモリオが目撃して、兄妹は小屋に行かなくなる。

 子供たち、非就業者、おばあさん(高齢者)、それぞれ1人前に見做されない者たちと、その周囲を描いて、現代の1面を切り取っている。





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 今月20日の記事「1冊、1紙、1部」のうち、2番目の俳紙を紹介する。
 ネットプリントの俳紙、
「セレネッラ」第十七号・冬の章である。
 
同・第十六号は、今年6月19日の記事にアップした。リンクより、十五号まで遡れる。
概要
 3名の俳人がまず、題を付けて6句ずつを掲げ、その下に新企画「写真俳句」第1回として、小さな写真を挙げ3名がエッセイと締めの1句を付ける、という体裁である。これまでの客演俳優は中止のようである。
感想
 句風の違いは、これまでの生活、俳句の学びの場が違っているのだろう。
 写真俳句の句が面白いのは、読者がエッセイの説明に助けられる面があり、また作者側も思いを縷々述べた後なので、力の抜けた句が成るのかもしれない。
 僕は毎日、ブログ「新サスケと短歌と詩」で発表を続けているので、ネットプリントの必要はあまり感じないけれども、合同で紙に残るものを、と企図すると、ネットプリントは有力である。
引用

 以下に1句ずつ引く。
 金子敦さんの「一期一会」6句より。
コンビニのありし辺りに狸来る
 田舎にコンビニが出店したが流行らずに撤退し、狸が出て来るという山里が、現代の1面としてよく表わされている。
 中山奈々さんの「ここ」6句より。
奥歯軋ませ凩ががここにここに
 奥歯を強く噛んで、危機に耐えている様が、句跨り、字余りにも想われる。
 中島葱男さんの「守護霊」6句より。
白菜の芯に宿りしアフロディテ
 白菜の中に美神を見出して、生活性、国際性、純粋性を得ている。



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