風の庫

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現代俳句大系

 角川書店「増補 現代俳句大系」第14巻(1981年・刊)より、19番目の句集、中村苑子「水妖詞館」を読み了える。
 今月21日の記事、細見綾子・句集「技藝天」に次ぐ。
概要
 原著は、1975年、俳句評論社・刊。高屋窓秋・序、139句、著者・あとがきを収める。第1句集。
 中村苑子(なかむら・そのこ、1913年~2001年)は、結核病により大学国文科・中退、1932年に結婚した夫が、1944年に戦死した。その後、作句を始め、石田波郷の「鶴」、水原秋桜子の「馬酔木」、日野草城の「青玄」、久保田万太郎の「春燈」と移った。
 1957年、高柳重信(細見綾子・句集「技藝天」で、読まずに飛ばしたと書いた俳人)の招請によって「俳句評論」の創刊に参加、高柳重信・死去(1983年)後に終刊、以後・無所属。
感想

 「水妖詞館」は、無季ながら定型を守ろうとしている。旧かな、古典文法であり、「や」「かな」の切れ字も使う。
 どんなに写生や直叙から離れても、定型を守る1行詩である。語の組み立てが外れていない。僕の読書のストライクゾーン内である。女性の心情も読み取れるようだ。
 非定型、分かち書きの俳句に、僕はトラウマがあるようだ。高校文芸部員の時、短期留学のアメリカ人高校生が部室に来て、作った俳句を読んでくれと言った。半世紀以上、前の事である。3行詩だったと記憶する。その中の1語が難しく、英和辞典にもなくて、とうとうその句を読み解けなかったのだ。
引用
 以下に5句を引く。
跫音や水底は鐘鳴りひびき
撃たれても愛のかたちに翅ひらく
逢へばいま口中の棘疼き出す
若き蛇芦叢を往き誰か泣く
山に立つ誰彼の忌や黒き馬
0-23
写真ACより、「キッチン・グッズ」のイラスト1枚。




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 角川書店「増補 現代俳句大系」第14巻(1981年・刊)より、18番目の句集、細見綾子「技藝天」を読み了える。
 今月8日の記事、小池文子・句集「巴里蕭条」に次ぐ。
 実は2冊の句集の間に、17番目の句集、高柳重信「青彌撒」があるが、読まなかった。数行の分かち書きがきであり、定型も守られていない。俳句が外国で盛んになり、翻訳、また外国語の俳句など、逆輸入された影響かも知れない。
概要
 細見綾子(ほそみ・あやこ、1907年~1997年)は、結婚後2年で夫を亡くす(結核で病没)など、22歳までに両親、夫を失い、病臥した。戦前の1942年、句集「桃は八重」がある。
 1947年、社会性俳句の旗手、沢木欣一(1960年以降、志向を変える)と結婚、俳誌「風」を助け、1子を得る。ただし社会性俳句へは傾かなかった。
 原著は、1974年、角川書店・刊。519句、著者・あとがきを収める。第5句集。
感想

 生活実感の籠った句風である。社会性俳句、前衛俳句に傾かなかった。
 旧師・青々には、「つらい冬の時代である現在を気長に耐えていればいつか春がやってくる」という教えがあり、彼女もそれを守り、後に旺盛に句集を刊行した。
 定型、季語、旧仮名、古典文法を守っての、達成である。
引用
 以下に5句を引く。
一人旅すすきの許(もと)の休み石
故郷の粟餅を焼き老いんとす
春雪のはげしさをもて死を惜しむ(深田久弥さん急逝)

雪嶺へわさび根分けの目を上ぐる
青梅に紅さすはつか東慶寺
0-21
写真ACより、「キッチン・グッズ」のイラスト1枚。




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 角川書店「増補 現代俳句大系」第14巻(1981年・刊)より、16番目の句集、小池文子「巴里蕭条」を読み了える。
 先の1月30日の記事、横山白虹・句集「空港」に次ぐ。
概要
 原著は、1974年、角川書店・刊。パリ在住の16年間の450句を、年代別順に収め、長い後書を付す。
 小池文子(こいけ・ふみこ、1920年~2001年)は、東京都に生まれ、画家の夫を追って渡仏、現地の人と再婚、パリに没した。
 石田波郷「鶴」同人、波郷・没後、森澄雄「杉」同人。
感想

 数少ない帰国を含め、フランス在住、外国旅行の句を成している。在外で季語を守り、鋭くとらえ、具体的な句風である。
 モロッコ、カサブランカを訪いて39句、またリビヤにしばらく住み、帰国した際には療養所・病床の石田波郷を訪ね、多くの句を成した。
 後書で「言葉は挨拶のために生まれたのではないだろうか。」と述べて、師、連衆、自身の地への挨拶として、句を作り続けた。
引用
 以下に5句を引く。
春寒やセエヌのかもめ目ぞ荒き
薄雪やカルチエ・ラタンに切手買ふ
初時雨いのちの灯りそめし身に
黄葉の冷えゆき霧の遊びそむ
夏萩や美濃への水にこぼれつぐ
(木曽路)
0-13
写真ACより、「キッチン・グッズ」のイラスト1枚。



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 角川書店「増補 現代俳句大系」第14巻(1981年・刊)より、15番目の句集、横山白虹「空港」を読み了える。
 今月20日の記事、
沢木欣一・句集「沖縄吟遊集」に次ぐ。
 実は2冊の間に1句集、安部完市「にもつは絵馬」があるが、飛ばした。定型でない。と言って種田山頭火や尾崎放哉のように自由律でもない。上句・中句・下句の体裁を保っている。破調なのだ。それに逆年順も困る。1句集、1歌集の間に成長を追って読み進むのも、自称「読み部」の楽しみである。
概要
 原著は、1974年、牧羊社・刊。1946年~1973年の句を、年別に、季節順に並べる。
 彼は戦前の新興俳句を出自とし、新情緒主義を標榜した。戦後の1946年から始まっている事は、敗戦を区切りとして好い。
感想

 なぜ28年もの間の句集を出すのか。僕も「コスモス」時代の20余年の歌集を計画しているが、僕のように無名ではないのである。横山白虹(よこやま・はくこう、1899年~1983年)は、1973年、現代俳句協会会長になっているのだ。戦中に心恥じる所があったのか。
 詩性を求めるのか、まれに比喩が見られ(「秋天にあらゆるビルが爪立ちす」など)、俳歌に(近ごろは詩にも)比喩を嫌う僕には、引っ掛かる。
引用
 以下に5句を引く。
木苺の花咲けりわが紆余の道
石鏃と冬日をもらふ片手の中
球撞きの一人一人が雪嶺見る
露霜の一夜に窶れストの旗
秋日没つ麦の穂型の噴水に(モスクワ3句より)

0-47
写真ACより、「乗り物」のイラスト1枚。



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 角川書店「増補 現代俳句大系」第14巻(1981年・刊)より、13番目の句集、沢木欣一「沖縄吟遊集」を読み了える。
 今月3日の記事、
桂信子・句集「新緑」に次ぐ。
 なお2016年10月30日の記事に、同・大系第11巻より、沢木欣一・第2句集
「塩田」を取り上げた。
概要
 原著は、1974年、牧羊社・刊。330句、著者・あとがきを収める。第4句集。
 沢木欣一(さわき・きんいち、1919年~2001年)は、1968年、本土復帰(1972年)前の沖縄県に、文部省より約1ヶ月間、派遣され、そのほとんど書き下ろしに近い句集である。
 俳誌「風」に拠り社会性俳句を展開したが、60年安保闘争後、「即物具象」のスローガンを掲げ、子規の写生説を見直した。
感想
 なぜ「沖縄吟遊集」を、この大系に取り上げたか、わからない。同年「赤富士」、76年「二上挽歌」と、近い内に句集を発行している。
 これまでの歳時記に収まらない風物の多い沖縄県に苦吟し、後の世界俳句へつながると見たのだろうか。
 スローガン的でなく、漫遊記的でない句作が求められるが、後半ではやや風物に圧倒され、観光吟的になっている。
引用

 以下に5句を引く。
片蔭といふもののなし基地の街
辺戸岬甘藷(いも)蔓たぐりゐし女
盆太鼓大地へ音を叩き込む
わたつみの神女(かみんちよ)三日山籠り
芭蕉糸しろがね光り糸車
0-40
写真ACより、「乗り物」のイラスト1枚。




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 角川書店「増補 現代俳句大系」第14巻(1981年・刊)より、12番目の句集、桂信子「新緑」を読み了える。
 昨年12月17日の記事、
後藤比奈夫・句集「初心」に次ぐ。
概要
 原著は、1974年、牧羊社・刊。486句、あとがきを収める。第4句集。
 桂信子(かつら・のぶこ、1914年~2004年)は、日野草城に師事、「青玄」無鑑査同人となるも、草城・没後、1970年に辞し、俳誌「草苑」を創刊・主宰した。
 第1句集
「月光抄」(1949年・刊)については、同・大系第7巻より、前ブログ「サスケの本棚」の2013年8月30日の記事に引いた。
感想
 結婚して2年で死別、実家に戻り母と二人暮らし、就職、空襲、転勤、移住などの経験、また第1句集「月光抄」への批判等は、彼女の心を強くしたようだ。
 1954年、「女性俳句」を創刊している。
 女性が、男性俳人の古強者と伍して行くには、たいていでない苦労があったと思われる。失うものの少ない事が、強味だったろうか。
 句集の途中、1973年に、その残る母を失った。やや剛性の句風なのも、致し方ない成り行きだったか。
引用

 以下に5句を引く。
鉈つかう音炎天の寺の裏
霧に影うごき牡牛に昼の飢え
床下に空瓶乾く鮎の宿
わかさぎを薄味に煮て暮色くる
水仙を二三日見て旅に発つ
0-32
写真ACより、「乗り物」のイラスト1枚。




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 角川書店「増補 現代俳句大系」第14巻(1981年・刊)より、10番目の句集、森田峠「避暑散歩」を読み了える。
 今月14日の記事、成瀬桜桃子・句集「風色」に次ぐ。
概要
 原著は、1973年、牧羊社・刊。阿波野青畝・序、450句、著者・あとがき、火村卓造・解説を収める。1951年~1970年の句を、年毎に年次順に収めてある、第1句集。
 森田峠(もりた・とうげ、1924年~2013年)は大学卒業後、高校教員となる。
 1951年、阿波野青畝「かつらぎ」に入門、1990年、同誌・主宰を継承した。1986年「俳人協会賞」、2004年「詩歌文学館賞」受賞など。
感想
 まず題名(阿波野青畝・命名)から、違和感を持つ。避暑地の別荘を持っていた訳ではないようだが、避暑地の散歩は、僕には馴染まなかった。僕は農家の次男に生まれ、帰郷して働いたが、避暑の余裕はなかった。(子の幼い頃、家族で海水浴へは何年か行ったけれども)。近隣の在が、農家から兼業農家となる貧しさで、誰も避暑地へ行く考えが浮かばなかっただろう。
 1961年、「吟行を専らとする競詠会結成。」とある。時間と金銭の掛かる吟行会を専らとするのは、職業が教師だった余裕だろうか。
 句風は、虚子、青畝に学んだ写生を究めようとしたとされ、風物、吟じかたに新しさがある。
引用

 以下に5句を引く。
(ともづな)のくひこめるまま道凍てて
流失の橋のたもとに麦を干す
教へ子に逢へば春著の匂ふなり
わがためのもの奥にあり冷蔵庫
稿成りて春あけぼのの湯に浸る
0-14
写真ACより、「乗り物」のイラスト1枚。




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