朝日新聞社の日本古典全書「小林一茶集」より、文集の後半及び「父の終焉日記」を読み了える。
先の5月9日の記事、一茶・文集を読む、に次ぐ。
今回は、全38編の文集の内、24編め~38編めまでと、「父の終焉日記」を読んだ。214ページ~263ページ、50ページ分である。
義母・義弟への憤り、腫れ物の病気、52歳での初婚、中風の病気(回復を得た)、長男・千太郎、長女・さとに次いで次男・石太郎の夭逝を嘆く「石太郎を悼む」、3男・金三郎も亡くした「金三郎を憐れむ」等、一茶の生活のみならず、当時の風俗も知られる。
「父の終焉日記」は、一茶の帰省中に父が倒れ、看取りをする日記である。発病(当時の4月23日)から死去、初七日(当時の5月28日)までを、綿密に記録した。「テキナイ」の方言が書かれ、わが地でも同じく苦しいの意の方言「てきねえ」が使われており、一驚した。14歳の時に家を出て、江戸で俳諧に暮らした一茶は、父の看取りに心を尽くすけれども、義母・義弟と父は仲が悪く、よく養生させなかった。一茶の当てつけ、誇張もあるだろうけれど、対比的である。
次男の僕は父・母が倒れてより、共にほとんど世話をしなかったけれど、挽歌の連作を成して、悼んだ事である。

写真ACより、「老人」のイラスト1枚。

先の5月9日の記事、一茶・文集を読む、に次ぐ。
今回は、全38編の文集の内、24編め~38編めまでと、「父の終焉日記」を読んだ。214ページ~263ページ、50ページ分である。
義母・義弟への憤り、腫れ物の病気、52歳での初婚、中風の病気(回復を得た)、長男・千太郎、長女・さとに次いで次男・石太郎の夭逝を嘆く「石太郎を悼む」、3男・金三郎も亡くした「金三郎を憐れむ」等、一茶の生活のみならず、当時の風俗も知られる。
「父の終焉日記」は、一茶の帰省中に父が倒れ、看取りをする日記である。発病(当時の4月23日)から死去、初七日(当時の5月28日)までを、綿密に記録した。「テキナイ」の方言が書かれ、わが地でも同じく苦しいの意の方言「てきねえ」が使われており、一驚した。14歳の時に家を出て、江戸で俳諧に暮らした一茶は、父の看取りに心を尽くすけれども、義母・義弟と父は仲が悪く、よく養生させなかった。一茶の当てつけ、誇張もあるだろうけれど、対比的である。
次男の僕は父・母が倒れてより、共にほとんど世話をしなかったけれど、挽歌の連作を成して、悼んだ事である。

写真ACより、「老人」のイラスト1枚。

