風の庫

読んだ本、買った本、トピックスを紹介します。純文学系読書・中心です。

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疎開

 筑摩書房「現代日本文学全集 補巻8 上林曉集」より、8番めの短編小説「擬宝珠庵(ぎぼしあん)」を読み了える。
 先行する「嬬恋ひ」の感想は、先の7月2日の記事にアップした。

 リンクより、関連過去記事へ遡り得る。

 「擬宝珠庵」は、戦争末期、作家が郷里の四国へ疎開する場合を考え、裏山へ建てることを空想した、掘立小屋の名前である。賞愛する庭の擬宝珠を分け植え、読書執筆の生活を持とうとする。鍬を取っての農業は、40歳過ぎの自分には無理だと書いている。僕にさえ甘い空想である。「私といふ男が、人の世の温かさをこそ知れ、まだ無情と冷酷と憎悪に痛めつけられて死ぬ思ひをした試しがないので、…」と、作家も気づいている。
 空想に頼ることが、悪いことだけではない。それにより、生き延びる日々が、ある人々にはあるだろう。
 短編の私小説ばかり書いたことも、あながち否めない。俳歌の人々も、日々の悶々や喜びを作品にして、生きる支えとする。俳歌人にはプロが少ない(アマチュアの多さに比して)が、上林曉が作家の生を全うしたことは立派である。性格的にどうかという面もるが、文学創作が「世に生れ合せた生き甲斐であり、自分の人生そのものである」とする面から、やむを得ないところもあるのだろう。



ギボシ
 写真ACより、擬宝珠の写真1枚。

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 筑摩書房の「増補決定版 現代日本文学全集 補巻8 上林曉集」(1975年2刷)より、2作品めの「きやうだい夫婦」を読み了える。
 1作品めの「風致区」は、先の2月24日の記事にアップした。


 「きやうだい夫婦」(きょうだい夫婦、この本で6ページの短編小説。時制が行き来しているので、この感想を書きながら、ページを捲り返さなければならない)は、「私」の妻が数年来、サナトリウムに入ったきりなので、「私」と娘・和子の世話を、妹の仙子に任せきりの様を描く。
 しかし1944年の暮れ、空襲が激化した頃、仙子が怯えて疎開したがるのを、「私」は東京で文筆生活を続けると言い張る。娘の和子も残ると言うので、仙子は苦しんだあげく残る事にする。1945年3月下旬、とうとう仙子は和子を連れて疎開する。
 戦後の1945年末近く、「私」は危急状態で、仙子だけを(娘は郷里に置いて)呼び寄せる。手紙を何度も書いたが、仙子がしばらく上京できなかったのは、汽車の切符を入手できないからと、手紙が来る。
 仙子は20歳から26歳まで、婚期をよそに兄とその子3人に犠牲的献身を続けた。小説に取り上げても、代償にならない苦難だろう。作家のエゴ(わがままなエゴ)の凄まじさに心震える思いをする。上林曉(かんばやし・あかつき、1902年~1980年)は、作家を続けられ、没後の2000年~2001年に、筑摩書房より増補版の19巻全集が出版されたから良いけれども、然程でもなく終わる生涯の作家だったら、献身も痛ましい事だったろう。
クリスマスローズ
写真ACより、「クリスマスローズ」のイラスト1枚。クリスマスに遅れて咲くグループもある。



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 有明夏夫の小説「俺たちの行進曲」を読み了える
俺たちの行進曲

 有明夏夫(ありあけ・なつお、1936年~2002年)は、1945年に福井県に疎開し、県内の勝山精華高等学校を卒業した。同志社大学工学部を中退し、後に作家となった。
 「俺たちの行進曲」は、文春文庫、1984年2刷。
 僕がなぜ、カバーが破れ、本文ヤケした、マイナーな本を手放さなかったかと言えば、舞台がわが福井県であり、福井方言がふんだんに出て来るからである。
 高校3年生の3人組み音楽部員(父子家庭、母子家庭、孤児院暮らし)が、異性への妄想や小冒険を繰り返し、ユーモラスにシリアスに生き延びてゆく。
 福井方言はディープで、軽く「さっきんてな」(先ほどのような)が出て来る。福井出身者以外に、すべての方言がわかるか、推測できない。

 僕は福井市方言に関心があり、ある詩人の助言を得たりしながら、ほとんど独力でエクセルの方言集を作成し、改訂を重ね、昨年末には550語に至った。
 有明夏夫が多感な時代を福井県で過ごし、福井方言に溢れた1編を残したことに、喝采を送りたい。


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