風の庫

読んだ本、買った本、トピックスを紹介します。純文学系読書・中心です。

Kindle本の第1歌集「雉子の来る庭」をKDPしました。右サイドバーのアソシエイト・バナーよりか、AmazonのKindleストアで「柴田哲夫 雉子の来る庭」で検索して、購入画面へ行けます。Kindle価格:250円か、Kindle Unlimitedで、お買い求めくださるよう、お願いします。

短編小説

 筑摩書房「現代日本文学全集 補巻8 上林曉集」より、8番めの短編小説「擬宝珠庵(ぎぼしあん)」を読み了える。
 先行する「嬬恋ひ」の感想は、先の7月2日の記事にアップした。

 リンクより、関連過去記事へ遡り得る。

 「擬宝珠庵」は、戦争末期、作家が郷里の四国へ疎開する場合を考え、裏山へ建てることを空想した、掘立小屋の名前である。賞愛する庭の擬宝珠を分け植え、読書執筆の生活を持とうとする。鍬を取っての農業は、40歳過ぎの自分には無理だと書いている。僕にさえ甘い空想である。「私といふ男が、人の世の温かさをこそ知れ、まだ無情と冷酷と憎悪に痛めつけられて死ぬ思ひをした試しがないので、…」と、作家も気づいている。
 空想に頼ることが、悪いことだけではない。それにより、生き延びる日々が、ある人々にはあるだろう。
 短編の私小説ばかり書いたことも、あながち否めない。俳歌の人々も、日々の悶々や喜びを作品にして、生きる支えとする。俳歌人にはプロが少ない(アマチュアの多さに比して)が、上林曉が作家の生を全うしたことは立派である。性格的にどうかという面もるが、文学創作が「世に生れ合せた生き甲斐であり、自分の人生そのものである」とする面から、やむを得ないところもあるのだろう。



ギボシ
 写真ACより、擬宝珠の写真1枚。

このエントリーをはてなブックマークに追加

 今月15日の記事、入手した5冊を紹介する(7)で、ダウンロードを報せた、植原剛「焼き鳥」を読み了える。

 これでその時に挙げた、5冊すべてを読み了えたことになる。

焼き鳥 (小説)
植原 剛
2021-03-24

 400字詰め原稿用紙20枚の短編小説である。
 植原剛はインディーズ作家らしい。Amazonでは、この作を含め、4冊の小説がKindle出版され、カスタマーレビューも付いている。
 ストーリーは、飲み屋に入った「俺」が料理「とりつくね」(実は「憑りつく根」)の美味に憑りつかれる。
 「俺」の紹介が挟まれる。56歳、独身。小説家を目指したがものにならず、定職に就かず、周囲を避けて生きて来た。実家に資産があり、食うに困らなかった。
 「とりつくね」の製法は、酔っ払いの腰から生える影のようなものから、根っこを調理するのである。酔っ払いは、テーブルの端を流れる酒に酔いつぶれ、「影の水耕栽培」と店主は笑う。
 店主の郷里は「ねのこく」と教えられるが、「根の国」(広辞苑で、死者のゆく黄泉の国とされる)らしい。「俺」はそれより飲み屋に通い続け、「とりつくね」の素を何度も提供している。
 アルコールにより破滅しかけた男の心情を、ホラーファンタジーでよく描いた。
 作家の実力は認めるけれども、ジャンル?が僕と合わないので、Kindle Unlimited版ながら、続けて他の本を読む気は起こらない。お好みの方は、読んで応援してほしい。




02 (6)
 写真ACより、鉢植えのイラスト1枚。

このエントリーをはてなブックマークに追加

 筑摩書房の「現代日本文学全集 補巻8 上林曉集」(1975年・2刷)より、7番めの短編小説「嬬恋ひ」を読み了える。
 先行する「遅桜」は、先の6月8日の記事にアップした。

 リンクより、関連旧記事へ遡れる。

 「嬬恋」は、筑摩書房の月刊誌「展望」1946年9月号・初出。
 作家の妻が、神経症療養院で亡くなった日と葬儀のストーリーである。前日には妹が見舞いに行っていたが、その妹と観劇のあと帰宅すると、療養院より危篤の電報が届いており、二人は駆けつけるが、朝方に妻は亡くなっていた。帰宅したがる病人が騙され続けて、何度目かの発作を起こしたのである。「一晩中歯が砕けるほど歯ぎしりしたり叫んだりしたあげく」の事だという。死後に作家がいくら懺悔した所で、死者の悔しみは償われない。
 戦後という事で、葬儀は滞りなく済んだ。死者が讃美歌に印を付けた所や、書き出したメモに作家が打たれているのは、偽善くさい。
 兄妹、姉弟の対幻想は、兄弟・姉妹の対幻想より強い(卑弥呼と弟のように)と書いた、思想家がいた。妻は、兄妹の関係に敗れ、神経症となったのかも知れない。

2 (2)
写真ACより、「雨の日」のイラスト1枚。



このエントリーをはてなブックマークに追加

 三浦哲郎の短編小説集「盆土産と十七の短編」を読み了える。
盆土産と十七の短篇 (中公文庫)
三浦 哲郎
中央公論新社
2020-06-24

 手許の実物には、帯がある。

 入手は、今月5日の記事、届いた4冊を紹介する(5)の末尾で報せた。

 その4冊の内、渡辺茂子「アネモネの風」以外は読んでいる。

 「盆土産と十七の短編」は、中公文庫、2020年・再版。
 「盆土産」は、父親(母親は亡くなっている)の出稼ぎの土産、海老フライを初めて食べる姉弟と、祖母の物語である。「金色の朝」は、少年が弟妹たちに気取って言う科白、「朝の雨と…女の腕まくりは、ちっともこわくねえ。」(差別があったら済みません)が印象的である。この2編は既読なので、文庫本が既読なのかと思ったが、国語教科書に載った短編小説を集めた、オリジナル・アンソロジーとの事。
 「私の木刀奇譚」(永井荷風の「墨東奇譚」に掛けてある)、「猫背の小指」「ジャスミンと恋文」「汁粉に酔うの記」「方言について」「春は夜汽車の窓から」7編は私小説風で、現在の安定した境地(三浦哲郎の若い時の家族の宿命を、ようやく克服した、重要な意味を持つ)を思わせる。
 「おおるり」(「石段」を除く)「睡蓮」「星夜」は、死の絡む話である。「ロボット」は少年が死に、「鳥寄せ」では出稼ぎがうまくゆかなかった父親が、郷里の裏山で枝に首を吊る。「メリー・ゴー・ラウンド」も、父娘の(母は亡くなっている)心中未遂を描く。未来ある中学生・高校生に、こういう暗い話を読ませたくない。PTA的になるのではないけれど、努力の物語、苦難を越える物語を、読んでほしい。
 「とんかつ」は禅寺の雲水になった少年の1年の成長を、「じねんじょ」は四十を越えた小桃が、初めて実父に会う物語を描く。父親が「怨みでもあらば、なんでも喋れや」の科白が良い。しかし少年少女に、積極的に薦めたいストーリーではない。作者の責任ではないけれども。
 久しぶりに三浦哲郎の短編小説集を読んで、僕は満足している。

沖の白帆
 「北潟湖畔花菖蒲園」より、「沖の白帆」の1枚。



このエントリーをはてなブックマークに追加

 筑摩書房の「現代日本文学全集 補巻8 上林曉集」より、6編めの短編小説「遲桜」を読み了える。
 先の5月22日に紹介した、「四国路」に次ぐ。


 今回は、48ページ~54ページ、7ページの2章より成る。(一)は、神経症養生院に居る妻を、作家が義父(妻の父)と共に訪ねる場面である。
 義父への語り掛けから入る冒頭は見事である。妻の入院は3年めであり、義父は四国から上京して、初めて院に訪う。患者を家族に会わせない方が良いと、院長は自ら芝居で妻を引き出し、二人に戸の隙間から覗かせる。「徳子を哀れと思つて出る涙なのか、自分を哀れと思つて出る涙なのか、私にはけぢめがつかなかつた。」と記す。
 (二)は翌年、義父と妻の妹が上京して、病状の良い妻が、泊まり無しの1日帰宅をする場面が主である。「父に妹、夫に義妹、二人の子供を加へて、徳子にとつては、夢のやうに賑やかな食事だつた。」と描く。夜には院へ戻り、私は妻に「来週のうちに来るよ。」と約束するが実行せず、10日余り経て妹、義妹、子供達を花見に出す始末である。
 上林曉の妻物は愛妻物として好まれたそうだが、ずいぶん差別的である。いっそ島尾敏雄の「死の棘」のように、妻に付き添って入院するくらいの情があれば、愛妻物と呼び得る。
0-06
写真ACより、「建築」のアイコン1枚。



このエントリーをはてなブックマークに追加

 最近に手許に届いた4冊を紹介する。
 僕はNumber誌の「藤井聡太と将棋の天才」Kindle版をダウンロードし、感想を昨年9月14日の記事にアップした。

 今度、同誌の「藤井聡太と将棋の冒険。」(2021年1月・刊)をメルカリで見つけ、300円(送料・込み)で購入した。


 所属する短歌結社「覇王樹」の顧問・渡辺茂子さんが、第3歌集「アネモネの風」を贈って下さった。
 第2歌集「湖と青花」を贈られた時の感想は、2019年10月5日の記事にアップした。

 「アネモネの風」は、2021年5月31日、不識書院・刊。427首、183ページ。画像が間に合わないので、失礼します。

 ぶんか社のマンガ誌「ご近所の怖い噂」vol.167を、Amazonより購入した。ブログの先輩、暁龍さんの「40歳の夜明け」モノクロ32ページが載るからである。430ページ、730円。

 暁龍さんの活躍ぶりは、今月1日の記事、「6月のカレンダー、2種を紹介します」をご参照ください。


 メルカリの「保存した検索条件」で「三浦哲郎」を検索すると、新刊部門で「盆土産と十七の短編」(中公文庫)があり、ポイントで購入した。
 その前の三浦哲郎・作品・読了は、先の5月5日の記事にアップした長編小説「素顔」である。


盆土産と十七の短篇 (中公文庫)
三浦 哲郎
中央公論新社
2020-06-24

 「盆土産と十七の短編」は、中公文庫、2020年9月・再版。946円(税込み、送料無料)。
 初めの2編は既読の記憶があるので、既読本かと思ったが、教科書に載った短編小説ばかりを集めた、オリジナル・アンソロジーらしい。僕の未読の短編小説も載っているようだ。
0-02
 写真ACより、「建築」のアイコン1枚。





このエントリーをはてなブックマークに追加

 筑摩書房の「現代日本文学全集 補巻8 上林曉集」より、5編め「四国路」を読み了える。
 先行する「現世図絵」は、今月13日の記事にアップした。


 「四国路」は、1944年(昭和19年)の秋、9年ぶりに四国へ帰郷する物語である。不便な戦争末期で、帰路の困難や、郷土ひとの親切さが描かれる。1946年4月に文芸春秋へ発表の作品だが、しかしこれまで戦争末期を描く短編小説ばかりである。
 石坂洋次郎の「青い山脈」(1947年・刊)とまで言わなくても、永井龍男の「風ふたたび」(1951年・朝日新聞・連載)くらいには、時世に乗って、戦後を明るく描いても良かったのではないか、と考える。なぜ敗戦の直前・直後の暗い部分に執着したかわからない。短編私小説の作家として、動じないものが内にあったのだろうか。
 短編小説家の常として、新作の発表に追われる。「風致区」(1946年1月)、「きやうだい夫婦」(同・2月)、「嶺光書房」(同・1月)、「四国路」(同・4月)発表と、毎月1編のように発表した。
 「四国路」で400字原稿用紙、約29枚である。短編小説の稿料は1枚あたり低かったのだろうか。短編小説の名手と謳われた三浦哲郎でさえ、長編小説へ挑戦し、引き下がった。(自分でそう書いた)。
 短編小説の作家が、ポオ、フィッツジェラルド、O・ヘンリなど(戦前日本の短編私小説作家は知らない)悲惨な晩年だった。ストレスが多く、酒に頼ったからだろうか。
 上林曉(かんばやし・あかつき、1902年~1980年)は、1962年に2度めの脳出血で半身不随となりながら、実妹の介護と口述筆記で作家生活を続けられた。正岡子規と妹・律の場合とたぐえられ、文学の生涯を全うした。
5 (2)
 写真ACより、「ビジネス」のイラスト1枚。





このエントリーをはてなブックマークに追加

↑このページのトップヘ