風の庫

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60年安保

 2002年、砂子屋書房・刊の「葛原妙子全歌集」より、第6歌集、「葡萄木立」を読み了える。
 第5歌集「原牛」の感想は、先の3月15日の記事にアップした。



 原著は、1963年、白玉書房・刊。557首、著者・後記を収める。
 日中戦争が1937年に始まり、1939年に32歳で太田水穂「潮音」に入った葛原妙子にとり、戦後の富裕な生活の中で、平和に違和感を持っていたのだろう。先の「原牛」にも「異変に飢うる」の言葉がある。
 前衛短歌運動が、様々な手法的財産を遺しつつ、平和な時代に咲いた徒花のように思える。俵万智「サラダ記念日」に依って、戦後短歌より、現代短歌へ舵を切ったと、俵万智・以降に短歌を始めた僕は感じる。
 幻想、妄想の中に、罪の意識が垣間見えたりする。有名な「晩夏光おとろへし夕」の歌も、大胆な字足らずだけれども、厨歌である。中句欠の歌も、また詠まれている。60年安保に関わるらしい歌が、わずかにある。
 リアルな日常詠に好感を持つだけに、前衛短歌の奇異に走ったのは惜しい。


 以下に7首を引く。正字を新字に替えてある。
たれかいま眸を洗へる 夜の更に をとめごの黒き眸流れたり
口中に一粒の葡萄を潰したりすなはちわが目ふと暗きかも
激突の叫喚は靄の中なるをあるものは人の耳に聴こえず
われはいま氷の墓原に出没す奇怪ならじか杳けし 人よ
硝子戸に嵐閃き髪洗ふわが専念はふかしぎならむ
統率はさびしからじかこども率
(ゐ)ておみなの教師路上を過ぎにき
鋭角の影置くかほにあらはるる苦渋ありありと冬の医師なりき
0-12
写真ACより、「アジアンフード&ドリンク」のイラスト1枚。





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 角川書店「増補 現代俳句大系」第14巻(1981年・刊)より、最終22番めの句集、宇佐美魚目「秋収冬蔵」を読み了える。
 今月1日の記事で、福井県俳句作家協会「年刊句集 福井県 第57集」を読み了えたからである。
 同・第14巻からでは、4月4日の記事、赤尾兜子「歳華集」以来である。
 同・第14巻には、「歳華集」と「秋収冬蔵」の間に、伊丹三樹彦・句集「仏恋(ほとけごい)」(1975年・刊)があるが、戦時下の句であり、宗教に傾き過ぎているので、今は飛ばした。
 次は「増補 現代俳句大系」の最終、第15巻に入る。
概要
 「秋集冬蔵」の原著は、1975年、永田書房・刊。1960年~1974年の360句、著者・あとがきを収める。「崖」(1959年、近藤書店・刊)に次ぐ、第2句集である。
 宇佐美魚目(うさみ・ぎょもく、1926年~2018年)は、「ホトトギス」より出発し、現代俳句とも関わりを持ったようである。
感想

 なぜ16年も間をおいて、第2句集を出版したのだろう。60年安保以降の世の風潮が合わず、再び保守化した1975年となって、出版したのか。
 あるいは伝統派と現代派の間で、作句が揺れたのか。
 松尾芭蕉や高浜虚子を吟じた句は、黄門様の印籠みたいなもので、反発の仕様もない。
引用
 以下に5句を引く。
籾殻を根雪に三戸馬を飼ふ
睡後の目あかし雪ふる柿の中
ひるの灯に読みさしの書や括り菊
箱橇の曲つて消えし一位籬(木曾)
春暖の赤子のこぶし雨意の松
0-45
写真ACより、「キッチン・グッズ」のイラスト1枚。





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 石川書房「葛原繁全歌集」(1994年・刊)より、歌集「風の中の声」後半を読み了える。
 
同(前)は、今月8日の記事にアップした。
概要
 おおまかな概要は、上のリンク記事で紹介したので、参照されたい。
 生前未刊のこの歌集は大冊なので、前後2回に分けてアップする。
 後半は、110ページ「冬木群」の節より、152ページ・巻末までを読んだ。
感想
 母親、弟妹を扶助する(仕送りをした?)身は、家庭を裕福にできなくて寂しむが、戸主としての威厳を崩さない。子を詠む歌は濃やかで、優しさに満ちている。
 60年安保(僕は田舎の10歳児だったので、よく知らない)当時らしい歌もあるが、引かない歌の下句に「いづれの側にもつきたくはなし」と詠むなど、関わろうとしなかった。従軍体験、労働争議体験、2つの大きな敗北を経た身は、政治闘争に関わりたくなかったのだろう。
 いっぽう、叙景歌は人為の加わった景色を詠んで、優れた姿を見せる。
 歌集を当時に出版しなかった理由に、財政の他、家庭のこと、会社での立場、政治の忌避など、1961年以降の社会に、憚る思いがあったかも知れない。
引用

 以下に7首を引く。
係累ゆゑ貧しき生活(たつき)に耐ふるべく我が強ひて来つ我の妻子に
雪の玉押しつつ雪を大きくし余念なき遊び幼子のする
国会の乱入起り事ののち立場持ち互ひに非を責むるのみ
神経の困憊に夜更け目覚めをりひしひしとわが生(せい)の寂しさ
秋の星を杉の秀の間にちりばめし中尊寺参道闇厚きかな
黄葉(もみぢ)して寂しく明かる木々の間に「憩ひ」はありと我が入りて来つ
河沿ひに並み立つ直き杉の幹日は照らしつつ船遠ざかる
0-21
写真ACより、「乗り物」のイラスト1枚。







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 角川書店「増補 現代俳句大系」第14巻(1981年・刊)より、6番目の句集、広瀬直人「帰路」を読み了える。
 今月14日の記事、
皆吉爽雨・句集「泉声」に次ぐ。
概要
 原著は、1972年、雲母社・刊。飯田龍太・序「真竹のいろ」、445句、著者・後記を収める。
 広瀬直人(ひろせ・なおと、1929年~2018年)は、1948年「雲母」入会、(1992年「雲母」終刊のあと)1993年、俳誌「白露」を創刊・主宰した。
引用と感想
 付箋にメモを残したので、それに従って書いてみる。句集は、昭和35年以前と~昭和46年まで、ほぼ年別に載せられている。
岩を離れて青々と微風の田
 大胆な句跨りの1句。1963年の作。60年安保には全く触れていないが、政治的平和の時代に、新しい手法を取り入れている。「芸術的前衛は政治的後衛である」と語った人もいるから、少数者を除いて正鵠を得ているのは、致し方ないか。
麦を蒔くひとりひとりに茜の田

 2毛作に麦を育てるのだろう。生活の基盤を描く。作者は農家の子で、高校の教師だった。
 季語に凡な所があり、「盆」「秋深む」「晩夏」「秋の山」と、続いたりする。
田を越えて鳥の隠るる枯葎
 1968年の作。句調が整っている。盛んだった学生運動から、目を背けるかの如くである。
白樺の幼き枝に驟雨来る
 同じ1968年の句。季語に深みが出るようだ。
風走らせる眼前の白つつじ
 1970年の句。学生運動が終末に向かう頃、再び句割れ、句跨りの作が見られる。心理の深部に鬱屈があって、句集名等に現れたか。
0-91
写真ACより、「フード&ドリンク」のイラスト1枚。



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